外堀を埋めるスープ
唇に残る熱に、思考が完全にショートしていた。
この人は、自分が今何をしたのか分かっているのだろうか。
ぼうっとしたままの私をよそに、殿下は満足げな表情でベッドから少し離れ、部屋の隅に置かれた大きなバスケットへと手を伸ばした。
「薬が回るまで、少し何か食べておいた方がいい。……これを」
彼が蓋を開けた瞬間、保健室には場違いなほど、芳醇で優しい香りがふわりと広がった。
殿下が中から取り出したのは、白磁の器に入った温かなスープに、丁寧に皮を剥かれた色鮮やかな果物のコンポート。さらには、食欲がなくても食べられそうな、しっとりと柔らかな白いパンまで揃っている。
……え、これって……
「眠っている間に、学園に常駐させている俺専用の料理人に作らせていたものだ」
殿下がこともなげに告げる言葉に、私は呆然とするしかなかった。
私が泥のように眠りこけている間に、この国の王太子は私のために献立を指示し、完璧なタイミングでこれを用意させていたのだ。
「あ、あの……殿下。流石にこれは、保健室で食べるには豪華すぎませんか? 専属の方にまでお手間を……」
「気にするな。彼も『ようやく殿下の想い人様に召し上がっていただける』と、随分張り切っていたぞ」
……お、想い人様!?
殿下だけでなく、その周囲の人間まで「そういう認識」なのかと背筋が震える。
殿下は椅子をベッドの傍へ引き寄せると、当然のようにスープの器を手に取った。
立ち上る湯気とともに、野菜と鶏肉の旨みが凝縮された香りが鼻腔をくすぐる。
「栄養が足りなければ、またすぐに倒れてしまうだろう。……セレナが俺の見ていないところで苦しむのは、もう御免だからな」
そう言ってスプーンを構える彼は、微塵も私に器を渡す気はなさそうだ。
当然のように「食べさせてもらう」前提の、逃げ場のない翡翠の瞳。
「さあ、冷めないうちに」
お昼休みの喧騒が遠くの廊下から聞こえ始めたというのに、この保健室の中だけは、殿下の用意した甘い包囲網に完全に閉じ込められていた。




