第48話 不穏な静寂の目覚め
ふ、と意識が浮上した。
重たい瞼を押し上げると、視界に入ってきたのは見慣れた自分の部屋の天井。
肌にまとわりつく嫌な熱感と、節々の重だるさ。けれど、薬が効いたのか、鉛のようだった体はだいぶ楽になっている。
ぼんやりとした頭で、今日一日の出来事を、手繰り寄せるように一つずつ思い出していく。
今朝の図書室での「週に一度」の約束。そして、昼休みの保健室。第二王子殿下やヴィクトール様の前での、あの衝撃的な「最愛」宣言。
予鈴の鐘が響く中、全校生徒の視線に晒された、あのお姫様抱っこ。
思い出しただけで、また熱が上がりそうだ。
女子寮の厳格な寮監を突破して、そのまま私を部屋まで運んできた、あの暴君のようなレオナルト殿下の姿。
恥ずかしさと混乱で、私は毛布の中で身をよじり、現実逃避するように壁の時計を確認しようと顔を向けた。
その瞬間。
「…………っ!?」
喉の奥で、短い悲鳴が止まった。
時計のあるはずの場所。その手前、至近距離に――この世のものとは思えないほど整った、けれどどこかやつれた顔があった。
レオナルト殿下だ。
彼は椅子に座ったまま、私のベッドの縁に腕を預け、伏せるようにして眠っていた。普段の苛烈なまでの独占欲を湛えた瞳は閉じられ、長い睫毛が頬に影を落としている。
無防備に晒されたその寝顔は、まるで精巧な彫刻のように美しく、そして――ひどく、疲れているように見えた。
待って、なんで。どうして殿下がまだここにいるのか。
パニックに陥りそうになるのを必死に抑え、私は彼の頭越しに、ようやく時計の針を捉えた。
「……っ、三時半……!?」
時刻は、間もなく午後の最終講義が終わる合図が鳴る頃。あと数分もすれば、放課後のチャイムが鳴り響き、女子生徒たちが一斉にこの寮へと雪崩れ込んでくる。
もし、今この部屋に王太子殿下がいるところを見つかったら――。
そう想像するだけで、先ほど引いたはずの血の気が一気に失せていく。全女子生徒を敵に回し、好奇の目に晒されながら学園を追われる自分の姿が脳裏をよぎって、震えが止まらなかった。
「で、殿下……! 起きてください、殿下……っ!」
私は焦燥に駆られ、震える手で彼の肩を揺り動かした。
「…………セレナ?」
低く、掠れた声。ゆっくりと持ち上げられた瞳は、まだ微睡の境界を彷徨っているようで、焦点が合っていない。彼は私の手を反射的に掴むと、そのまま吸い寄せられるように、自分の頬を私の掌に擦り寄せた。
「……行くな、どこにも……。ずっと、夢の中で見ていた……お前が、ようやく……」
「っ、な、何を……!?」
熱を帯びた、けれど驚くほど穏やかな甘い声。普段の彼からは想像もできないほど無防備な執着に、私の心臓はうるさいほどに跳ね上がり、全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。掴まれた手から、彼の体温と、言葉にできないほど深い愛着がダイレクトに流れ込んでくる。
このままじゃ、本当に心臓がもたない。
けれど、次の瞬間。レオナルト殿下の瞳に、冷たいほどの理性が戻った。彼はハッとしたように私の手を離し、弾かれたように椅子から立ち上がる。
「……すまない。……気分はどうだ?」
その声には、先ほどまでの傲慢さは微塵もなかった。むしろ、自分の過ちを自覚した罪人のような、ひどく慎重で、痛々しいほどの優しさが宿っている。
「……あ、……はい。薬のおかげで、だいぶ……」
「そうか。……ならば、俺はもう行く」
殿下は時計を一瞥し、私が言おうとしていた言葉を先回りするように口にした。名残惜しそうに、けれど自分自身を律するように、彼は一度だけ私の髪に触れようとして――その手を虚空で止め、拳を握りしめた。
「今日、お前の平穏を壊したことは……謝らない。だが、無理をさせたことは後悔している」
彼はそれだけ言い残すと、背を向けて窓際へと歩み寄った。
ゴーン、ゴーン、と。遠くで、放課後を告げる鐘の音が鳴り響き始める。
女子寮に喧騒が戻る直前。彼は最後に一度だけ、寂しげに口角を上げて、音もなくその姿を消した。入れ替わるように、廊下の向こうから賑やかな笑い声と足音が近づいてくる。
私は、まだ彼の手の温もりが残る自分の手をぎゅっと握りしめ、嵐の後の静けさの中で、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。




