第43話 老天狗の英断、そして千年の伝承
グシャァァァッ────!!!!
肉と骨が潰れる無慈悲な砕裂音が烏山の森に大きく響き渡り、大量の血飛沫がクラマと九十九の顔へ容赦なく降りかかった。
野槌はその凄惨な光景を目にして、ねっとりと口元を歪めて笑う。
「……これはこれは。随分とご無沙汰しておりますねぇ・・・御館様」
その言葉に、息を呑んだクラマと九十九はゆっくりと顔を上げた。
二人の目の前に仁王立ちしていたのは――圧倒的な威圧感を纏う、片腕の老天狗であった。
自らの背を大きな盾とするように両腕を広げ、満身創痍の二人を庇うように立ち塞がっている。野槌が放った太い触手は、その老天狗の分厚い胸板を深く貫き、背後へと突き抜けていた。
「おぬしは……御館ではないかっ!?」
クラマが驚愕に目を見開いて叫ぶ。
「これはこれは、驚いたな……」
野槌は狂喜に頬を歪めて嘲笑った。
「勘違いをして調子に乗っているアラタを始末しようと思って仕掛けたら、まさかこんなところで思わぬ大物が釣れるとはねぇ」
「おやじ……きさまぁぁぁぁっ!!」
実の父親の危機にアラタが怒り狂い、控えていた直属の天狗たちを野槌へ一斉に差し向けた。
野槌は薄笑いを浮かべたまま、傍らの窮奇へ静かに合図を送る。
妖薬で右腕を再生させた窮奇が、一陣の風となって天狗たちの前に立ちはだかった。
ズババババッ────!!
神速の鎌が閃く。
抵抗する隙すら与えられず、天狗たちは次々と鮮血を撒き散らして石畳の広場へと崩れ落ちていった。
「さて……老いぼれは、そろそろ永遠に眠る時間だよ」
野槌は冷酷に言い放つと、御館の胸深く突き刺さった触手を一気に引き抜こうとした。
だが――ビクとも動かない。
「……なんだと……!?」
野槌の不気味な笑みが消え、怪しく眉がひそめられる。
よく見ると、御館の鋼のように鍛え上げられた胸筋が、万力のごとき力で野槌の触手を力任せに締め上げていたのだ。メキメキと音を立て、触手が圧縮されて歪んでいく。
「お前ごときの力で、このワシを殺せるとでも思ったか……?」
御館は血を吐きながらも禍々しく笑い、右手に握りしめた巨大な羽団扇を力任せに振り抜いた。
――ゴォォォォォッ────!!!!
山全体を吹き飛ばさんばかりの、凄まじい嵐が吹き荒れた。
胸の触手を捕らえられ逃げ場を失った野槌は、正面からその暴風を喰らう。
「くそぉぉぉぉっ!?」
野槌は悲鳴を上げ、尾から伸ばした触手を網状に広げて防壁にした。
しかし、真空の刃を孕んだ風は、その防壁ごと野槌の肉体を容赦なく刻み刻んでいく。
全身を深く切り裂かれ、血の海に沈んだ野槌は、ついにその場へ膝をついた。
吸血鬼の血の効力で傷口は少しずつ塞がろうとするものの、立ち上がろうとした膝はガクガクと震え、惨めにも再び地面へ倒れ伏した。
「くそぉ……老いぼれが……っ!」
野槌は地べたを激しく殴りつけ、悔しそうに歯噛みした。
「……チッ、まだあの御方の血が全身に馴染み切っていないらしい。……今日は御館様の顔を立てて、退くとしましょう」
野槌は忌々しそうに窮奇へ視線を送る。
「行くよ、窮奇」
「……フン」
二体の異形の妖魔は、立ち上る黒煙とともに、その場から掻き消えるように姿を消した。
「おやじぃぃぃっ!!」
アラタが悲鳴のような叫びを上げ、血を流す父親のもとへ駆け寄る。
だが――。
バキィィィンッ────!!
「このバカ者めがっ────!!!!」
御館は雷鳴のような怒号を上げると、駆け寄ったアラタの顔面を、右の拳で思いきり殴り飛ばした。巨躯のアラタが石畳を転がり、血を吐き出す。
「お前ごときの力で……あの恐ろしい悪魔、カミーラに勝てると思っているのかっ!?」
九十九は、息を荒らげる御館の顔をじっと見つめた。
片目は深く潰れ、武勇の歴史を物語る傷跡が幾重にも刻まれた、威厳に満ちた凄絶な面容。
「千鶴は……八神千鶴は、わしら達を守るために、自らを犠牲にしてカミーラを封じておるのじゃ……!」
御館は倒れ伏すアラタを血走った眼光で睨みつけた。
「なぜ……なぜクラマたちと手を携え、協力しようとせんのだっ!!」
「母を……っ! 母をあんな目に遭わせた人間どもが……俺は絶対に許せなかったんだよっ!!」
アラタは血に濡れた顔を上げ、魂を絞り出すように叫んだ。
「バカ者……」
御館は貫かれた胸の凄惨な傷口を手で強く押さえ、寂しげに深いため息を吐いた。
「これからは……わしがいなくなった後は……くだらぬ意地を捨て、クラマたちと協力して進むんじゃ」
そう静かに告げると、御館は手に持った大きな扇子を優しくひと振った。
サァァァッ……
風が刃となって滑り、鎌鼬の兄弟を磔にしていた巨大な木製の処刑台が、一瞬で木粉となって砕け散った。
「クラマ様っ!!」
拘束から解放された鎌鼬の兄弟はクラマの足元へと駆け寄った。
「九十九っ!!」
その時、混乱が収まりつつある奥の屋敷の廊下から、足音を響かせて葉月が駆け寄ってきた。
「葉月っ! 無事だったか!?」
九十九が歓喜の声を上げる。葉月は二人の無事を確かめるように胸を撫でおろし、安堵の笑みを浮かべて寄り添った。
「御館……久しぶりじゃな」
クラマは傷だらけの老天狗を見上げ、弱々しく、けれど懐かしそうに口元を緩めた。
「随分と……男前になったのではないか?」
「……フッ、あの悪魔カミーラに手痛くやられた際の、名誉の負傷じゃよ」
御館は白髭を揺らし、静かに答えた。
そして、眼光をクラマへと優しく向け直す。
「わしが死にゆく前に……クラマ。お前が千年前に封印された後の真実を……語っておこう」
老天狗の声は、深く、そして歴史の重みを孕んで静まり返った。
クラマたちは息を呑み、静かにその言葉に耳を傾けた。




