第40話 野槌の網、そして新たなる不穏
全身に激烈な稲妻を纏い、クラマは紫煙を引いて野槌へと肉薄した。
次の瞬間――。
ビビビビッ……!!
野槌の周囲の空気が怪しく歪み、見えない暴風の刃が渦を巻いて咲き誇る。
鋭い切断音が絶え間なく響き渡るたび、野槌の肉体に深い切り傷が刻まれ、朱い血が霧となって舞った。
「……っ!!」
だが、クラマも神経を焼き付ける激痛で絶叫しそうになるのを噛み殺し、クラマは踏み込みを止めない。
神経を灼く雷光に身を包んだ身体が、野槌の触手の隙間を擦り抜け、一瞬にして野槌の極至近距離――懐へと滑り込んだ。
「……あははっ! すごく速いよクラマっ!!」
野槌の裂けた口が、歓喜に濡れて大きく歪む。
「全盛期の……クラマに近いんじゃない!?」
直後、野槌の背から生えた数本の太い触手が、地を打つ音を立てて唸りを上げた。
クラマは交差させた両腕の黒い鎧爪で、正面からその必殺の一撃を受け止める。
ドォォォンッ────!!
「ぐっ……あぁぁぁっ!?」
爆炎のような凄まじい衝撃。
クラマの小さな身体は石段の上を大きく弾き飛ばされ、地面を滑りながら両手の爪を深く突き立てて、どうにか滑落の勢いを殺した。
しかし――。
バチッ……バチバチッ……
クラマの全身を覆っていた激しい青白き雷光が、弾ける音とともに次々と霧散していく。
同時に、限界を超えた神経の自壊に耐えかね、黒狐の鎧も剥がれ落ちるようにゆっくりと消滅していった。
「はぁ……はぁ……っ……ゲホッ……っ!」
クラマは大量の血を吐き出し、苦しそうに肩を上下させながら、ふらつく膝をどうにか起こす。全神経を焼き尽くす反動が、一気に押し寄せていた。
「とても速いよ、クラマ……」
野槌は狂気を含んだ笑みを深めた。
「……ま、速い『だけ』だったけれどね」
野槌がそう呟いた瞬間。
野槌はクラマが身を削って刻み込んだ無数の深い傷口から、おぞましい粘液が噴出し、見る間に肉が盛り上がって元通りに塞がっていった。
クラマは血走った瑠璃色の目でそれを激しく睨みつけた。
「……くっ……まだ……っ!!」
それでもクラマは立ち上がる。足元がおぼつかず、膝がガクガクと震える。
それでも――九尾の王としての矜持が、倒れることを許さなかった。
――ズズズズズズズ……。
その時だった。
山全体の岩盤の奥深くから、不気味な低音の地鳴りと振動が響き渡った。
「……なにごとじゃ……っ!?」
クラマが歪む視界で足元を見下ろす。
次の瞬間――。
ズドォォォンッ!!
足元の石畳を内部から爆破するように突き破り、野槌のおぞましい触手が何本も一斉に跳ね上がった。
「しまっ――!?」
「捕ーまえた」
ギュウゥゥゥッ!!
無数の触手が、クラマの華奢な四肢と胴体へ頑丈な蛇のように固く絡みつく。
「ぐわぁぁぁぁっ!?」
骨が軋む音とともに、クラマの叫びが木霊した。
「あははははっ!」
野槌は幼児のように愉悦に浸って笑った。
「引っかかったぁ。石畳を攻撃していた時から、地中に根を張っていたんだよ」
見ると、野槌の尾のような太い本脈の触手が、地面へと深く突き刺さっていた。
「このままじっくり玩具にして遊んでもいいんだけどさぁ……」
触手がさらに力を込め、クラマの体を破壊せんと締め上げる。
「あんまり遊んで時間をかけすぎると、あのアラタのバカに『無駄な時間を使うな』って叱られちゃうからなぁ」
『おいっ! クラマしっかりしろっ!! 意識を手放すなっ!!』
体内で炎狐が狂ったように叫ぶ。
しかし――クラマの瑠璃色の視界は、激痛と酸素欠乏により、徐々に漆黒へと染まっていった。
「……っ……九……十九……」
身体から完全に力が抜け落ちる。
そして――九尾の王・クラマの頭が力なくガクリと垂れ下がった。
「あはは……逝っちゃった?」
野槌はそれを見て、さらに嗜虐的な笑みを深めた。
「……じゃあね、クラマ」
触手がトドメを刺すべく大きくなり締め上げてクラマの姿はかき消されていく、そして……触手の隙間から大量の血が辺りに飛び散ッていった。
――その頃。
屋敷前の広場では、九十九のもとで全く別の、そして更なる異常な異変が繰り広げられていた。
九十九の意識は、すでに豪鬼の放つ漆黒の憎悪に完全に飲み込まれかけていた。
「……もっとだ……もっと魂を寄越せぇ……」
黒い痣が顔面を覆い尽くし、濁った瞳が凄絶に窮奇を捉える。
九十九――いや、九十九の肉体を乗っ取った豪鬼は、爆発的な脚力で一気に間合いを詰めた。
そして、漆黒の霊気を纏わせた黒刀を、力任せに振り下ろす。
「――ッ!?」
神速を誇る窮奇が、咄嗟に右腕の巨大な鎌を掲げて受け止めようとした。
バキンッ────!!
広場に鼓膜を刺す鈍い破壊音が響く。
「……なに……っ!?」
衝撃圧で後方へ吹き飛ばされた窮奇が、驚愕して己の右腕を見つめた。
自慢の剛鎌に、蜘蛛の巣のような深い亀裂が走っていたのだ。
「ククク……ハハハハハッ!!」
豪鬼が肉体を歪ませて嘲笑う。
さらに速度を跳ね上げ、黒刀を縦横無尽に振り回した。
シュッ! ズバッ!
空気を切り裂く乾いた断裂音が連続する。
しかし――。
「……チッ、消えたか……」
刀の手応えはない。そこに窮奇の姿はなかった。
豪鬼がゆっくりと首を巡らせる。
離れた石畳の上、口元を苦々しく歪めた窮奇が立っていた。
「力だけは……化け物じみているようだな」
窮奇の姿が、再び風と同化するように掻き消える。
「――だが、当たらねば意味がない」
次の瞬間。
一陣の暴風と化した窮奇の多重攻撃が、豪鬼の巨力を一方的に翻弄し、その肉体を刻んでいく。
「もっと……魂をよこせぇぇぇっ!!」
豪鬼が血反吐を撒き散らしながら叫ぶ。
「……くだらん、弱いやつを相手にするのも飽きた……そろそろ死ね」
窮奇が背後から、九十九の首級を狩るべく鎌を振り下ろした。
スパッ────!!
猛烈な風圧で砂埃が盛大に舞い上がった。
やがて風が吹き抜け、砂煙が晴れる。
「…………?」
窮奇は己の鎌を見つめ、不気味そうに眉をひそめた。
窮奇の鎌は、九十九の首筋のわずか数ミリ横、虚空を通り過ぎていたのだ。
(なんだ……? 今、完全に間合いに入っていたはず……)
窮奇が目を細める。
(……ただの偶然か?)
間髪入れず、今度は首を刎ね飛ばす水平の横薙ぎ。
しかし――。
キィィィンッ!!
「が……っ!?」
九十九は振り返りもせず、背後へ回した黒刀の背で、完璧な角度と力加減で窮奇の鎌を弾き返した。
「……なにっ!?」
窮奇が驚愕に目を見開く。
立ち尽くす九十九の瞳が、爛爛と黄金色に輝いていた。
だが……その黄金の瞳孔は、縦に細く裂けた人間のものでも、豪鬼のものでもない、異質な怪物の眼光へと変貌していた。
『お前は……誰だ……っ!? なぜ肉体の主導権を……!?』
九十九の体内で、豪鬼の焦燥しきった声が低く響く。
すると――。
「あははっ、君があまりにも楽しそうに玩具で遊んでたからさぁ……僕も来ちゃった」
九十九の口元が、顎が外れんばかりの不自然で可憐な笑みとなって吊り上がった。
「僕にも……混ぜてよ」
バチバチバチィッ────!!
次の瞬間。九十九の全身を覆っていた豪鬼の黒い痣が、まるで拒絶反応を起こしたかのように一斉に弾け、黒い煙となって消失していった。
『き……さま……っ、なんで……ここに??……』
豪鬼の絶叫が体内で掻き消える。
それに対して、九十九――その肉体を乗っ取った『何か』は、楽しそうにクスクスと鈴を転がすように笑った。
「ふふふ……あはははっ!」
怪しく輝く黄金の瞳が、呆然とする窮奇をまっすぐに見据える。
「僕は――斬鬼」
そして、愛おしそうに黒刀の柄を握り直した。
「……こっからは、僕のターンだよ」




