第15話 砕かれた信頼と新たな敵
「ここだよ」
大和が車を路肩に停めた。彼が示してみせた先には、ひときわ重厚な存在感を放つ巨大な屋敷が鎮座していた。
立派な長屋門。その奥には手入れの行き届いた広い庭園と、何代にもわたってこの地で受け継がれてきたことが一目でわかる、古風で格式高い木造建築が佇んでいる。
「でかっ……」
思わず九十九は気押されたように声を漏らした。
大和は苦笑いを浮かべると、門の前で振り返る。
「ここで待ってて。僕が話をつけてくるよ。お狐様を見せてもらえるよう、上手く頼んでみるからね」
「……ああ、頼む」
大和は爽やかに手を振ると、門をくぐり、静まり返った屋敷の中へと入っていった。九十九とクラマは門の脇で待機する。
――それから、しばらくして。
「何を考えておるんだ、貴様はぁぁぁっ!!」
屋敷の静寂を切り裂くように、怒号が響き渡った。
「えっ!?」
九十九が跳ね起きるように顔を上げた、まさに次の瞬間――。
「うわぁぁぁっ!?」
門の奥から大和が転がるように弾き飛ばされてきた。
「ちょっと待ってくださいって! 僕はただ、少しお狐様を見せてほしいって言っただけじゃないですか!」
大和が尻もちをつきながら叫ぶ。
「黙れぃ!! 私からご神力水を奪おうというのかっ!!」
怒声とともに、屋敷から一人の老人が姿を現した。その手には古びた一振の槍が硬く握りしめられている。この村の村長だ。さらにその背後から、目つきの鋭い警備員らしき男たちが四人、殺気を孕んでぞろぞろと現れた。
「おい……九十九」
腰の黒刀から、コンの低く切迫した声が響いた。
「なんだ?」
「……あいつら、ただの人間じゃねえ。ヤバい妖力を纏ってやがるぞ」
「えっ――」
九十九が目を凝らした、その瞬間だった。
「死ねぇぇぇっ!!」
四人の男たちが一斉に槍を構え、地を蹴って大和へ襲いかかった。
「うわっ!?」
大和が恐怖でギュッと目を閉じる。
――バチチィィィィッ!!
その瞬間、空気を力任せに裂くような鋭い雷鳴が轟いた。
襲いかかった四人の男たちの身体を黄金の電撃が突き抜け、悲鳴をあげる暇もなく一斉にその場へ倒れ込む。
「なっ……!?」
九十九が目の前の出来事に呆然とする。
その隣では、クラマが胸の前で優雅に片手を掲げていた。彼女の背後には、黄色い光を放つ雷狐の尾がゆらりと一本、妖しく揺れている。
「わらわのハンバーガーを奪おうとした罪じゃ」
「おいっ!? 相手は人間だぞ!?」
九十九が青くなって叫ぶ。
「知らん。わらわの食事を邪魔する者はすべて敵じゃ」
「いや、そういう問題じゃ――」
「き、君たちは……いったい何者なんだ……?」
大和が腰を抜かしたまま、困惑と恐怖の入り混じった目で二人を見つめる。
「ご、ごめんなさい……ちょっとワケありで……」
九十九が冷や汗を流して苦笑いを浮かべた、まさにその時だった。
「貴様ら……やはり私のご神力水を狙う賊だなっ!!」
村長が狂気に満ちた目で叫んだ。
「違うって言ってるでしょ!?」
大和も必死に叫び返す。
だが、村長は完全に猜疑心にとらわれており、聞く耳を持たなかった。
懐から一本の怪しい透明な瓶を取り出すと、迷うことなくその中身を一気に飲み干した。
「これで……終わりだぁぁぁっ!!」
直後――。
ボッ!! ズガァァァンッ!!
村長の身体から超高熱の激しい炎が噴き出し、その全身を包み込んだ。
「なっ……!?」
九十九が絶句して目を見開く。
荒れ狂う炎の中から現れたのは、もはや人間の姿ではなかった。
全身を燃えさかる紅蓮の炎で覆われた、巨大な赤い妖狐。その双眸が殺意でギラリと光る。
「グルルルル……っ!!」
妖狐は低く唸ると、足元に倒れていた四人の警備員を容赦なく掴み上げた。
「おい、やめろ! 待てっ!!」
九十九が叫ぶ。
しかし妖狐は止まらない。四人の身体を次々と口の中へ放り込み、咀嚼し、飲み込んでいく。そのおぞましいエネルギーを得て、妖狐の身体はさらに一回り大きく膨れ上がった。
そして――真っ赤な瞳でクラマを威嚇するように睨みつける。
「……わらわを相手にする気か?」
クラマは不敵に口元を吊り上げた。
「九十九!」
クラマがパッと振り向く。
「こいつはわらわが叩き潰す! お前は屋敷の奥へ行き、封印の要石を探すのじゃ!」
「分かった!」
クラマが両手を掲げる。
「――轟雷っ!!」
バリバリィィィンッ!!
天から落とされた強烈な雷撃が直撃し、巨大な赤い妖狐が苦悶に怯んだ。
「今じゃっ!!」
その隙を突いて、九十九は一気に屋敷の奥へと走り込んだ。
長い廊下を駆け抜け、角を曲がり、さらに奥へ。
やがて辿り着いたのは、屋敷の最奥に隠された広大な中庭だった。
そこには小さな神秘的な水場があり、その中央に――巨大な黒い岩が鎮座していた。
「これか……!」
コンの声が響く。
『間違いない! これが封印の要石だ!』
九十九は迷わず黒刀を抜き放った。
「悪いな……ッ!」
魂を込めて黒刀を振り下ろし、岩の核心へ突き立てる。
――バキィィィィンッ!!
巨大な岩の表面に無数の亀裂が走った。
次の瞬間、音を立てて岩が粉々に砕け散り、その中心から眩い赤い光が勢いよく飛び出した。
「うわっ!?」
赤い光は空へと高く舞い上がると、そのまま屋敷の外へと飛び去っていく。
「クラマのところか!」
九十九は黒刀を握り直し、足をもつれさせながら急いで元来た道を走って戻った。
だが――。
屋敷の外へ飛び出すと、すでに惨劇の戦いは終わっていた。
そこには、全身が黒焦げの塊と化した村長が倒れている。
その前に、クラマが静かに立っていた。
「哀れなやつよ…もはや人間には戻れぬ…恨むなら我を恨め」クラマはそう呟く、そして
「遅かったな、九十九」
クラマは自慢げにフンと鼻を鳴らして笑ってみせる。
九十九の視線は、地面に倒れた村長の遺体から離れなかった。
「……殺したのか?」
喉が引きつり、声が震える。
「人間を……殺したのか……っ!?」
クラマはわずかに痛みを堪えるように目を伏せた。
「……こやつは妖力と魂が完全に結びついておった。もはや人間には戻れんかったのじゃ」
「でも……っ!」
九十九は血が滲むほど固く拳を握りしめた。
「何か……何か元に戻す方法があったはずだろっ!?」
「では、どうすれば良かったというんじゃ?」
クラマは澄んだ瞳で、静かに九十九に問い返した。
「このまま放っておけば、狂ったこやつはこの村そのものを焼き尽くしておったぞ」
「……っ」
「わらわは、あいつをあのまま狂気に苦しませ続けるより……ああして引導を渡す方が救いになると判断したまでじゃ」
九十九は打ちひしがれたように俯いた。
そして、ぽつりと、取り返しのつかない言葉を吐き捨てる。
「……やっぱり、お前は……化け物なんだな」
クラマの表情が、一瞬だけピキリと凍りついた。
その瞳に一刹那だけ浮かんだのは、壊れものを見るような深い悲しみ。
しかし、それも本当にほんの一瞬のことだった。
「そうじゃな」
クラマはどこか寂しげに、けれど強がって笑った。
九十九は悲しそうな顔を見てハッと気まずそうに下を向いた
「わらわは化け物じゃよ」
そして、真っ直ぐに九十九の目を見つめ返す。
「だがな、化け物にだって善悪の区別くらいはつく。……こやつを野放しにして、この村が焼け落ちる方が良かったとでも言うのか?」
九十九は口を固く結び、何も答えられなかった。
クラマは小さく、あきらめたようにため息をつく。
「付き合いきれんわ」
吐き捨てるようにそう言うと、クラマは九十九に背を向けて去っていった。
――その時だった。
ガシッ。
「……え?」
九十九の背後で、予期せぬ衝撃が走った。
驚いて振り向くと――倒れていたはずの大和が、いつの間にか九十九のすぐ後ろに立っていた。
その手には……九十九の腰にあったはずの黒刀が握られている。
「なっ……!?」
九十九が目を見開く。
大和はこれまでの爽やかな表情をかなぐり捨て、お腹を抱えて不気味に笑い始めた。
「ははは……っ! いやぁ、君たち、あまりにも素直すぎてちょっと焦っちゃったよ」
「お前……何なんだよっ!?」
九十九が叫ぶ。
大和は心底楽しそうに笑いながら、奪った黒刀を月光にかざしてみせた。
「僕が村長を唆したんだよ。『ご神力水を狙う奴らが来る』ってね」
「……何だと?」
「君たちを仲違いさせるための計画さ。まさか、こんなに面白いくらい上手くいくとは思わなかったけどねぇ」
九十九は歯が折れるほど強く噛みしめる。
「お前……最初から全部……俺たちを騙して……!」
「そういうこと」
大和は愛おしそうに黒刀の身を眺めながら、不敵な笑みを浮かべた。
「僕こそが、この黒刀の『正統継承者』だよ」
「継承者……?」
九十九の脳裏に、以前出会った少女――白鳥聖良の姿が過った。
「白鳥聖良と……同じなのか……!?」
「ああ、あの子?」
大和は鼻で嘲笑った。
「ただの出来損ないだよ。勝手に継承者を名乗ってるだけ。僕こそが一番強くて、一番ふさわしいんだからね」
「……っ!!」
九十九が素手で身構える。
だが、大和にはここで九十九たちと戦うつもりなどサラサラないようだった。
「この黒刀は、僕が有効活用してあげるよ」
大和はそう言うと、自身の首から下げていた瑠璃色の不気味なペンダントをそっと外した。
次の瞬間――。
ズンッ……!!
大気が悲鳴を上げ、周囲の空間そのものが激しく揺れ動いた。
大和の体内から、底知れない禍々しい妖力が爆発的に解き放たれ、周囲へ広がり渡っていく。
「な……なんだ……この次元の違う妖力は……っ」
あまりの威圧感に、九十九は思わず後ずさった。
大和は満足そうに笑う。
「じゃあね。楽しかったよ」
大和はスマートに車へと乗り込むと、猛スピードで車を疾走させて去っていく。
そして、開けた窓からポイと何かを外へ投げ捨てた。
「僕からの、ささやかなお土産だよ!」
地面に落ちたのは、一枚の古びた怪しい呪符だった。
「……?」
九十九が拾い上げる間もなく――。
ボンッ!!
呪符からどす黒い煙が爆発的に噴き出した。
煙の中から、見るもおぞましい巨大な妖魔がその巨躯を現す。
「うわぁぁぁぁっ!?」
黒刀を奪われた九十九は、パニックになりながら心の中で叫んだ。
(コン??いないのか?! 出てこい豪鬼っ!!)
――。
しかし、何の応答もない。
(……豪鬼……っ!?)
返事は影も形もなかった。
「おい……嘘だろ……っ!?」
巨大な妖魔が、逃げ場のない九十九へ向かってゆったりと踏み出してくる。
「くそっ!!」
九十九は足元にあった拳大の石ころを拾い上げ、やけくそで投げつけた。
コツン。
石は妖魔の皮に当たり、虚しく地面へ落ちる。
「……」
妖魔はゆっくりと顔を上げた。
そして――九十九の絶望をあざ笑うかのように、ニヤリと口元を歪める。
「ひぃぃぃ……っ!!」
九十九が尻餅をついて後ずさった。
まさに、その瞬間――。
――ボッ!!
妖魔の巨体が、前触れもなく突如として激しい炎に包まれた。
「グオォォォォォッ!?」
断末魔の叫びを上げながら、妖魔は炎の中で急速に崩れ落ち、一瞬にして灰となって消え去っていく。
「……え……?」
目の前の出来事に呆然とする九十九。
すると、背後の暗がりから、冷ややかな少女の声が響いた。
「……千鶴様に『九十九を守れ』って言われたから来てみれば……」
「……こんな情けない人間だなんてね」
九十九は呆然としたまま、ゆっくりと振り返った。
そこには――夜の闇の中に立つ、二人の少女の姿があった。




