第0077撃「メタ氏、父の近況を知る!!」の巻
平成4年1992年、5月、高校1年の1学期。
祖母の部屋側のベランダには、
エアコンの室外機の上を土台にするような格好で、
大きな水槽が置かれていました。
祖母は、部屋の障子とガラス戸を開け放ち、
そのままの姿勢で軽く身を乗り出しながら、
水槽の魚たちへ餌を遣っていました。
母も、ときおり交代で餌やりをしていました。
もともとは、
小生が小学校三、四年の頃、
夏祭りで手に入れた鯉二匹と、
金魚が五匹ほどでした。
東泡嶋商店街(仮名)では、
夏になると「土曜夜市」という催しが開かれ、
アーケードのなかで、
手づかみによる鯉の掴みどりが行われていました。
子どもたちは皆、
びしょ濡れになりながら夢中で鯉を追いかけます。
小生も負けじと、
半ば野生動物のような勢いで突進し、
奇跡的に一匹を捕獲することに成功しました。
そのまま頂戴し、
大事に自宅へ持ち帰ったのでした。
ところが。
マンションの坂道を上っている途中、
手すりの端に、
透明なビニール袋がぽつんとぶら下がっているのが見えました。
中には、
一匹の鯉が入っています。
小生は慌てて駆け足で帰宅し、
母へそのことを伝えました。
すると母は、
「誰かが捨てたんやと思うから、はよ取ってきなさい」と言いました。
再び坂へ戻ると、
幸い、まだ誰にも持ち去られてはいませんでした。
〈さみしかったよな。ぼくのおうちにおいで!〉
そうして水槽には、
二匹の鯉が泳ぐようになりました。
さらに、マンションのグラウンドで行われた盆踊りの日。
金魚すくいで、五匹の金魚を手に入れました。
それから七、八年。
餌をたっぷり与えられた彼らは、
実に逞しく育っていきました。
水槽の中を、
悠然と泳ぐ姿には、
もはや祭りの景品だった面影はありません。
けれどある日。
この水槽では、
もう狭すぎたのでしょうか。
一匹の鯉が、
どこか疲れきったように、静かに死にました。
残されたもう一匹を見ながら、
母が言いました。
「この子にとっても窮屈やろう。
淀川に放して、悠々と泳がせたほうがええんちゃうか」
小生は寂しさを覚えながらも、
その提案に同意しました。
バケツに水を張り、
鯉を入れて、
マンション向かいの淀川河川敷まで運びました。
母はそっとバケツを傾け、
長年、同じ屋根の下で暮らしてきた鯉を、
大きな川へと放ちました。
鯉は一瞬こちらを振り返ったようにみえました。
そして、水のなかへ消えていきました。
その姿に、
母も小生も、
静かに別れを告げたのでした。
金魚たちもまた、
かつて我が家へ来たばかりの頃の鯉ほどの大きさにまで育っていました。
しかし、
五匹は三匹となり、
三匹は一匹となり、
やがて最後の一匹も、
静かにこの世を去りました。
愛犬のぺるは、
空になった水槽の前に佇み、
じっと中を見つめていました。
まるで、
そこでまだ泳いでいる友だちを、
探しているかのようでした。
「お父さん、前立腺肥大やってな。
手術するらしいわ」
ある日、突然、母がそう言いました。
小生の知らないところで、
母は父と連絡を取っていたようでした。
電話だったのか、別の方法だったのか、
そこまでは分かりません。
久しぶりに耳にした父の話。
しかも、
入院して手術を受けるというのです。
父とは長いこと会っていなかったせいか、
半分は他人事のようにも感じました。
けれど、
もう半分では、
得体の知れない不安が、
じわじわと胸の内側へ広がっていきました。
〈お父さん、生きててよ。
手術が無事に終わりますように〉
幼い頃。
父は小生をおんぶし、
家のなかをうろうろ歩き回ってくれました。
大学時代には空手をやっていたという、
大きく頼もしい背中。
どことなく、
ショーン・コネリーと中曽根元総理を足して二で割ったような、
女なら思わずふらりと惚れてしまいそうな、
妙に男らしい精悍な顔立ち。
その姿が、
まざまざと脳裏に浮かんでくるのでした。
竹内まりや「マンハッタン・キス」(1992年)
YouTubeで視聴する https://youtu.be/ho7ZBe3TiyA?si=LSyaMmdOlJ_P7WqW
続く。果てしなく続く……。
(まだまだ続くよーっ!お楽しみに〜!)
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