第13話 稲妻の再会と不穏な影
――その頃。
外部から遮断された結界の内側では、一方的で凄絶な死闘が続いていた。
ドゴォォォォンッ!!
地響きとともに岩盤が粉砕され、視界を埋め尽くすほどの砂煙と爆風が吹き荒れる。
「ははははははっ!」
一角の妖魔は、勝利を確信した高笑いを響かせた。
「どうだ! これで終わりだぁぁぁっ!!」
山のごとき巨拳を叩きつけた渾身の一撃。
直撃すれば、たとえ九尾の王と恐れられた大妖といえど、ひとたまりもないはずだった。
一角は拳を地面に突き立てたまま、不吉なニヤケ顔で砂煙が晴れるのを待ち構える。
「……」
やがて風が吹き抜け、視界を遮っていた煙が少しずつ薄れていった。
「……な……っ!?」
次の瞬間、一角の顔から邪悪な笑みが消え失せた。
「なんだ……これは……っ!?」
打ち下ろしたはずの己の巨腕が――ピタリと制止していたのだ。
クラマの華奢な頭上、ほんの数センチという寸前のところで。
一角の巨腕を片手で受け止めていたのは――黄金色の神々しい毛並みを持った、一匹の小狐だった。
雷光を纏うその狐は、鋭い眼光で一角を冷たく睨み据えている。
クラマはその背姿を見上げ、呆れと安堵が混ざったような笑みを漏らした。
「……九十九のやつ、余計な真似をしおってからに」
懐かしそうに目を細めるクラマ。
「それと――久しぶりじゃのう」
「……雷狐」
黄色い小狐はふり向くと、いたずらっぽく狐顔を綻ばせた。
『久しぶり、クラマ』
『天下のクラマ様が――もしかして、手も足も出ずに死にそうだった?』
「なっ……!?」
クラマの整った顔が引きつる。
「こ、これは……その……っ!」
『ん?』
「え、演技じゃっ!!」
クラマは慌てて胸を張り、毅然と言い放った。
「そう、油断させるための演技というやつじゃっ!!」
『……演技ぃ?』
「そうじゃとも!」
『ふーん。じゃあ、どうしてそんなにボロボロで血まみれなの?』
「……っ」
『やっぱり僕が来なかったら、ペチャンコに潰されてたんじゃない?』
「そ、そんなわけがなかろうっ!」
クラマは顔を赤くして必死に言い訳を捲し立てる。
「ワシが本気を出して瞬殺してしまっては、あやつがあまりにも可哀想じゃろうがっ!!」
雷狐はあきれ果てたようにクスクスと笑った。
『はいはい、そういうことにしておいてあげる』
そして、己の腕を押し留められて固まっている一角へと視線を向ける。
『じゃあ――僕も久しぶりに暴れようかな』
クラマもニヤリと凶悪な不敵の笑みを浮かべた。
「そうじゃな。封印されておったから、さぞ運動不足じゃろう?」
『……そうだね』
雷狐がそう呟いた瞬間、その身体がふわりと宙へ浮かび上がった。
そして、眩い一閃の黄色い光となって、クラマの胸元へと吸い込まれていく。
――ドクンッ!!
クラマの体内で、眠っていた巨大な妖気が爆発的に膨れ上がった。
背後から、雷鳴を纏った一本の尾がゆっくりと伸びた。
バリビリビリビリッ!!
強烈な雷撃の波動が結界内を乱反射し、大気そのものがビリビリと狂暴に震え始め
雷狐の雷が純銀の呪力を焼き切り、クラマの左腕から麻痺が消えていった。
「な……っ!?」
一角が顔色を変え、思わず後ずさる。
「な、なんだ……この馬鹿でかい妖力は……っ!?」
クラマは優雅に、ゆっくりと立ち上がった。
つい先ほどまでの満身創痍な姿とは、醸し出すプレッシャーがまるで違う。
溢れ出る黄金の妖気だけで、周囲の岩盤が結晶化し砕け散っていく。
「おぬし――」
クラマは逃げ腰の一角を冷酷に見据えた。
「――『九尾の王』の本当の威光が、知りたかったのじゃろう?」
一角の巨顔が恐怖で引きつる。
「ひっ……っ!!」
一歩。また一歩。
圧倒的な捕食者を前に、一角は後ずさり――。
「ひぃぃぃぃぃっ!!」
戦意を完全に喪失し、巨体を丸めて脱兎のごとく逃げ出した。
「逃げるのか?」
クラマは心底つまらなさそうに吐き捨てる。
「――轟雷」
ゴゴゴゴ……バリィィィィンッ!!
空が裂けた。
次の瞬間、極太の紫電が逃げる一角の頭上へ直撃した。
「グオォォォォォッ!?」
一角の巨躯が激しく痙攣し、その場へ力なく膝をつく。
クラマは悠然とした足取りで歩み寄った。
「悪い悪い。少し手加減しすぎたかのう」
「グ……っ、ア……」
クラマは一角の目の前に立つと、命乞いをするその両腕を容赦なく掴み上げた。
「なっ――」
バキィッ!!
「グオォォォォォッ!?」
両腕の骨を握り潰され、一角が絶叫を上げる。
クラマは興味を失ったように静かに手を離した。
「……こんなもんじゃ」
そして最後に、一角の胸元へ優しく手を添える。
「――雷震」
バチチチチチチッ!!
超高圧の電撃が一角の全身を駆け巡り、内側から肉体を焼き尽くす。
「グ……ッ、ア……」
一角の身体は二度と立ち上がることなく、黒い不吉な煙へと姿を変え、跡形もなく消滅した。
直後――。
パキィィィィンッ!!
空間を固めていた結界に巨大なヒビが入った。
ガラスが割れるような音とともに無数の亀裂が広がり、やがて結界そのものが粉々に砕け散る。
静寂が、夜の森に戻ってきた。
「……さて」
クラマは周囲を見回し、首をかしげる。
「九十九の奴はどこへ行った?」
すると、クラマの肩口から黄色い光が溢れ出し、雷狐がちょこんと姿を現した。
『山頂』
『山頂でぐっすり寝てたよ』
「……何?」
クラマの眉間にしわが寄る。
「なぜこの非常時に寝ておるのだあやつは!?」
『僕に聞かれても知らないよ』
「ええい、急ぐぞ!」
クラマは着物の裾を翻し、すぐさま山頂へ向かって疾走した。
山頂。
「九十九っ!!」
クラマが駆け寄る。
そこには、冷たい岩盤の上に九十九が仰向けに倒れていた。
その服は血で真っ赤に染まっている。
「……っ」
クラマは慌てて膝をつき、九十九の身体を改めた。
「……傷は、塞がっておるな」
九十九の驚異的な生命力(あるいはコンの力)のおかげか、外傷自体はすでにほとんど治癒していた。
しかし――。
「これは……」
クラマの視線が、九十九の両手で釘付けになる。
手の甲から袖の奥にかけて、どす黒い不吉な痣のような紋様が脈打つように広がっていた。
「……」
クラマの表情が一気に険しくなる。
「九十九っ! 起きぬか九十九っ!!」
肩を激しく揺さぶる。
「……ん……っ」
九十九が重い瞼をゆっくりと開けた。
「……クラマ……? 無事……だったんだな……」
「おぬしの魂に……何か禍々しいものが混じっておるぞ」
「……何かって?」
「分からん」
クラマは九十九の瞳をじっと覗き込む。
「じゃが、ただの妖力ではない。もっと底知れぬ、異質の――」
九十九は一瞬だけ自分の両手に目を落とすと、何かを悟ったようにすぐさま手を背中へと隠した。
「……気のせいだろ。ちょっと疲れただけだ」
「それと――その隠した腕。何か隠しておるじゃろ?」
「……」
詰問するクラマに対し、九十九は気まずそうに目を逸らすと、唐突に脈絡のない話題を口にした。
「……それよりさ、そろそろ腹減ったろ?」
「……は?」
「ハンバーガーでも食べるか?」
クラマの瑠璃色の瞳が、一瞬で爛々と輝き、妖狐の耳が飛び出た。
「ハンバーガー……!?」
「ああ」
「なんじゃそれは!? 美味いのか!?」
九十九はふっと笑った。
「おにぎりより、ずっと美味いぞ」
「な、何じゃとぉぉぉっ!?」
クラマは前言をすべて撤回するかのように、勢いよく立ち上がった。
「早く立つんじゃ九十九! ぐずぐずするな!」
「え? おい、ちょっと――」
「すぐに行くぞっ!」
クラマは九十九の腕を強引に掴み、凄まじい力でグイグイと引っ張り始める。
「ちょ、ちょっと待てって! まだ身体が痛いんだよ!」
「ハンバーガーじゃ! ハンバーガーを食すのじゃ!」
「分かった! 分かったから引っ張るな!」
「早くせいっ!」
先ほどまでの重苦しい雰囲気が嘘のように、二人は山を下り、麓の駅へ向かって歩き始めた。
クラマは「はんばーがー、はんばーがー」と上機嫌で謎の鼻歌を歌っている。
しかし――。
無事に駅へ到着したところで、九十九の足がピタリと止まった。
「……」
「どうしたのじゃ? 早くハンバーガーの所へ案内せい」
クラマが振り返る。
九十九は絶望的な表情で、辺りを見回していた。
寂れた駅前。
街灯が数本あるだけの道路。
闇に包まれた山々。
深く鬱蒼とした森。
そして――飲食店はおろか、コンビニすら一軒もない。
「……忘れてた」
「何をじゃ?」
九十九は冷や汗を流しながら、気まずそうに乾いた笑いを浮かべた。
「……ここ、街灯くらいしかないド田舎だった」
「…………」
クラマの表情が完璧に凍りついた。
「…………」
一秒間の静寂。
そして――。
「ハンバーガァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!」
九十九への絶叫と怒号が、静まり返った夜の山々にどこまでも虚しくこだましたのだった。




