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夢で出会ったモブ令嬢を王太子は絶対に手放さない  作者:


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甘くて恐ろしい檻

「……ふむ。ここがセレナの部屋か」


 殿下は満足げにドアノブから手を離すと、感慨深げに居間を見渡した。

 この部屋は、手前に居間があり、その奥に寝室が続く二間続きの造りになっている。貴族の令嬢としては標準的な広さだが、大柄な殿下が立つと、見慣れた景色がひどく狭苦しく見えた。


「夢で何度も目にしていたが……。こうして現実のものとして眺めると、実に感慨深いな」


「え……っ?」


 殿下の口から漏れた言葉に、私は心臓が跳ね上がるのを感じた。

 夢で見ていた? 私が眠っている間に、彼は私の意識を覗くだけでなく、この部屋の隅々まで把握していたというの?


「で、殿下、まさか中まで……っ」


「内装も、並べられた本の背表紙も、夢の通りだ。……だが、やはり『本物』は違うな。お前の香りが、この部屋の隅々にまで満ちている」


 殿下はうっとりとした様子で目を細め、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 プライバシーさえも侵食されていた事実に戦慄し、私は吸い寄せられるように奥の寝室へと後ずさる。


「あ、あの、殿下! 居間のソファで大丈夫です。そこから先は……っ」


「何を言っている。容態を見極める必要があると言ったはずだ。病人なら、大人しく奥のベッドで横になれ」


 もっともらしい理屈を並べながらも、その瞳は私の逃げ場を冷徹に奪っていく。

 殿下は迷いのない足取りで寝室へと踏み込むと、吸い付くような手つきで私の腰を抱き、ふわりと使い慣れたベッドの上へと座らせた。


 シーツが大きく沈み込む。隣に腰掛けた殿下から、抗いようのない熱が伝わってきて、私は思わず肩を震わせた。



「……さて。どこまで熱が上がっているのか、確かめさせろ」


 殿下はそう言って、大きな掌を私の額へとゆっくり伸ばした。

 至近距離で、殿下の深く熱い瞳が、私の視線を逃さず射抜く。


「あ……っ」


 熱い指先が、生え際の髪をそっとかき上げ、私の額に直接触れた。

 吸い付くような掌の温度に、私は呼吸を忘れて固まってしまう。心臓の音がうるさすぎて、殿下に聞こえてしまわないか不安でたまらない。


「熱は……少し高いな。これでは、先ほど廊下であのような顔をしていたのも無理はない」


 殿下は独り言のように呟くと、その瞳に深い慈しみを宿して私を見つめた。あんなに大勢の前で「最愛」だと宣言した方とは思えないほど、その眼差しは穏やかで、けれど同時に、決して私を離さないという強い意志に満ちている。


「で、殿下……。もう、大丈夫ですから。」


 逃げようとして身をよじると、殿下の掌は額から頬へと滑り落ち、そのまま私の顔を包み込むようにして優しく固定した。


「……離さない。お前が、誰にも気づかれずに風のように消えるつもりだったのは知っているが……。俺をこれほど翻弄しておいて、自分だけ逃げ切れると思わないことだ」


 ――翻弄されているのは、私の方です。


 反論したくても、熱を帯びた彼の指先が肌に触れているだけで、思考が真っ白に染まっていく。あまりの恥ずかしさと、すべてを見透かされている動揺に、私は必死に声を絞り出した。


「お、お着替えをしたいので……その、一度離してください。制服のままだと、苦しくて……」


 殿下は、私の真っ赤になった顔を愛おしそうに見つめていたが、やがてくすりと喉を鳴らして指を離した。


「そうだな。体を締め付けていては休まるものも休まらん。……一人でできるか? 手伝いが必要なら、遠慮なく言え。俺は構わないぞ」


「け、結構です! 自分でできます!」


 本気か冗談か分からない提案に、私はさらに顔を赤くして食い下がった。殿下はやれやれと肩をすくめて立ち上がると、名残惜しそうに一度だけ、私の髪を毛先まで指で梳いた。


「いいだろう。着替え終えるまで、俺は居間で待っている」


 そう言って居間へ向かおうとした殿下だったが、ふと足を止め、振り返って私を真っ直ぐに見据えた。


「他に飲まなければならない薬はあるか? 部屋にあるのなら、俺が用意しよう」


「えっ……。そ、そんな、殿下にこれ以上お手を煩わせるわけには……」


 王太子殿下に薬の準備までさせるなんて不敬すぎる。私は慌てて首を振ったが、殿下は動じない。


「……言え」


 有無を言わせぬ響きに押され、私は小さく息を呑んでから、申し訳なさに身を縮めて答えた。


「……棚の二段目にある、青い小瓶のものです。熱を冷ます効果があるのですが……。でも、それはお水さえあれば自分で飲めますから、どうか……っ」


「いいから、大人しく俺の世話になれ。……お前が整うまで、俺はどこへも行かないからな」


 殿下は最後に、慈しむように私の頭をゆっくりとひと撫でして、静かな足取りで寝室を後にした。


 パタン、と重厚な扉が閉まる音が響き、ようやく部屋に静寂が戻る。

 急いで着替えなければ。けれど、扉の向こうには、この国の王太子殿下が私のために「待機」している。


 安らぐはずの自分の部屋が、これまでで一番、甘くて恐ろしい檻のように感じられた。

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