第42話 青き想い、瑠璃色の覚醒
烏山の静寂は、異形たちの咆哮によって無惨に切り裂かれた。
「ぐるぅぅぅぅ!」
黒髪の狂乱に堕ちたクラマは、喉の奥から獣の唸りを上げ、低く身構えた。その赤黒い瞳は、目の前の斬鬼だけを捉えている。
「あははっ。いいよ、遊んであげる、おいでよ……」
九十九の肉体を操る斬鬼は、黒刀を肩に担ぎ、挑発的に手招きした。
シュンッ!
クラマの姿が掻き消えた。
次の瞬間、斬鬼の左肩が鮮血とともに大きく裂けた。あまりの神速に、斬鬼自身も反応が遅れたのだ。
「へえー……速いね。なかなかやるじゃん」
斬鬼は噴き出す血を気にする様子もなく、むしろ歓喜に瞳を輝かせてニヤリと笑った。
「ぐわぁぁぁぁっ!!」
クラマが再び襲いかかる。狂気に任せた爪が、斬鬼の首筋を狙って放たれた。
だが、斬鬼は今度は微動だにせず、首をわずかに傾けてそれをかわした。
「……でも、君って速いだけで動きが単純なんだよな」
ザシュッ!!
閃光のごとき黒刀の一撃が、クラマの胸元を深く斬り裂いた。クラマがたじろぐ間も与えず、斬鬼は黒刀を振るい続ける。
二撃、三撃。
無防備なクラマの身体は、瞬く間に無数の傷に刻まれていった。
「あーあ、なんか飽きてきたよ……。手応えがないなぁ。そろそろ終わらせよっか。あっちの方が面白そうだし」
斬鬼は退屈そうに欠伸を噛み殺し、野槌の方へ視線を向けた。
その先では、野槌が愉快そうに口元を歪め、事の顛末を見物している。
(……ん?)
斬鬼は、力なく膝をついたクラマの異変に気づいた。
信じられないことに、クラマの胸元や腕に刻まれた無数の裂傷が、肉芽を蠢かせながら急速に塞がっていく。
「へえー……君って、不死身なんだ?」
斬鬼は驚愕に目を丸くした後、さらに残酷な笑みを深めた。
「だったら……心置きなく斬り放題じゃんっ!!」
斬鬼は再びクラマへと肉薄し、黒刀を嵐のように振るった。
クラマは何度も斬りつけられ、鮮血を撒き散らしながらも、苦し紛れに爪を振るった。
キィィィンッ!!
クラマの死に物狂いの爪が、斬鬼の黒刀を弾いた。
その衝撃で、斬鬼が由香(美麗に操られた吸血鬼)から奪い取り、制服のポケットへ無造作にねじ込んでいた睦月の『青いペンダント』が、宙へ飛び出した。
「あっ――」
斬鬼が目を向けた瞬間。
宙を舞ったペンダントは、無慈悲にも斬鬼の黒刀とクラマの爪に挟まれ――。
パァァンッ────!!!!
轟音とともに砕け散った。睦月のペンダントの欠片が、青色の欠片となってきらきらと宙に舞う。
辺りに刺すような冷たい風が爆発的に広がった。
その瞬間。
自身の精神世界の深淵、底なしの暗闇の中で、九十九は睦月の優しい温もりに触れた気がして目を覚ました。
「……睦月……?」
目の前に、かつて自分を守って死んだ睦月の懐かしい幻影が浮かぶ。
睦月の幻影は何も言わず、ただ悲しげに微笑むと、光となって消えていった。
「……え? ここは、どこだ……?」
九十九は周囲を見回した。
自身の精神を侵食する斬鬼の黒い瘴気が、霧のように漂っている。その視線の先に、吸血鬼の姿となった幼馴染の由香が立ち、九十九へ襲いかかってくる姿が見えた。
「由香っ!? なんで……クラマはどうしたんだっ!?」
九十九が叫ぶ。
『うるさいなぁ……君は黙って眠ってなよ』
九十九の精神世界の空から、斬鬼の冷酷な声が降り注いだ。
「お前は何なんだっ!? 豪鬼はどうしたっ!!」
『知らないよ。豪鬼なんて、どっか行っちゃったかもね。うるさいから黙れよ』
斬鬼が吐き捨てると、九十九の精神に、さらに濃厚で禍々しい黒い闇がまとわりついた。
「うおおおおっ!! ……睦月に託されたこの身体を、お前なんかに渡すかっ!!」
九十九は必死に抗った。
睦月に教わった妖力の制御を必死に思い出し、心の奥底にある清浄な妖力を高めていく。
『もう……うざいから黙れって言ってるだろっ!!』
斬鬼の苛立った叫びとともに、九十九を覆っていた闇がさらに膨れ上がり、彼の意識を完全に押しつぶそうとする。
その、まさに瞬間だった。
現実世界で、斬鬼の視界にクラマの凶爪が迫った。
「しまった……っ!!」
斬鬼は咄嗟に黒刀を振るうが、クラマの爪の威力は凄まじく、黒刀は爪に弾かれ、斬鬼の手から遠くへ飛んでいった。
『……九十九に気を取られて、油断しちゃったよ……』
斬鬼が精神世界で、九十九に呪詛の言葉を吐いた。
その直後。斬鬼の注意が逸れた隙を突かれ、九十九を覆っていた闇が、九十九自身の高まった妖気によって内側から爆発的に弾けた。
「今だっ!!」
九十九は一気に妖気を高めた。
現実世界の斬鬼の黄金に染まっていた瞳が、元の九十九の瞳の色へと急速に戻っていく。
身体を覆っていた黒い妖気が消えていく中、斬鬼は捨て台詞を残した。
『……ちぇっ、戻って来ちゃったか。……またね、九十九』
斬鬼はそう言い残し、九十九の精神の奥底へと消えていった。
現実世界。
意識を取り戻した九十九は、激しい頭痛に耐えながら、目の前で暴走するクラマへと駆け寄った。
「由香、クラマ……っ!!」
九十九は躊躇なく、血に染まったクラマの身体を強く抱きしめる。
「頼む……元に戻ってくれ! 由香、クラマぁぁぁっ!!」
「ぐわぁぁぁぁっ!!」
クラマは理性を失った咆哮を上げ、九十九を振りほどこうと暴れ狂った。
その時だった。
九十九の肩の傷から吹き出した鮮血が、クラマの首元にかけられていた、旅立つ前に由香の父親からもらった『瑠璃色のペンダント』へ、偶然にも触れた。
カァァァッ────!!!!
ペンダントが、九十九の妖力を帯びた血に反応し、絶大で清浄な瑠璃色の光を放った。
光はクラマの身体を優しく包み込み、黒く変色していた髪が、ゆっくりと、けれど確実に白銀へと戻っていく。
赤黒く染まっていた瞳も、瑠璃色に輝き始めた。
「……あ……う……ここは、どこじゃ……?」
クラマの声が、元の可憐なものへと戻る。
「クラマ……よかった……本当に、よかった……!」
九十九はクラマを抱きしめたまま、安堵の涙を流した。
「……ちぇっ。せっかく面白くなってきたところだったのに」
野槌が、つまらなそうに溜息をついた。
「きさま……っ」
クラマは気力を振り絞って立ち上がろうとする。
しかし、暴走の反動で身体に力が入らず、膝をついてしまった。
「窮奇よ、これを飲め……」
野槌は窮奇に、先ほど自分が飲んだものと同じ、どす黒い液体の入った瓶を渡した。
窮奇は躊躇なくそれを飲み干す。
メキメキメキッ!!
窮奇の失われていた右腕の鎌が、元の形を取り戻すどころか、より巨大で凶悪な形へと再構成された。
「もういいや……面倒くさい。お前ら、死ねよ」
野槌が冷酷に言い放つ。
その身体から、右腕のヒルのようなおぞましい触手が襲いかかる。
触手が、九十九とクラマへ向かって無慈悲に迫る。
グシャァァァァッ!!!!
そして――残酷な音が辺りに響いた。




