第22話 黒き稲妻と、折れぬ気概
カンッ! カンッ! ガンッ!!
荒れ果てた森の中に、甲高い金属音が甲烈に響き渡る。
九印の振るう巨大な黒槍と、クラマの両腕から伸びる漆黒の爪が幾度となく激突し、暗闇の中に眩い火花を撒き散らした。
「あははっ! 意外とすばやいんだね!」
九印はまるで遊戯に興じる子供のように、無邪気な笑みを浮かべて槍を繰り出してくる。
「……っ、強い! こいつ、見た目に反して滅茶苦茶強いぞ!」
クラマの肩口で、雷狐が焦りを孕んだ悲鳴を上げた。
クラマは激しい猛攻を爪で受け流しながら、荒い息を吐く。だが、その金色の瞳は一度たりとも九印から逸らされない。
「じゃが……!」
クラマの背後に揺らめく三本の尾。そのうちの一本が、眩い黄金色の輝きを放ちながら大きくうねった。
その先端に、大気をバチバチと震わせる凄まじい青白い電撃が集約されていく。
「これならどうじゃっ!!」
クラマが爪を振り下ろし、甲高い声で叫んだ。
「――『轟雷』ッ!!」
ドォォォォォンッ!!!!
次の瞬間。天を割って巨大な落雷が九印の頭上へと直撃した。
凄まじい爆風と震動が森を揺らし、視界を埋め尽くすほどの濃厚な砂煙と土煙が舞い上がる。
「どうじゃ……参ったか……!」
クラマは肩を激しく上下させ、膝を折りそうになる身体を耐えながら煙の向こうを凝視した。
やがて、風が吹き抜けて視界が晴れていく。
しかし――。
「……なっ……!?」
クラマの表情が絶望に凍りついた。
九印は、傷ひとつ負わずにそこに立っていた。
その手にある漆黒の大槍――その刃先から、先ほどの強烈な稲妻が煙のように吸い込まれ、綺麗に消え去っていく。
「なんじゃと……!? 術を打ち消したというのか……!?」
「へえ、なかなかの妖術じゃない」
九印は感心したように槍をクルリと回すと、クラマへ向けて再び殺気を込めて構え直した。
「じゃあ、今度は僕の番ね」
黒い槍が、禍々しい紫黒の光を帯びて咆哮する。
「――『黒雷』」
ガシャァァァンッ!!
直後、槍先から放たれた漆黒の稲妻が、回避する隙もなくクラマの華奢な身体を打ち抜いた。
「ぐぁぁぁぁぁっ!?」
凄まじい衝撃に吹っ飛び、地面を何度も転がって膝をつくクラマ。全身の細胞が痺れ上がり、指先一つ動かすことすら覚束ない。
「クラマっ!? ……くそっ、次は俺の『獄炎』で焼き尽くしてやる!」
炎狐が激昂して前に出ようとする。
「やめろ、馬鹿っ!!」
雷狐が必死にそれを制止した。
「見てなかったのか!? あいつの槍は術を吸収して、そのまま何倍もの威力で反射してくるんだ! 妖術を出せば出すほど、こっちが追い詰められる!」
「……くっ!」
クラマは悔しさに歯を食いしばり、泥を固く握りしめた。
水狐も不安に押し潰されそうな声で訴えかける。
「クラマ……逃げようよ! まだ三本目の尾を取り戻したばかりの今の力じゃ無茶だ! 相性が悪すぎるよ……!」
「……嫌じゃ」
クラマは震える足に力を込め、ゆっくりと身体を起こした。
「わらわが逃げ出せば……あの鎌鼬の生き残りたちはどうなるのじゃ……!」
「じゃあ、どうするんだよ!? このままじゃ殺されるぞ!」
水狐の叫びを背に受けながら、クラマは何も答えず、ただ両手の黒爪を再び力任せに引き抜いた。
「……まだじゃ」
膝をガクガクと揺らしながらも、九印を強く睨みつける。
「わらわは……まだ倒れておらんぞ……!」
「しつこいなぁ。そろそろ諦めて死になよ」
九印は興醒めしたように、呆れた溜息を吐いた。
一方、その頃。
黒煙の立ち込める鎌鼬の村の広場では――。
「そろそろ、あの『呪物』のありかを教えてもらおうかしら」
九条美麗が、血の海に倒れ伏す大鎌鼬を冷徹な見下ろしていた。
「……『玉手箱』のありかをね」
「そんなもの……知らんと言っておるだろ……!」
大鎌鼬が途切れ途切れの声で睨み返す。
美麗は感情の籠もらない溜息をひとつ吐いた。
「強情ね」
その冷酷な声に、大鎌鼬が苦しげな呻き声を漏らす。
「叔父上ぇぇっ!」
楓が耐えかねて、制止を聞かずに飛び出した。
「馬鹿! やめろ楓っ!」
颯の叫びも届かず、楓は尾についた鎌を必死の思いで振り抜いた。
鋭い一閃が美麗の細い腕を激しく弾き飛ばす。
「……あら」
美麗は自身の裂けた腕を、まるで他人事のように見つめた。
「痛いわね」
しかし――その表情には、恐怖も苦痛も一切存在しない。
傷口から溢れ出た血が、まるで生き物のように蠢き、肉を繋ぎ合わせて一瞬で元通りに修復されていく。
「なっ……!?」
絶望に息を呑む楓。
次の瞬間、美麗の長腕が蛇のように伸び、楓の細い首元を軽々と掴み上げた。
「キャッ!? 離して……っ!」
「そろそろ話してくれないと……」
美麗は表情一つ変えずに言った。
「この娘の首が、どうなってしまうか分からないわよ?」
「……っ!!」
大鎌鼬は激しい悔しさに歯を限界まで食いしばり、全身を震わせた。
静寂が支配する現場。
やがて――。
「……分かった」
大鎌鼬は全てを諦めたように潰れた声で呟いた。
そして、その口から――重厚な妖気を纏った一つの古い小箱を吐き出した。
「これが……求めておる『玉手箱』じゃ……」
「まあ……」
美麗の目が、歓喜に細められた。
「こんなところにあったのね」
美麗は落ちた箱を愛おしそうに拾い上げると、掴んでいた楓を颯の方へとゴミのように投げ捨てた。
「楓っ!?」
颯が間一髪で妹を受け止める。
「大丈夫か、楓っ!?」
「お兄ちゃん……うっ……うわぁぁんっ!」
抱き合って震える二匹を一瞥したあと、美麗は大鎌鼬へ冷ややかな視線を戻した。
「用は済んだわね」
そして大鎌鼬の頭を踏み潰した。
グシャっと鈍い音が響き、もう動かなくなった。
美麗はくるりと踵を返した。
「九印」
少し離れた場所でクラマを追い詰めていた九印へ、透き通るような声をかける。
「ここでの用事は済みましたよ。帰ります」
「えぇぇぇっ!?」
九印が露骨に不満そうな声を上げた。
「なんでだよお母さん! もう少しでこの化け物を殺せるのに!」
「私の言うことが聞けないの?」
美麗の声のトーンが、急速に冷たく低くなる。
「……ちぇっ、わかったよ」
九印は渋々槍を下ろすと、舌を出しながらクラマの前で足を止めた。
「運が良かったね、キツネさん」
そう言い捨てると、九印は美麗の後を追い、二人の姿は深い森の闇奥へと消えていった。
「……た、助かったのか……?」
雷狐が腰を抜かしたように呟く。
「危なかったね、クラマ……」
「ふんッ!」
クラマは荒い息を整えながら、大きく鼻を鳴らした。
「あやつら……わらわの秘めたる真の力に恐れをなして逃げ出したのに決まっておるじゃろ!」
「……どう見ても、向こうの都合で見逃してもらっただけだと思うけど」
水狐が呆れたようにぼそりと突っ込む。
「うるさいわいっ!!」
クラマが真っ赤になって怒鳴りつける。
そこへ、傷ついた颯と楓が肩を貸し合いながら駆け寄ってきた。
「クラマ様……ご無事でしたか……!」
「……すまん」
クラマは珍しく気まずそうに視線を落とした。
「あやつらを逃がしてしまった……」
そして、悲惨な村の奥へと目を向ける。
「大鎌鼬の長は……大丈夫なのか?」
楓は何も答えず、ただ涙をポロポロとこぼしながら、静かに首を横に振った。
「……そうか」
クラマは静かに目を伏せ、沈黙を守った。
悲しみの風が村を吹き抜けていく。
「お前たち……これからどうするつもりじゃ?」
颯が力強く顔を上げた。
「我々は他の集落の妖魔たちのもとへ身を寄せ、力を合わせて復讐の機会を伺います」
「そうか」
「クラマ様も……ご一緒にいかがですか?」
クラマは少しだけ考え、背中の三本の尾をゆったりと揺らした。
「いや……わらわは、自分の封印を解かねばならん」
固く拳を握りしめる。
「あの生意気な小僧をぶん殴るために……もっと力をつけねばならんからの」
「……承知いたしました」
颯は深く深々と頭を下げた。
「どうか、ご無事で」
二匹の鎌鼬は、生き残った村人たちを連れて森の深奥へと去っていった。
その背中を、クラマは言葉もなく見送った。
「……クラマ」
雷狐が静かに、優しく声をかける。
「やっぱり……九十九たちと合流しようよ」
「…………」
「今のままじゃ、また同じような強い敵が出た時に……取り返しのつかないことになるかもしれない」
クラマはしばらくの間、黙って地面を見つめていた。
やがて、ハァと可愛らしく小さな息を吐き出す。
「……そうじゃな」
そして、バッとそっぽを向いた。
「あやつら……わらわが居らねば、すぐに妖怪に食われて死んでしまいそうじゃからの!」
「ふふっ」
雷狐が嬉しそうに微笑む。
「全く……相変わらず素直じゃないんだから」
「うるさいと言っておるじゃろっ!!」
クラマは真っ赤な顔で叫びながら、ドタバタと歩き出した。
クラマが走るような足取りで九十九たちと別れた森の空き地へ戻ってくると――そこには、静寂だけが広がっていた。
ヒュゥと冷たい風が立ち枯れた木々の葉を揺らすばかりで、人の気配どころか、あの間抜けな九十九の姿すらどこにも見当たらない。
「……あやつら、どこへ消えたんじゃ?」
クラマはぽかんと口を開けたまま、きょろきょろと辺りを見回した。
「だから言ったろ?」
肩の上で、雷狐がどこか呆れたような声でつぶやいた。
「意地を張らずに素直になって、もっと早く戻ってくればよかったんだよ」
「うるさいっ!!」
クラマは顔を真っ赤にして即座に怒鳴り返した。
「うるさい、うるさい、うるさい! わらわの勝手じゃろっ!!」
「はいはい、分かった分かった」
雷狐は降参するように苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。
クラマは両頬をぷくーっと膨らませながら、不機嫌そうにしばらく周囲の足跡や気配を探っていた。
だが、やがて何かを閃いたようにハッと顔を上げる。
「……待てよ?」
「どうしたの?」
「強い妖気を感じる方向へ向かえばよいのじゃ!」
クラマは勢いよく東の空へと視線を向けた。
「九十九の奴らは、どこへ行っても勝手に厄介ごとに首を突っ込む連中じゃ。今頃どこぞの強い妖気を纏った敵と大立ち回りをしておるに違いナイ! 強い妖気を辿っていけば、いずれ追いつけるじゃろ!」
「またまた……そんな適当なこと言って……」
反対側の肩から、水狐が呆れたような溜息を漏らす。
「ほう……」
すると、炎狐がメラメラと身体の炎を滾らせながら、嬉しそうに身を乗り出してきた。
「強い妖気があるってことは――」
ギラリと瞳を輝かせる。
「また思いっきり暴れられるのか!?」
クラマはそれを見て、ニヤリと不敵で可愛らしい笑みを浮かべた。
「……そういうことじゃ!」
「やったぁぁっ! 腕が鳴るぜ!」
炎狐が歓声を上げて跳ね回る。
「まったく……二人とも暴れることしか頭にないんだから」
雷狐は呆れ果てたようにハァと深いため息をついた。
クラマはそんな雷狐の小言を意に介さず、白銀の髪をなびかせて東の方角へ向かって力強く歩き出した。
「待っておれ、九十九」
その口元には、どこか嬉しそうな、愛おしさを隠しきれない小さな笑みが浮かんでいた。
「今度こそ……わらわが格好よく助けてやるからの」
夕闇が迫る東の空の下。
意地っ張りな大妖狐の背中を、三匹の小さな管狐たちが賑やかに追いかけていった。




