第23話 燃ゆる炎の庭と、黒き刃の目覚め
九十九たちは橘家の屋敷を目指し、道なき道を進んでいた。
先頭を切って歩く九十九のすぐ後ろには、ガードするように葉月と睦月が並び立ち、さらにその数歩後ろを白鳥聖良が優雅な足取りで追ってくる。
長い沈黙のなか、先ほどから背後に刺さる視線に耐えかねた葉月が、ついに我慢の限界を迎えたように足を止めて振り返った。
「ねえ……あなた、いつまでついてくるつもりなの?」
「何か不都合でも?」
聖良は涼しい顔のまま、どこか余裕を含んだ口調で返す。
「屋敷の場所を教えてくれるだけで十分よ。ここからは私たちの問題だわ」
「そうだ、そうだ。部外者は引っ込んでてほしいわね」
睦月も葉月の隣に並び立ち、腕を組んで力強く頷いた。
しかし聖良は怒る素振りも見せず、可憐な口元に淡い嘲笑を浮かべた。
「私は奪われた『黒刀』に用があるの。私の同行が気に入らないのなら、あなたたちが勝手に離れればいいのではないかしら?」
「私たちは千鶴様に、九十九を守るよう命じられているのよ!」
葉月が目角を立てて睨みつける。
だが、聖良は意に介した様子もなく、ふっと短く息を吐いた。
「守る……? 肝心の黒刀すら守れなかったくせに?」
「っ……!?」
葉月の額に青筋が浮かぶ。
「それは……! 私たちがまだいない時に、こいつが不意を突かれて奪われたからであって――!」
「理由はどうあれ『奪われた』という結果には変わりないでしょう?」
「あなたねぇ……ッ!!」
一触即発。葉月と聖良の間に、ピリピリとした殺気すら孕む火花が散り始めた。二人は至近距離で互いを睨みつけ、一歩も引く気配がない。
「ス、ストップ! 二人ともストップだってば!!」
見かねた九十九が青ざめた顔で慌てて二人の間に割り込んだ。
「今は橘家から黒刀を取り戻すっていう目的がある仲間なんだからさ……頼むから仲良くしてくれよ……!」
「九十九」
葉月がすかさず、射抜くような鋭い視線を九十九へ向けた。
「……あんた、どっちの味方なの?」
「…………」
九十九の額から、ダラリと冷や汗が垂れ落ちる。
「いや……その……二人とも大事な仲間というか、ですね……」
どう答えても地獄が待っている絶体絶命の問いに、九十九が視線を泳がせた――まさにその瞬間。
ドォォォォォンッ!!
遠方の地平を揺るがす、腹に響くような激しい爆発音が轟いた。
「っ!?」
全員が一瞬で喧嘩を止め、音のした方角へ視線を走らせる。
木々を越えた遠くの空へ、どす黒い巨大な煙の柱がぐんぐんと立ち上っていた。
「なんだ……何が起きたんだ……!?」
九十九が目を細める。
聖良が方角を割り出し、その美しい顔立ちを急速に緊張で強張らせた。
「あそこ……あの黒煙の上がっている場所……!」
聖良の指差した先。そこはまさに――。
「橘家の屋敷の辺りよ!」
「……っ!!」
九十九の顔から血の気が引いた。
「行こうっ!!」
九十九は叫ぶや否や、地面を力任せに蹴って煙の上がる方角へ一直線に疾走した。
「九十九!」と呼ぶ葉月たちの足音も、すぐ後ろに続く。
橘家に到着した途端、九十九たちの視界を覆ったのは猛烈な炎の海だった。
重厚な長屋門は砕け散り、手入れの行き届いていたはずの広い屋敷のあちこちから、天を突く赤蓮の炎が吹き荒れている。
「なに……これ……」
絶句する聖良の言葉を待たず、九十九は熱風を突き破って燃え広がる屋敷の奥へと突進した。
「九十九、危ないわ! 待ちなさい!」
葉月と睦月も必死に追う。
火の粉が舞い散る廊下を抜け、燃え盛る門を潜り抜けた先――そこには、異様なまでに静まり返った広大な日本庭園が広がっていた。
庭園の中央。
一人の男が立ち尽くしている。
背中を向けているため顔は見えない。だが、その右手に握られた無骨な黒い刀を見れば、それが誰なのか疑う余地もなかった。
「……橘大和」
九十九が固唾を飲んで呟く。
しかし、大和の正面――炎の揺らめく影の中に、もう一人の男が佇んでいた。
その異様な存在感を放つ影を目にした瞬間。
九十九の全身の血が、一瞬で凍りついた。
「……カイン……っ!!」
漆黒の外套を纏い、血のように赤い瞳を光らせる男。
かつて九十九たちの前に現れ、圧倒的な絶望を叩きつけた吸血鬼――『ヴァンパイアロード・カイン』。
由香を吸血鬼にした因縁の悪夢が、今まさに目の前に立っていた。
カインは九十九たちの気配に気づくと、優雅に口元を歪めた。
「お久しぶりですね」
鈴の鳴るような、だが酷く冷徹で余裕に満ちた声。
「もっとも……私はあなたがとっくに果てたものと思っていましたが」
九十九は、黒刀を奪われたあの時以上の強い怒りで、両拳を固く握りしめた。
カインは九十九の激昂を愛でるように笑う。
「まあ、よいでしょう。生き延びていたところで……」
冷酷な赤き瞳が、九十九を死の宣告とともに射貫く。
「今日、この場所で死を迎えるのですから」
「……あいつ、何者なの!? 凄い嫌な気配がするわ!」
葉月が小声で叫びながら、背中の錫杖に手をかける。
「あいつは吸血鬼だ」
九十九はカインから一瞬たりとも目を逸らさずに答えた。
「俺たちが追ってる全ての事件の……元凶だ!」
「なら、ここで息の根を止めるまでね」
聖良も長刀を静かに構え、臨戦態勢を取る。
だが――その殺気を遮るように、立ち尽くしていた橘大和が低く言い放った。
「お前らは引っ込んでろ」
大和はゆっくりと振り返り、九十九たちへ射るような鋭い視線を向けた。
「邪魔だ」
そして――手にしていた黒刀を、カインへ向けて一気に引き抜いた。
しかし。
「…………」
何も起きない。
かつて九十九が引き抜いた時のように、天地を揺らす黒い霧も、狂暴な妖気も、あの脳裏を削る不気味な声すらも。
何一つとして現れなかった。ただの冷たい鉄の塊として、黒刀は大和の手の中にあった。
「……なんで……?」
九十九が小さく呟く。
大和は構わず、自身の威圧感を全身から爆発させると、凄まじい踏み込みでカインへと肉薄した。
「おおおぉぉぁぁぁッ!!」
一閃。黒刀がカインの首元を目がけて一瞬で振り下ろされる。
だが――。
ガキィィンッ!!
鈍い音が響いた。
カインは退屈そうに、ただ片手の爪を立てて刃を受け止めていた。
「なっ……!?」
大和の目が驚愕に大きく見開かれる。
それでも大和は諦めず、鬼気迫る表情で何度も刀を振り下ろした。
右からの薙ぎ払い。左からの返し刃。鋭い袈裟斬り。
だが、そのいずれの必殺の連撃も、カインの最小限の身体捌きと指先によって、軽々と弾き飛ばされていく。
「なんだ……このナマクラは……っ!?」
大和は信じられないものを見る目で、己の手の中の黒刀を睨みつけた。
カインは鼻で嘲笑った。
「噂に聞く呪物『黒刀』も……この程度の代物ですか。拍子抜けですね」
「くそがぁぁぁっ!!」
大和は吐き捨てるように黒刀を地面へ投げ捨てた。
「偽物か!! 役立たずが!!」
大和は即座に背中の純銀の錫杖を抜き放ち、再びカインへと躍りかかる。
「違う……ッ!!」
九十九が叫んだ。
大和の背中を通り越し、九十九は燃える庭園の土の上に打ち捨てられた黒刀へとまっすぐに駆け寄った。
そして、迷うことなくその黒い柄を固く握りしめた――その瞬間。
ドックン――……。
脈打つような強い衝撃が全身を駆け抜け、頭の中に、懐かしくも禍々しい狂暴な声が響き渡った。
『……久しぶりだな』
九十九は目を見開いた。
どれほど恐ろしくとも、忘れるはずのない頭の底に響く声。
「……ああ」
九十九は吐息とともに、黒刀を力強く握り直した。
「久しぶりだな……豪鬼」
その瞬間。
キィィィィィン…………ッ!!
黒刀の刃から、空間を歪めるほどの禍々しく澄んだ共鳴音が、不気味に響き渡った。




