ずっと、君を観測していた
ロシュフォール様が去り、カチリと扉が閉まる。
静まり返った特別保健室で、心臓の音だけが耳の奥でうるさく脈打っている。
殿下はすぐには口を開かなかった。
ただ、ベッドの縁にゆっくりと腰を下ろすと、私の顔を覗き込むようにして、痛々しいものを見るかのような眼差しを向けた。
「……アルトレイン嬢。顔色がひどい。やはり無理をさせたか」
その声は、驚くほど優しく、そして切実だった。
彼は大きな手を伸ばすと、怯えて強張る私の頬に、壊れ物を扱うような手つきでそっと触れた。
「今朝は林檎のように赤かったというのに、今は透けるように白い。……少し横になれ。お前は一度体調を崩すと、熱が引くまでに三日はかかるだろう?」
「え……?」
私は固まった。
なぜ。なぜこの人は、会ったばかりの私の「寝込む期間」の平均を知っているのか。
「……な、ぜ、それを……? 私は、殿下とお会いするのは、入学式が初めてで……」
震える声で問い返すと、レオナルト殿下は少し困ったように、けれど愛おしくて堪らないといった様子で眉を下げ、ふっと口角を上げた。
「なぜ、か。……それを教える前に、一つ、俺の願いを聞いてくれないか」
……俺?
その瞬間、心臓が跳ねた。完璧な王太子としての「私」という仮面を脱ぎ捨て、一人の男としての、剥き出しの執着がその一言に宿っている。
「願い……?」
「二人きりの時で構わない。……セレナと呼ばせてくれないか?」
それは命令ではなく、切実な請いだった。許可をくれるならすべて話そう、というその一言に、私は抗えず頷いた。
「……わかり、ました。二人きりの時、だけなら……許可、いたします」
私が消え入りそうな声で答えると、殿下は一瞬、弾かれたように目を見開いた。
そして、泣き出しそうなほどに歪んだ、けれど心底嬉しそうな、あまりに脆い表情で微笑んだ。
「ありがとう、セレナ」
噛みしめるように、私の名が呼ばれる。
「……良い響きだ。俺は十数年の間、ずっと夢の中でセレナを見てきた。ずっと、その名を呼びたくて堪らなかったんだ」
「夢……? ですか? 私のことを……十数年も前から……?」
あまりの非現実的な言葉に、私は震える声で問い返した。すると、殿下は何かを懐かしむように、静かに語り始めた。
「なぜだかは、俺にもわからない。ある日突然、見知らぬ場所に立つ、濡烏のように美しい黒髪の少女の夢を見続けるようになったんだ。……それは、数分間の断片的な出来事ばかりだったが」
「……数分間の、出来事……?」
「ああ。ある日は静かな図書館で難しそうな本を読み、またある日は、急な雨に降られて傘を忘れたまま、慌てて走る姿を……。鉄の塊が空を飛び、光る板が溢れる、あの不思議な世界の光景を、俺はただ眺めていた。……昨日のことのように、鮮明に思い出すことができる」
……っ! なぜ、それを……。
図書館での居眠りも、雨の日の全力疾走も。そんなの、この世界の人は誰も知らないはずなのに。
私は動悸を抑えきれず、一番聞きたくなかった、けれど聞かなければならないことを直球で投げかけた。
「……もしかして、私が死んだ日のことも、見ましたか?」
殿下の表情が凍りついた。
次の瞬間、彼が浮かべたのは、車に撥ねられて命を落とした私自身よりも、ずっと辛そうで、耐え難い苦痛に歪んだ顔だった。
「……ああ。視ていた。目の前でセレナの魂が散るのを、俺はただ、透明な壁の向こう側で叫びながら眺めることしかできなかった」
殿下の大きな手が、私の頬を包み込む。その手は微かに震えていた。
「あの瞬間、セレナを助けられなかったことが……どれほど悔しかったか。お救えない自分の無力さを、俺は一生呪い続けるだろうと思っていた」
「殿下……」
「だから十年前、この世界に現れたセレナを夢に見た時、俺がどれほど救われたか……。名前や場所だけは、なぜか音が消えたように聞き取れなかったが、もう二度と離さないと、あの時誓ったんだ」
だから知っていたのか。この人は、十年間ずっと私を「観測」し続けていたのだ。
泥にまみれて薬草を育て、奇妙な料理を作り、生存戦略と称して一人で必死に足掻いていた私の断片的な姿を、彼は祈るような気持ちで見守っていたのか。




