第14話 念願の逸品と新たな誘い
「……で、次はどこへ向かばいいんだろう?」
がたごとに揺れるローカル線の車内。九十九は膝の上に古びた地図を広げ、隣のシートにちょこんと腰掛けるクラマへと尋ねた。
「……」
返事はない。
クラマは小さな膝を両腕でぎゅっと抱え込んだまま、窓の外の漆黒の闇を見つめて何やらボソボソと呪文のように呟いている。
「……おい、まだ怒ってるのか?」
「……はんばーがー」
「……」
クラマは恨めしさに満ち満ちた瑠璃色の瞳で、じろりと九十九を睨みつけた。
「はんばーがー……。ワシを騙したな、九十九……」
「騙したわけじゃないって。次の目的地に着いたら、真っ先に探して買ってやるから」
「……本当じゃな?」
クラマがゆっくりと顔を上げる。
「男に二言はないぞ? 約束じゃからな?」
「ああ、約束する」
「……」
クラマはじーっと九十九の目を凝視したあと、最後にキッと威嚇するように眉をひそめた。
「絶対じゃぞ! 破ったら破門じゃからな!」
「分かった分かった。だから機嫌直せって」
クラマはフンッと鼻を鳴らし、ぷいっと顔を背けた。
九十九は苦笑しながら、再び手元の地図へと視線を戻す。
「えっと……ここから一番近い封印の残滓があるのは……」
地図に記された、朱色の怪しい印を指先でなぞる。
「G馬県……桑名村、か?」
「そこへ行くのか?」
「ああ。コンの探知でも、そこにかなり濃い妖気が眠ってるらしい」
九十九は地図を折りたたみ、立ち上がった。
「よし、乗り換えだ。行くぞ」
こうして二人は、次なる目的地であるG馬県桑名村へと足を進めたのだった。
二人が無人駅のような桑名村の駅へと降り立った頃には、夜の十時を大幅に回っていた。
「……」
駅前へと踏み出した九十九は、開いた口が塞がらなかった。
静まり返りすぎた田舎町。
街灯すらまばらで、辛うじて明かりを灯しているのは遠くに見える小さなコンビニエンスストアの一軒くらいだ。しかも近づいてみれば、そのコンビニすら『本日閉店』の札が掲げられている。
九十九の額を、冷や汗がツッと伝った。
「さて!」
隣に立つクラマが、待ってましたとばかりに可愛らしく胸を張る。
「約束通り、その『はんばーがー』とやらの店へワシを案内せいっ!」
「……」
九十九は気まずそうに、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「……わりぃ、クラマ」
「ん?」
「時間……遅すぎて、どこも開いてねぇみたいだ」
「……」
クラマの顔から、一瞬で爛々とした希望の光が消え去った。
「約束が……違うではないか……っ!」
「いや、だから店が開いてないんだって! 俺のせいじゃなくてだな――」
「ワシは腹が減って……腹が減って死にそうなんじゃぁぁぁっ!!」
怒り狂ったクラマが、九十九の胸ぐらを両手で掴んで激しく前後へ揺さぶる。ガクガクと脳揺れを起こす九十九。
「分かった! 分かったから落ち着けっ!!」
九十九は慌てて鞄の奥底を探り、買い込んでいたおにぎりを取り出した。
「とりあえず、これを食って落ち着けって!」
「……」
クラマはおにぎりを見つめ、ぷくーっと頬を膨らませた。
「わらわは……っ」
ぽろぽろと目角に涙を溜めながら、小さな声で呟く。
「わらわは……はんばーがーが食べたいんじゃぁ……っ」
ブツブツと文句を言いながらも、クラマはおにぎりを一口パクリと齧った。
だが、その瞳は今にも悔し涙が溢れ出しそうだった。
「……はんばーがー……」
――その時だった。
プップー。
夜の静寂を切り裂くように、軽快な車のクラクションが響いた。
二人が振り返ると、駅前のロータリーに一台のシルバーのSUV車がゆっくりと停車した。
「君たち、どうかしたの?」
運転席のドアが開き、一人の青年が降りてくる。
見たところ二十歳前後だろうか。整った爽やかな顔立ちに、どこか人懐っこい笑みを浮かべた親しみやすい青年だった。
「……」
クラマはおにぎりを咥えたまま、じっと青年を見上げた。
「……はんばーがーが食いたいんじゃ」
「……え?」
青年は一瞬ぽかんと目を丸くした。
そして次の瞬間、堪えきれずに吹き出した。
「あはははっ! なにそれ、最高だな!」
「何がおかしいかっ!!」
クラマが頬を膨らませてキーッと怒鳴る。
「ごめんごめん! いやぁ、可愛くてついね」
青年は笑いを噛み殺しながら頭を掻いた。
「でもさすがにこんな田舎の夜十時じゃ、どこも開いてないよ。ファストフードなんて隣町まで行かないとないしね」
「……っ」
クラマの小さな肩が、ガックリと落ち込む。
「でも――」
青年は爽やかに微笑み、続けた。
「よかったら、僕が泊まってる近くのホテルまで送ってあげるよ。僕も出張でこの村に来てるんだ」
「ホテル……?」
「うん。明日の朝でよければ、車で隣町の美味しいハンバーガーショップまで連れて行ってあげるよ」
「本当か!?」
クラマの瞳が、まるで夜空の星のように一瞬で輝きを取り戻した。
「約束じゃぞ!? 破ったら雷で撃ち殺すからな!?」
「あはは、怖いなぁ。うん、約束するよ」
「そうか! よし、許すっ!!」
クラマは嬉しそうに何度も頷いた。
「知っとるぞ! これは『車』という、人間が乗る走る箱じゃろ!」
自慢げに知識を披露しながら、クラマは迷いなく助手席のドアを開けて乗り込んだ。
「おいクラマ! 勝手に乗るなよ失礼だろ!?」
「早く乗り込むのじゃ九十九! はんばーがーが逃げてしまうぞ!」
「逃げねぇよ……はいはい……」
九十九は青年に向けて深々と頭を下げた。
「すみません……助かります。ありがとうございます」
「気にしなくていいよ。困ったときはお互い様だ」
青年は優しく笑うと、アクセルを踏み込んだ。
車内には、後部座席で機嫌を良くしたクラマの鼻歌が響き渡る。
「はんばーがー♪ はんばーがー♪」
青年はバックミラー越しにクラマの様子を見て、くすっと笑った。
「面白い妹さんだね」
「……はは、まあ……手がかかる奴で」
九十九は苦笑いを浮かべた。
すると青年が、気さくに名刺を出して自己紹介をした。
「そういえば、僕は橘大和。君たち、中学生くらいに見えるけど……こんな夜中に二人で旅なんて、何かあったの?」
九十九は一瞬思考を巡らせ、差し障りのない嘘を吐いた。
「あ、えっと……叔父さんの家へ向かってる途中なんです」
「なるほどね」
大和は納得したように頷く。
「『可愛い子には旅をさせろ』ってやつかな?」
「……まあ、そんなところです」
九十九は曖昧に笑いをごまかした。
その夜。
大和が気を利かせて手配してくれたビジネスホテルの部屋。
九十九は明日の旅の準備をしながら、腰の黒刀へと密かに話しかけた。
(……コン。あの大和って奴、どう思う?)
黒刀から、コンの囁くような声が脳内へと返ってくる。
『……妖力か?』
(ああ。変な気配とか感じないか?)
『……まったく感じないな。ただの親切で物好きな人間だ。少なくとも妖魔の類じゃない』
(なら……大丈夫か)
九十九はベッドへと目を向けた。
そこではクラマが、ふかふかの布団にくるまって幸せそうに寝息を立てていた。
(流石にクラマがいれば、普通の人間相手なら遅れはとらないだろ)
『……まあ、九尾の王を心配する人間なんて世界でお前くらいだけどな』
「はんばーがー……むにゃ……」
寝言までハンバーガーである。
九十九は思わずクスッと笑ってしまった。
「……本当に、そんなに食べたかったんだな」
ポツリと呟くと、九十九も隣のベッドへと横になり、深い眠りについた。
翌朝。
「ここだよ」
大和が車を路肩に停めた。
目の前には、アメリカンな装飾が施された大きなハンバーガーショップが建っていた。
「……っ!?」
車から飛び出したクラマの瞳が、眩いばかりに輝く。
「これが……噂の……っ!?」
店内に入るなり、クラマの目の前へ運ばれてきたのは、肉汁が滴る巨大なダブルチーズバーガーだった。
クラマは皿の上の物体を、息を呑んで凝視する。
「なんじゃ……この甘美な匂いは……」
小さな手で大事そうに持ち上げ、口を大きく開けて……パクリと一口。
「……」
一秒間の静寂。
「う、うまぁぁぁぁぁいっ!!」
次の瞬間、クラマの瞳からポロポロと感動の涙が溢れ出た。
「美味い! なんじゃこれはっ!? 噛むと肉の汁が溢れ出してくるぞっ! 神の食べ物か!?」
「あははははっ!」
向かいの席で、大和が腹を抱えて大爆笑する。
「本当に最高だな、その子は! 連れてきた甲斐があったよ!」
九十九も呆れつつ、どこか微笑ましそうに笑った。
クラマは二人の笑い声など耳に入らない様子で、両手にソースを付けながら一心不乱にハンバーガーを頬張り続けている。
やがて、九十九は本来の目的を思い出し、大和へと向き直った。
「大和さん」
「ん? なに?」
「この桑名村のあたりに……何か大きな岩とか、奇怪な伝説が残ってる場所ってありませんか?」
「岩……?」
「ええ。何か昔からの言い伝えがあるような古い石とか……」
大和は少し首をひねり、記憶を探るように天井を見上げた。
「そういえば……村長の旧家がある山奥に、お狐様を祀っているっていう巨大な『御神体岩』があるって話を聞いたことがあるな」
「本当ですか!?」
九十九の目が一気に真剣なものへと変わった。
「そこへ案内してもらうことはできますか?」
「いいよ、お安い御用だ」
大和はあっさりと頷いてくれた。
「僕も仕事の合間で時間に余裕があるしね。ドライブがてら連れて行ってあげるよ」
「ありがとうございます……! 助かります!」
九十九は立ち上がり、隣のクラマを見下ろした。
「クラマ、そろそろ食べ終われよ。出発するぞ」
「……っ」
クラマは最後のひとくちとなったハンバーガーを、両手で宝物のように大切そうに抱え込んだ。
「わらわは……」
うっとりと目を細め、幸せそうに頬を緩める。
「もう少し……この余韻と感動に浸っていたいんじゃ……」
「はいはい、わかったから」
九十九は容赦なく、クラマの手からハンバーガーの紙包みを取り上げた。
「残りは車の中で食べろ」
「なっ――――!?」
クラマの顔が、この世の終わりのような絶望に染まった。
「わらわの……っ」
消え入るような小さな声。
「わらわの……至高の、はんばーがーがぁぁぁ……っ」
「ほら、行くぞ!」
九十九が苦笑しながら先に歩き出す。
「待て九十九! 返すのじゃ! ワシの宝物を返せぇぇぇっ!」
クラマは半泣きになりながら慌てて九十九の後を追いかけていく。
こうして九十九たちは、大和の車で村長の家――そして、その奥に眠るという新たな封印の地へと向かうことになった。
そこに待ち受ける、新たな危機も知らずに――。




