第12話 修羅の契約と解き放たれし光
山頂へと続く最後の石段を、九十九は切れかけた息を激しく吐き出しながら駆け上がった。
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
頂にたどり着き、九十九は膝に手をついて足を止めた。
目の前に広がっていたのは、荒々しく切り立った岩肌と、その中央に禍々しい圧迫感を放って鎮座する巨大な封印岩だった。
まるで何か……古の重大な秘密を守るかのように。
そして、その巨大な岩の前には、見上げるような三体の巨大な妖魔が仁王立ちで立ちはだかっていた。
「……あれか……っ?」
九十九が血走った目を細める。
「……あの岩の中に、クラマが……?」
黒刀からコンの切迫した声が響き渡った。
『間違いねえ! あの岩の奥から、歪んだ空間と凄まじい妖力の波動が溢れ出してる!』
九十九はボロボロの手で、黒刀の柄をきつく握り直した。
「……だったら」
重い一歩を踏み出す。
「――どけよっ!!」
次の瞬間、九十九は弾かれたように地面を蹴った。
「邪魔だぁぁぁぁぁっ!!」
先頭に立つ一体の妖魔へ向け、全身の力を込めて黒刀を振り下ろす。
キィィィンッ!!
しかし――快音とともに止まった。
「なっ……!?」
妖魔は眉一つ動かさず、九十九の魂の一閃を片手で軽々と受け止めていた。
「ウソだろ……っ!?」
驚愕に目を見開く九十九の首根っこを、妖魔は丸太のような腕で掴み上げ、軽々と持ち上げた。
「うおっ――!?」
ドガァァァンッ!!
無慈悲な力で、九十九の身体が山頂の硬い岩盤へと叩きつけられた。
「ぐはっ……!?」
背骨が砕けるような衝撃が走り、視界が真っ赤に染まる。
「なんだよ……こいつら……バケモノかよ……っ」
九十九は全身の激痛に顔を歪ませながら、死に物狂いで立ち上がった。
正面に立つ妖魔は、ゴミ屑を見るかのような冷淡な眼差しでこちらを見下ろしている。
「くそ……っ!」
正面突破は不可能だ。ならば――。
「それなら……っ!!」
九十九は足の激痛を無視し、突然大きく横へと旋回するように走り出した。
『おい!? 九十九、何を考えて――っ!?』
コンの制止を完全に無視する。
一体目の妖魔の側合いを大きく迂回し、一直線に封印岩へと突進する。
「ここさえブち破れば――っ!!」
だが――。
「――っ!?」
影が落ちた。目の前に、待ち構えていた二体目の妖魔が立ちはだかる。
「しまっ――」
ドゴォォォォンッ!!
横合いからの強烈な蹴りが、九十九の脇腹を容赦なく捉えた。
「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」
九十九の身体は弾丸のように弾き飛ばされ、硬い岩盤の上を何度も転がった。
ようやく激突して止まった時には、巨大な岩からさらに遠ざけられていた。
「……くそ……っ、くそぉぉぉっ!!」
九十九は血の混じった唾を吐き捨て、拳を何度も地面へ叩きつけた。
「どうしたら……どうしたらいいんだよ……っ!?」
脳裏をよぎるのは、ボロボロになった由香の姿。
そして、今この瞬間も結界の中で追い詰められているクラマの姿。
「俺には……何もできないのか……っ! 大切な一人すら……守れないのかよっ!?」
――その時だった。
『………………』
どこからともなく、地獄の底から響くような低い声が脳内へ直接落ちてきた。
どこまでも暗く、深く、冷たい声。
「……誰だ……っ!?」
九十九が血走った顔を上げる。
その声は、耳から入ったものではなかった。
頭の中――いや、自分自身の魂の最深部から響いてきていた。
『――力が欲しいか?』
九十九の身体が、氷を押し当てられたように硬直した。
「……力……?」
『九十九ーッ!?』
黒刀からコンの悲鳴に近い叫びが響き渡った。
その声には、かつてないほどの恐怖と焦燥が混じっていた。
『応えるなっ! 絶対にそいつの言葉に答えちゃダメだ!!』
「何なんだよ……誰なんだよこいつはっ!?」
『いいから黙れっ!!』
コンが狂ったように叫び続ける。
『これ以上そいつの力を求めちまったら……“門”が開く!』
「門……!?」
『そうなったら――っ!!』
コンの声がガタガタと震えていた。
『――本物の“修羅”が、あいつらが来ちまうぞ……っ!!』
しかし、九十九は血が滲むほど固く拳を握り締めた。
頭の中に溢れ出すのは、守れなかった後悔と、理不尽への苛立ち。
ボロボロの由香。絶体絶命のクラマ。
「……それでも」
九十九はグラつく膝を押し立て、ゆっくりと立ち上がった。
「俺は……力が欲しい」
『九十九ッ!? やめろぉぉぉっ!!』
「由香を守る力が欲しい……っ! クラマを助ける力が欲しいんだぁぁぁぁっ!!」
『バカ野郎っ!!』
コンの絶叫が虚しく響き渡る。
しかし――。
『――ならば、くれてやろう』
闇の声が、冷酷にすべての叫びを遮断した。
『――契約、完了だ』
ドクンッ――――――――!!
世界が静止した。
九十九の視界が一瞬だけ真っ黒に染まる。
そして――。
『我が名は――豪鬼』
その声は、万の亡者の呻きを混ぜ合わせたかのような禍々しさを孕んでいた。
『お前の魂を喰らう代償に、我が破滅の力を貸してやる。……魂が完全に喰らい尽くされた時、お前は永遠に殺戮を繰り返す、修羅の道へと墜ちるぞ』
九十九の瞳から光が消え、妖しい漆黒の陰りが宿る。
「……それでも、いい」
九十九は、かすれた声で小さく呟いた。
「……由香を……クラマを守れるなら……俺はどうなったっていい……っ!」
次の瞬間――。
ドクンッ!! ドククンッ!!
心臓が破裂せんばかりに脈打った。
「――ぐあぁっ……!?」
九十九の手足が、足元からドス黒い異形の妖気によって染まっていく。
皮膚を覆い尽くす、見るもおぞましい黒紫の鬼の紋様。
指先からは、鋼鉄をも凌駕する鋭利な鬼の爪が急速に伸びていく。
「な……なんだ……この力……っ!?」
体内の底から、これまで体感したこともないほど圧倒的で凶悪な破壊衝動とエネルギーが溢れ出してくる。
『九十九……』
コンが絶望に打ちひしがれたように、呆然と呟いた。
『お前……本当に……契約しやがったのか……っ』
九十九はゆっくりと顔を上げた。
その双眸は、禍々しい赤と黒の光を放っていた。
目の前に、一体の巨大な妖魔が躍り出る。
「……」
妖魔は九十九の異変を察知し、潰さんとばかりに巨大な腕を頭上高く振り上げた。
「死ねぇぇぇいっ!!」
ドゴォォォォンッ!!
山頂に爆風と轟音が吹き荒れ、巨大な砂煙が舞い上がる。
だが――。
「……ガ……!?」
妖魔の動きがピタリと止まった。
巻き上がる砂煙の向こう。
九十九は微動だにせず、立ち尽くしていた。
そして――振り下ろされた妖魔の巨大な腕を、黒く変貌した左手一本で易々と受け止めていた。
「な……っ!?」
妖魔が信じられないといった様子で目を見開く。
九十九は無言だった。
感情の消えた瞳で妖魔を見つめ、ただゆっくりと掴んだ手に力を込めていく。
ミシッ……ミシシシッ……
「――え……っ!?」
妖魔の頑強な腕から、肉と骨が潰れる鈍い音が響き渡る。
そして――。
バキィィィィッ!!
九十九の握力だけで、巨大な腕がトマトのように握り潰された。
「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」
劇痛に狂乱した妖魔が腕を引き抜こうと暴れる。
だが、九十九の掴みは鉄の万力のように微動だにしない。
「……邪魔だ」
九十九は右手の黒刀を横一文字に抜き放った。
ズバァァァンッ!!
一閃。
妖魔の巨体が斜めに真っ二つに断ち切られ、絶叫を上げるヒマもなく黒い霧となって霧散していった。
残る二体の妖魔が、恐怖を塗りつぶすように咆哮する。
「グオオオオオオオッ!!」
二体同時に、地鳴りを立てて九十九へと襲いかかる。
九十九は黒漆黒の妖気を纏う黒刀を、ただ冷徹に握り直した。
「……どけ」
そして――。
感情を殺したまま、力任せに横薙ぎへと振り抜いた。
「――破っ!!」
ズガァァァァァァンッ!!
黒刀から放たれたドス黒い斬撃の波が、世界を切り裂くように奔走した。
襲いかかった二体の妖魔は、触れた瞬間から肉体を削り取られ、二体まとめて一瞬で薙ぎ払われた。
そして、その凄絶な斬撃は妖魔だけでは止まらない。
背後にあったあの巨大な封印岩までもが、空間ごと一刀両断されたのだ。
ズズズズズ……!!
切断面から断末魔のような音を立て、巨大な岩が左右へと崩れ落ちていく。
そして、打ち砕かれた岩の中心から――。
カァァァァァッ!!
まばゆいばかりの、神聖で巨大な黄色い光のタマが飛び出した。
「……っ!?」
その神々しい光は、一瞬だけ感謝を示すかのように九十九の周囲を優しく旋回すると、そのまま遥か彼方の空へと一閃の矢となって飛び去っていった。
「……なん……だったんだ……」
九十九はその光の行方を、落ちていく意識の中で見送った。
急激に黒い妖気が引いていき、皮膚の紋様が消えていく。
だが、もう九十九の肉体には指一本動かす力すら残されていなかった。
カチャン……と、黒刀を無意識に鞘へと収める。
「……由香……クラマ……」
そう呟くと九十九の膝が折れ、身体がぐらりと傾いた。
ドサッ。
そのまま冷たい岩盤の上へと倒れ込み、九十九は深い深い闇の中へと意識を失った。
静まり返った山頂。
吹き抜ける風の中、ただ一振り、黒刀だけが主の傍らで静かに横たわっていた。




