次元を越えた嫉妬の対象
ベッドのシーツに手をつき、身を乗り出している殿下の瞳が、至近距離で私を射抜く。
この人は、私の周りにいる「ユウリ」という響きの男をすべて把握しているのだ。
なぜそこまで執拗に聞き出そうとするのか。その執念が恐ろしくもあり、けれどどこか悲痛な叫びのようにも聞こえた。
「……っ、違います! 全然違います……! 私は、その……どちらかと言えば、自分よりずっと年若い方よりも、落ち着いた年上の男性の方が、その……好ましく思う方ですから!」
パニックのあまり、とんでもない自白をしてしまった。
私の目の前にいるのは、最終学年の三年生。
私よりも背が高く、声も低く、そして何よりこの世界の誰よりも底知れない余裕と執着を併せ持った、完璧な「年上」だ。
殿下は一瞬、意表を突かれたように目を見開いたが、すぐに口元を歪めて、さらに深く身を乗り出した。
「年上が、好きなのか。それは……俺のような男のことかな?」
余計に墓穴を掘った気がする。熱を帯びた瞳に見つめられ、心臓が痛いほど跳ねた。
私はこれ以上変なことを口走る前に、一番大切な真実を叫んだ。
「そうじゃなくて! ユウリは……ユウリは、前世の親友なんです! 女子なんです! 殿下だって、私の前世を見ていらしたのでしょう? 学校でも放課後も、よく一緒にいたあの子ですよ!」
必死の訴えに、殿下の動きがぴたりと止まった。
「……あの子だと? セレナがいつも『ユウちゃん』と呼んでいた、あの少女のことか?」
殿下は、彼が夢で見た私の生前の光景を思い出したのだろう。
確かに、前世の私は彼女を愛称でしか呼んでいなかった。
だから殿下の中で、あの少女と「ユウリ」という名が結びついていなかったのだ。
「……なるほど。姿は見ていたが、そんな名だったのか。……だが、セレナ」
実在する男への殺気は収まったようだが、殿下はふっと、今度は得体の知れない熱を孕んだ吐息を漏らした。
「その『ユウリ』という女。今もなお、セレナの心にこれほど深く刻まれ、俺よりも先に頼りにされる存在だというのなら――それはそれで、酷く妬ましいな」
「えっ……」
女子相手に、しかも前世の親友にまで嫉妬するのか。
私の困惑を余所に、殿下は満足げに、けれど獲物を決して逃さない独占欲を隠そうともせず、私の髪を一房、愛おしげに指に巻き付けた。
パニックと羞恥のせいで、私の顔は自分でもわかるほど熱く火照っている。青白かったはずの頬は、今や林檎のように赤く染まっていた。
そんな私を眺める殿下の瞳が、さらに深い色に染まる。
彼は立ち去るどころか、むしろベッドに置いた手にぐっと力を込め、逃げ場をなくすように私を覗き込んできた。
「……顔色が良くなったな。やはり君は、俺に翻弄されて赤くなっている時が一番愛らしい」
その吐息が、すぐ近くで重なる。
殿下の指先が髪を離れ、そのまま私の頬をゆっくりと、慈しむように撫で下ろした。
その手つきは驚くほど優しいのに、どこか「お前は俺のものだ」と抗いがたい力で刻印を押されているような、不思議な圧迫感を覚える。
コン、コン。
その時、静かな室内を遮るように扉が叩かれた。外で控えている殿下の護衛だろう。
殿下は僅かに眉を寄せ、露骨に不機嫌そうなため息を漏らした。
「……そろそろ保健医が戻る時間だな」
殿下は名残惜しそうに指を離すと、今度は有無を言わせぬ王太子の顔で私を見下ろした。
「昼休みまで、ここで大人しく休んでいるように。これは王太子命令だ」
命令。その響きに身を竦ませた私の手を、殿下は迷わず取り、その甲に深く、熱い口づけを落とした。
「……逃げようなんて考えないことだ。この学園内に、俺の目が届かない場所などないのだから。昼休み、また様子を見に来る」
最後に、獲物を手放したくない野生動物のような鋭い視線を残して。
殿下は今度こそ、満足げな、けれどどこか飢えたような微笑みを浮かべて保健室を後にした。
パタン、と重厚な音を立てて扉が閉まる。
嵐が去った後のような静寂の中、私は力なくシーツに顔を沈めた。
昼休みに、また来る。
それは単なるお見舞いの言葉などではなく、逃げ場を完全に塞ぐための強固な布石にしか聞こえなかった。
平和に、目立たず生きるための生存戦略を練る余裕なんて、もうどこにもない。
ユウリが熱心に語っていた、冷徹で無関心な「氷の王子」なんて、この世界のどこを探したっていない。
目の前にいたのは、甘い言葉で外堀を埋め、力尽くで引き寄せようとする、執着の塊のような男だけだ。
これではまるで、物語の主人公でもないのに、逃げられない捕獲ルートに引きずり込まれているみたいじゃない。
私はただ、熱の引かない頬を両手で押さえ、刻一刻と近づく「昼休み」という名の再会の足音に震えることしかできなかった。




