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夢で出会ったモブ令嬢を王太子は絶対に手放さない  作者:


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28/68

ずっと、君を観測していた

 ロシュフォール様が去り、カチリと扉が閉まる。


 静まり返った特別保健室で、心臓の音だけが耳の奥でうるさく脈打っている。


 殿下はすぐには口を開かなかった。


 ただ、ベッドの縁にゆっくりと腰を下ろすと、私の顔を覗き込むようにして、痛々しいものを見るかのような眼差しを向けた。


「……アルトレイン嬢。顔色がひどい。やはり無理をさせたか」


 その声は、驚くほど優しく、そして切実だった。


 彼は大きな手を伸ばすと、怯えて強張る私の頬に、壊れ物を扱うような手つきでそっと触れた。


「今朝は林檎のように赤かったというのに、今は透けるように白い。……少し横になれ。お前は一度体調を崩すと、熱が引くまでに三日はかかるだろう?」


「え……?」


 私は固まった。

 なぜ。なぜこの人は、会ったばかりの私の「寝込む期間」の平均を知っているのか。


「……な、ぜ、それを……? 私は、殿下とお会いするのは、入学式が初めてで……」


 震える声で問い返すと、レオナルト殿下は少し困ったように、けれど愛おしくて堪らないといった様子で眉を下げ、ふっと口角を上げた。


「なぜ、か。……それを教える前に、一つ、俺の願いを聞いてくれないか」


……俺?


 その瞬間、心臓が跳ねた。完璧な王太子としての「私」という仮面を脱ぎ捨て、一人の男としての、剥き出しの執着がその一言に宿っている。


「願い……?」


「二人きりの時で構わない。……セレナと呼ばせてくれないか?」


 それは命令ではなく、切実な請いだった。許可をくれるならすべて話そう、というその一言に、私は抗えず頷いた。


「……わかり、ました。二人きりの時、だけなら……許可、いたします」


 私が消え入りそうな声で答えると、殿下は一瞬、弾かれたように目を見開いた。


そして、泣き出しそうなほどに歪んだ、けれど心底嬉しそうな、あまりに脆い表情で微笑んだ。


「ありがとう、セレナ」


 噛みしめるように、私の名が呼ばれる。


「……良い響きだ。俺は十数年の間、ずっと夢の中でセレナを見てきた。ずっと、その名を呼びたくて堪らなかったんだ」


「夢……? ですか? 私のことを……十数年も前から……?」


 あまりの非現実的な言葉に、私は震える声で問い返した。すると、殿下は何かを懐かしむように、静かに語り始めた。


「なぜだかは、俺にもわからない。ある日突然、見知らぬ場所に立つ、濡烏ぬれがらすのように美しい黒髪の少女の夢を見続けるようになったんだ。……それは、数分間の断片的な出来事ばかりだったが」


「……数分間の、出来事……?」


「ああ。ある日は静かな図書館で難しそうな本を読み、またある日は、急な雨に降られて傘を忘れたまま、慌てて走る姿を……。鉄の塊が空を飛び、光る板が溢れる、あの不思議な世界の光景を、俺はただ眺めていた。……昨日のことのように、鮮明に思い出すことができる」


 ……っ! なぜ、それを……。

 図書館での居眠りも、雨の日の全力疾走も。そんなの、この世界の人は誰も知らないはずなのに。


私は動悸を抑えきれず、一番聞きたくなかった、けれど聞かなければならないことを直球で投げかけた。


「……もしかして、私が死んだ日のことも、見ましたか?」


 殿下の表情が凍りついた。

 

 次の瞬間、彼が浮かべたのは、車に撥ねられて命を落とした私自身よりも、ずっと辛そうで、耐え難い苦痛に歪んだ顔だった。


「……ああ。視ていた。目の前でセレナの魂が散るのを、俺はただ、透明な壁の向こう側で叫びながら眺めることしかできなかった」


 殿下の大きな手が、私の頬を包み込む。その手は微かに震えていた。


「あの瞬間、セレナを助けられなかったことが……どれほど悔しかったか。お救えない自分の無力さを、俺は一生呪い続けるだろうと思っていた」


「殿下……」


「だから十年前、この世界に現れたセレナを夢に見た時、俺がどれほど救われたか……。名前や場所だけは、なぜか音が消えたように聞き取れなかったが、もう二度と離さないと、あの時誓ったんだ」


 だから知っていたのか。この人は、十年間ずっと私を「観測」し続けていたのだ。


 泥にまみれて薬草を育て、奇妙な料理を作り、生存戦略と称して一人で必死に足掻いていた私の断片的な姿を、彼は祈るような気持ちで見守っていたのか。


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