殿下の敗北宣言
女子寮の重厚な玄関。そこには「女子寮の鉄則」を体現したような厳格な寮監が、戸惑いの表情を浮かべて立ち塞がっていた。
「ま、待ってください殿下! いかに王太子殿下といえど、ここは男子禁制……っ」
しかし、殿下は足を止めることすらしない。彼は社交の場で見せる、隙のない完璧な微笑を寮監へと向けた。
「私の婚約者が倒れたのだ。私が自ら部屋まで運び、容態を見極める必要がある。……それとも、寮の規則は、王室の健康管理よりも優先されるべきものなのかい?」
「――っ! こ、婚約者様……」
寮監は絶句した。王太子自らが腕に抱き、ここまで運んできた正体不明の少女。それが「将来の王妃」であると明言されたのだ。その事実に圧倒され、寮監は震える手で道を開ける。
「ど、どうぞ、お通りくださいませ……。ですが殿下、くれぐれも……その、長居は無用に願います。学園の規律もございますゆえ、節度あるお振る舞いを……」
「不適切な真似はしないでください」という精一杯の遠回しな忠告を、殿下は余裕の笑みで受け流した。
「分かっている。彼女の体が第一だからな」
静まり返った女子寮の廊下に、私を抱える殿下の規則正しい靴音だけが響き渡る。
誰にも正体を知られないよう、必死に顔を押し付けて隠していたせいで、溜まった熱が涙となって瞳を潤ませる。私は殿下の胸元で、か細い声を絞り出した。
「……で、殿下。もう、大丈夫、です……。歩けます……っ」
殿下を見上げた私の瞳は、本人の意図に反して、縋るように「うるうる」と濡れてしまっていた。
「…………」
殿下が、ふっと足を止めた。
私を面白がるように見ていた彼の瞳がわずかに見開かれ、その余裕に満ちた表情に、初めて明らかな動揺が走る。私を抱える腕にグッと力が入り、彼は苦しげに一度目を閉じると、深く、長くため息をついた。
「……卑怯だな、セレナは。……そんな顔をされたら、勝てない」
まさかの、殿下の敗北宣言。
殿下はゆっくりと私を床に下ろしたが、腰に回された手だけは離してくれない。
「いいだろう。ここからはお前の足で歩け。……だが、エスコートはさせてもらう。このまま私の腕を離して、また倒れられたら困るからな」
降参した、というように首を振りながらも、殿下は私の腰をしっかりと抱き寄せ、エスコートの形をとった。
結局、腕の中からは脱せたものの、密着したままなのは変わらない。私は殿下の手首をそっと握り、支えられながら自室へと続く階段を上り始めた。




