義姉上と呼ばないで
殿下の「最愛」宣言が、止んだばかりの予鈴のあとの静寂を切り裂いた。
渡り廊下の遠くで足を止めた生徒たちの間で、ざわめきがさざ波のように広がっていく。
「……っ、……あ」
声が出ない。
繋がれた手の熱さと、その場にいる者たちから注がれる、逃げ場のない視線。
特にロシュフォール様からは、花の咲くような温かくも熱烈な眼差しが送られている。それは祝福という名の、逃走を許さない包囲網だ。
逃げたい。今すぐこの場から背景の中に溶け込んで消えてしまいたいのに、私の膝は生まれたての小鹿のように笑って、一歩も動くことを許してくれなかった。
「…………」
扉の先に立ち尽くしていた第二王子殿下が、吸い寄せられるように、ゆっくりと一歩踏み出した。
一学年上で、滅多に姿を現さない孤高の王子。
彼は絶句したままの私を、穴が開くほどまじまじと見つめる。その瞳にあるのは、先ほどまでの剃刀のような鋭さではなく、どこか憑き物が落ちたような、奇妙に穏やかな笑みだった。
「君が、あの『夢の君』か」
彼はふっと口角を上げると、兄にだけ聞こえるような、けれど私にもはっきりと届く低い声で囁いた。
「兄上の愛が重すぎて、君が消えてしまわないか心配だよ。……もしもの時は、私たちを頼るといい。義姉上」
「――っ!?」
頭の芯が、一瞬で凍りついた。
まだ婚約もしていない、それどころか言葉を交わしたことさえない王族から投げかけられた、決定的な親族呼び。
あまりの衝撃に言葉を失う私を置き去りにして、第二王子殿下は満足げに兄上へと向き直った。
「兄上、おめでとうございます。私はこれより直ちに、父上と母上へ報告に参ります。……『兄上の“夢”が、ついに受肉して保健室に現れた』とね。一刻も早く、正式な手続きを進めるよう進言してきましょう」
「構わない。近いうちに、俺から直接報告するつもりだったからな。……手間が省けた」
殿下は満足げに、そして当然のことのように頷いた。
第二王子殿下は、そのまま驚くほど軽やかな足取りで、廊下へと去っていった。
――近いうちに、報告するつもりだった?
つまり、たとえこの場で捕まらなかったとしても、殿下は私を逃がすつもりなど毛頭なかったということだ。
そのあまりに残酷な「包囲網」の完成に、私の退路は物理的にも政治的にも、完璧に断たれた。




