第36話 封印の尾獣と、未知なる甘味
「……と、こうしてわらわと千鶴は出会ったのじゃ」
鞍馬山での壮絶な思い出を語り終えたクラマは、懐かしむように遠い空を仰ぎ見た。
しばらくの間、九十九たちは言葉を失い、ただ沈黙していた。
千年以上も昔の都で繰り広げられた、あまりに濃密な伝承。
これまで聖良が陰陽界の歴史として教え込まれてきた記述とは、あまりにもかけ離れていたのだ。
「……白鳥家は?」
やがて、重い口を開いたのは聖良だった。
「橘家も、九条家も……一体どうなったの? 千年前のその時代に、私たちの先祖はどこにいたの?」
「八神家と皇家、それから楠家なら良く知っておるが……そんな名前の退魔師など、聞いたこともないぞ」
クラマが素っ気なく首を振る。
「……そんな……」
聖良はガクリと肩を落とし、拳を固く握りしめながら地面を見つめた。
「私が聞き及んでいた歴史と……あまりに違いすぎる」
葛藤と疑念に苛まれながらも、彼女の瞳に強い意志の光が宿る。
「……父さんと母さんに、直接確かめてくるわ。今度こそ……隠された事実を問い詰めてやる」
そう言うと、聖良は意を決して立ち上がった。
そして、九十九たちへ静かに振り返る。
「私は一度、実家へ戻るわ」
「聖良……」
「あなたたち、もし何か困ったことがあったら私を……白鳥家を頼りなさい」
聖良は毅然とした態度で胸を張った。
「こう見えても私は白鳥家当主の娘。それに、黒刀の正式な継承候補なんだから」
「……分かった。無茶はするなよ」
九十九が声をかけると、聖良は短く「ええ」とだけ答え、踵を返した。
背を向けたまま歩き出す彼女は、二度と振り返ることはなかったが、去り際に右手を小さく掲げてみせた。
九十九もまた、その背中に向けて小さく手を振り返す。
「……さてと」
聖良の細い背中が完全に森の木々に消えたのを確認し、九十九はクラマへと向き直った。
「八神千鶴か……いやあ、すげえお人だったんだな。で、そのあとはどうなったんだ?」
「それはまた今度の楽しみに取っておくことじゃな」
クラマはニヤリと不敵に口元を吊り上げた。
「それより、封印石の中で尾獣を待たせておる。あまり待たせるといじけてしまうからのう」
「尾獣?」
「うむ。それに……」
クラマが鼻をくんくんと鳴らし、周囲の空気を探る。
「風の流れる気配が戻ってきたようじゃ。おそらく風狐もこの近くにおるはずじゃ」
その言葉を裏付けるように、静まり返っていた森を一陣の爽やかな風が駆け抜けていった。
「よし、行くぞ」
クラマはそう言うと、気ままな足取りで森の深淵へと歩き始めた。
「お、おい、待てって!」
九十九も慌てて後を追おうとしたが、ふと足を止める。
「……葉月?」
見れば、先ほどから妙に大人しかった葉月が、ぼんやりとした顔で森の奥を凝視していた。
「……千鶴様……すごくかっこいい……」
「……そこ!?」
九十九はガクッと肩を落とし、思い切り呆れ顔を向けた。
「おいおい、おいてかれるぞ! 行くぞ!」
「え? あっ、はいっ!」
ハッと我に返った葉月は、小走りで九十九の後を追いかけていった。
しばらく鬱蒼とした森を進むと、突如として木々が途切れ、陽の光が差し込む小さな広場へと出た。
その中央に鎮座していたのは、見上げるほど巨大な不格好な岩石。
周囲には苔むした古びた祭壇の跡が残されており、気の遠くなるような長きにわたり、何か強大なものを祀り封じ込めていたことが窺えた。
「これが……噂の封印石か」
九十九は腰の黒刀の柄に手をかけた。
「ちょっと待て小僧、何を急に――」
「こうするんだよっ!!」
クラマの制止を聞くより早く、九十九は一気に黒刀を抜き放ち、一閃した。
ズガァァァンッ────!!
地響きのような轟音とともに、巨大な岩石が真っ二つに割れ破片が飛び散る。
だが――。
「……あれ? 何も出てこないぞ?」
首をかしげる九十九。
「お、おかしいぞ……!?」
クラマが慌てて割れた岩の亀裂へ駆け寄った。
「風狐! 風狐やい! どこへ行ったんじゃ!?」
必死に割れ目の隙間を覗き込むクラマ。
すると――。
「……んん……?」
そこには、一匹の毛並みの良い黒狐が、丸くなってすやすやと寝息を立てていた。
「お、お前……黒狐じゃないか!?」
クラマが驚愕の声を上げる。
「風狐じゃないのかたわけが!?」
「んぁ……?」
黒狐はうっとうしそうに薄目を開けると、大きな欠伸を一つ噛み殺した。
「もぉ……せっかく気持ちよく寝てたのにさぁ……」
そして、なんとも不機嫌そうにぽつりと溢す。
「僕、このまま永遠に封印されててもよかったんだけどなぁ……起きるの面倒だし……」
「なんじゃとおぉっ!?」
クラマが額に青筋を立てて怒鳴り散らす。
「お前は相変わらず筋金入りの怠け者じゃな! つべこべ言わずにわらわの元へ戻ってこい!」
「はぁ……しょうがないなぁ……」
黒狐はどこまでも億劫そうにのそりと立ち上がった。
「でも、あんまり僕を働かせないでよ?」
そう言い残すと、黒狐の身体は漆黒の光粒子へと変わり、吸い込まれるようにクラマの体内へと収束していった。
「ふっふっふっ……!」
力を取り戻したクラマの口元が、悪代官のように邪悪に吊り上がる。
「黒狐か! これで、あの九印とかいう生意気な小僧に、一泡吹かせてやれるぞ!」
「九印って誰だ?」九十九が尋ねる。
「鎌鼬の里で戦ったクソガキじゃ! もう少しのところで逃げられたのじゃ!」
『嘘だよ』
クラマの体内から、雷狐の呆れた声がすかさず割り込んできた。
『もう少しでクラマが死にそうだったじゃん』
「なんじゃとおぉぉっ!?」
クラマが怒髪天を衝く勢いで己の胸元を叩く。
「あと少し時間があれば、わらわの華麗な逆転劇が決まっておったんじゃ!!」
『はいはい、そういうことにしておいてあげるよ』
「なんじゃその冷めた反応はーっ!?」
相変わらずの不毛なコントのようなやり取りに、九十九は心底呆れたように肩をすくめた。
「なぁ……」
九十九はぽつりと呟いた。
「お前って、さっきから話を聞いてると負けてばかりじゃないか?」
「――な、なんじゃとおぉぉっ!?」
クラマの顔が見事なまでに引きつる。
「ま、まだ完全に元の力を取り戻しておらんからじゃ! 本気を出せばあんなガキ等……っ!」
「はいはい」
「次に会ったら、あんなガキなどコテンパンのギタギタにしてやるからなっ!!」
「分かった分かったから」
九十九は苦笑しながら懐から古びた地図を取り出した。
「んじゃ、無駄話は終わりにして次の封印石を目指そうぜ」
地図を広げ、指で目的地をなぞる。
「次は……T県の、烏山って場所だな」
「烏山か……」
クラマも身を乗り出して地図を覗き込んだ。
「そこには、わらわの古くからの知り合いの大妖が棲みついておる。おそらく、あの鎌鼬の兄弟どももそこへ向かっておるはずじゃ」
「……ってことは、一刻を争うな。急いだほうが――」
九十九が地図を畳もうとした、まさにその時であった。
「……私、クレープが食べたいわ」
隣で葉月が、どこか遠い目をしてぽつりと呟いた。
「……は?」
九十九が思わずフリーズして振り返る。
クラマもまた、不思議そうに首を傾げた。
「くれーぷ……とはなんじゃ? 」
「この世のものとは思えないほど、甘美で幸せな食べ物です」
葉月の瞳が、かつてないほど爛々と輝き出す。
「ふわふわで香ばしい生地の中に、とろけるような甘い白いクリームがたっぷりと詰まった……食べる者を幸せへと導く至高の甘味です」
「な、なんじゃとおぉぉっ……!?」
クラマの目が輝愕で見開かれた。
「九十九っ!!」
「なんだよ一体!」
「今すぐわらわをその『くれーぷ』とやらの元へ連れて行くのじゃっ!!」
「おい! 九印とかいうガキを追いかけるんじゃなかったのかよ!?」
「そんなガキなど後回しじゃ! クレープじゃ! わらわはクレープが食べたいのじゃぁぁっ!!」
クラマは欲望のままに力いっぱい叫んだ。
「……ハァ、分かった分かったよ……」
九十九は盛大なため息をつき、頭を抱えた。
「とりあえず、一番近い駅まで出よう」
「うむ! 苦しゅうないぞ!」
こうして九十九たちは、次なる封印石……そして魅惑の甘味を目指し、賑やかに歩みを進めるのだった。
――ただし。
これから彼らが向かう最寄り駅が、周囲に田んぼと定食屋が一軒あるだけの、無人の田舎駅だという絶望的な事実を。
この時の彼らは、まだ知る由もなかったのである。




