第41話 混沌の乱戦、狂気の宴
「遊ぼうよ……鼬ちゃん」
斬鬼は可憐に、そして心底楽しげに微笑んだ。
「……まぐれで一度避けただけだろう……調子に乗るなっ!」
窮奇は地を這う低音で唸ると、自慢の神速を爆発させて斬鬼の目と鼻の先へ肉薄した。
しかし、斬鬼は「ふふっ」と嘲笑い、振り下ろされた巨大な鎌の刃を紙一重の死角へ首を傾けてかわす。
そして――黒刀を一閃させた。
シュッ!
「ぐっ……!?」
窮奇の首元が浅く裂け、朱い血の飛沫が空中に散る。
「もっと遊ぼうよ。まさかそれで本気じゃないよね?」
斬鬼は首をかしげ、無邪気な声で煽り立てた。
窮奇の獰猛な瞳に動揺が走り、一歩、二歩と後ずさる。
「……あれ? もう終わりなの?」
斬鬼は黒刀をくるりと指先で回した。
「じゃあ、今度は僕から行くね」
シュンッ!
次の瞬間、世界から斬鬼の姿が掻き消えた。
空間を切り裂いて黒刀が閃くたび、窮奇の巨躯に無数の切り傷が刻まれていく。驚愕した窮奇は暴風のように鎌を振るって反撃を試みるが、斬鬼は黒刀の刃元で軽々と受け止めた。
ガキンッ────!!
重厚な衝撃に押され、斬鬼の華奢な体が後方へ弾き飛ばされる。
「ハハッ……お前、速いだけで力は皆無だなっ!」
窮奇が傷だらけの顔で歪んだ笑いを漏らした。
「あれれ? さっき君は『力があっても当たらなきゃ意味がない』って、威張って言っていなかったっけ?」
斬鬼は小悪魔のように微笑み、首を傾げて問い返す。
「き……さま……っ!!」
怒りで顔をドス黒く激昂させた窮奇が、再び斬鬼へ襲いかかった。
風を断つ鎌が死の唸りを上げる。
しかし――刃は空を切った。
窮奇がハッと振り返ると、斬鬼は数歩離れた場所で、何かをお手玉のようにひょいひょいと空へ放り投げて遊んでいた。
「お前……何を持っている……!?」
窮奇の視線が、吸い寄せられるように斬鬼の手元へ向く。
そこに浮いていたのは――先ほどまで窮奇自身の右腕に生えていた、血に塗れた巨大な『鎌の爪』そのものだった。
「がぁぁぁぁぁぁっ!?」
右腕の切断面から噴き出す激痛に、窮奇はその場に膝をつき、血を吐いて悶絶した。いつ切断されたのかすら、認知できていなかったのだ。
「ねえ。やっぱり当たらなきゃ意味ないよね?」
斬鬼は無邪気に笑いながら、奪い取った鎌をくるりと放り投げた。
その時――。
「やめて、九十九! お願いだから元に戻ってっ!!」
広場の隅から、葉月の悲痛な叫びが響き渡った。
その声を聞き逃さず、大屋敷の縁側に坐す大天狗アラタが冷酷に命じた。
「今のうちに、あの女を捕らえよ!」
「ハッ!」
側近の烏天狗五匹が一斉に漆黒の羽を広げ、葉月へ向かって急降下する。
葉月は震える手で錫杖を構え、炎を放とうとした。
だが、烏天狗たちが手にした巨大な羽団扇を同時に振り下ろす。
ボワッ────!!
暴風が巻き起こり、葉月の華奢な身体が弾き飛ばされた。
「きゃあぁぁっ!?」
ガラガラと音を立てて手から離れる錫杖。
その隙を逃さず、烏天狗たちが一斉に襲いかかり、葉月の両腕を力任せに取り押さえた。
一匹の烏天狗が、背を向けたままの斬鬼へトドメを刺そうと刃を向けた、その瞬間――。
ヒュッ────!!
「がっ……!?」
斬鬼が指先で弾いた窮奇の鎌が、烏天狗の胸元へ深く突き刺さった。
烏天狗は激しい悲鳴を上げ、その場に倒れ込んで動かなくなった。
「その女がどうなろうと僕の知ったことじゃないけど……」
斬鬼は残る烏天狗たちを、氷のように冷たく澄んだ黄金の瞳で見つめた。
「僕の『お遊び』を邪魔する奴は……誰であれ許さないよ?」
その底なしの殺気に気圧された烏天狗たちは、青ざめながら葉月を拘束し、アラタのもとへとなだれ込むように連れて行く。
「やめてっ!!」
葉月の叫ぶ声が遠ざかっていく。
だが、斬鬼は一度も振り返らなかった。
「さあ……続きをやろうよ、鼬ちゃん」
斬鬼は、右腕を失って血を流す窮奇へ黒刀を向けた。
一方、その頃――。
クラマと野槌の戦場では、異様な光景が広がっていた。
クラマの小さな身体を締め上げていた野槌の触手から、次々と赤い血が噴き出していたのだ。
ボトッ、ボトボトッ……!
鋭利な爪で刻まれた触手の肉片が、重々しく地面へ落ちていく。
「……な、なんだって……!?」
野槌は、目の前の突如とした異変に息を呑んだ。
血の海の中に、ひとつの人影が俯いたまま立っている。
よく見ると、クラマの頭上にあった愛らしい狐耳は完全に消失し、白銀だった髪は、怨念のような禍々しい漆黒へと変色していた。
「……クラマ……なのか……?」
野槌は地べたに散らばる大量の肉片へ目を落とす。それはすべて、クラマを絞め殺そうとしていた自分自身の触手だった。
クラマがゆっくりと顔を上げる。
その両眼は、赤黒い血の海のごとく染まっていた。
血に濡れた幼い口元が狂暴に開き、人間離れした二本の鋭い牙が覗く。
「……おい、クラマ?」
野槌が困惑混じりに呼びかける。
しかし、返事はない。
「ぐるぅぅぅ……っ!!」
獣そのものの禍々しい咆哮を上げ、黒髪のクラマが野槌へ躍りかかった。
黒い爪が一閃する。
野槌は咄嗟に触手の腕を盾にして受け止めようとした。
ザンッ!!
「ぐっ……あぁっ!?」
防御した触手の腕が一瞬で切り裂かれ、地面へと転がった。
野槌は再生の追いつかない腕を押さえ、後ずさる。
「お前……本当にクラマなのかっ!?」
「ぐるぁぁぁぁっ!!」
クラマは理性を失った獣の声を上げるだけで、牙を剥き出しにして容赦なく追撃する。
野槌は必死に身をかわそうとしたが、地中に根を張っていた尾の触手が足に絡まり、自らの動きを阻害した。
「くそっ……鬱陶しいなっ!!」
野槌は尾を自ら引きちぎるようにして振り払い、無様にも地を転がってクラマの爪を避けた。
「……残念だ。本当に残念だよ、クラマ」
野槌は惨めに立ち上がり、獣と化したクラマを苦々しく見据える。
「あの『美麗』とかいう傲慢な女狐の言っていた血を使う羽目になるとはな……!」
野槌は懐から、禍々しく蠢くどす黒い液体の入った小瓶を取り出した。
そして、それを躊躇なく一気に飲み干す。
ドクンッ……ドクンッ!!
瞬時に、切り裂かれた野槌の腕が気味の悪い音を立てて完全再生した。それどころか、野槌の瞳もまた、クラマと同じ凄惨な赤黒さに染まり上がっていく。
「……まあいい。『力に溺れる』のも悪くない」
野槌の顔が、狂気と愉悦に歪む。
次の瞬間、超常の力を得た野槌は襲いかかるクラマの頭部を力任せに掴み、そのまま石畳の広場へと豪快に投擲した。
ドガァァァンッ!!
黒髪のクラマは宙を舞い――斬鬼と窮奇のちょうど中間地点へと激しく叩きつけられた。
「……ん?」
斬鬼が黄金の瞳を向ける。
そこへ野槌が悠然と現れ、手負いの窮奇に声をかけた。
「窮奇、こっちへ戻れ。今から最高に面白くて残酷なショーが始まるぞ」
野槌が下品に嘲笑う。
窮奇は斬鬼の狂気を警戒しつつも、野槌の隣へと退いた。
叩きつけられたクラマは、ゆらりと起き上がり、血走った赤黒い瞳で斬鬼を鋭く睨みつける。
「ぐるぅぅぅ……っ!!」
「あははっ! 今度はこの子が僕と遊んでくれるの?」
斬鬼は可憐に、そしてどこまでも狂気的に笑った。
そして、黒刀の鋭い切っ先を、かつての仲間であるクラマへとまっすぐに向けた。
「……さあ、遊ぼうよ?」




