背景令嬢、王太子の「犯行予告」を間近で聞く
「……兄様! ちょうど良いところにいらっしゃいましたわ!」
特別保健室の重厚な扉を勢いよく開けて現れたレオナルト殿下に、カトリーヌ様は怯むどころか、毅然とした態度で立ちふさがった。
私はといえば、天蓋付きベッドの上で石のように固まり、シーツを指が白くなるほど握りしめている。
「カトリーヌ――」
「兄様! 許可なくアルトレイン様を連れ出したことをお叱りになる前に、ご自分の行いを省みてくださいませ! 今朝、教室にいらした時のアルトレイン様は、それはもう林檎のように美しくお顔を赤く染めていらしたのです。それなのに一限目が終わる頃には、血の気が引いて真っ白になって……! あんなに弱り切った方を放置して自分だけ講義に出るなんて、殿方として信じられませんわ!」
ロシュフォール様の凛とした声が室内に響き渡る。
違う、違うんです。ロシュフォール様! 朝、顔が赤かったのは殿下の『宿題』のせいですけれど、今私の顔色が青いのは、他ならぬロシュフォール様、貴女のせいなんです!
講義中、隣から慈愛に満ちた視線を送られ続け、さらには「初めては痛いのか」などという爆弾を放り込まれた心労がこの顔色に出ているのだ。
……そう叫びたい。けれど、レオナルト殿下の冷徹な瞳が私を射抜いた瞬間、私の喉は完全に拒絶反応を起こして閉ざされた。
「憔悴、か。……確かに、少し無理をさせすぎたかもしれないな」
「少しどころではありませんわ! そもそも、兄様がアルトレイン様に焦がれすぎて、朝から無理やり連れ去り……そ、その……む、無体を働いたのが原因なのでしょう!?」
ロシュフォール様は、その不名誉な単語を口にするのが恥ずかしいのか、頬を朱に染めながらも、レオナルト殿下を睨みつけた。
無体! 無体って言いましたか今!?
私はベッドから転げ落ちそうになった。何を言い出すのか、この公爵令嬢は。
「カトリーヌ、言葉を慎みなさい」
レオナルト殿下が一つ溜息をつき、ゆっくりと私の座るベッドの側まで歩み寄ってきた。そして、私の頬を長い指先でなぞりながら、静かに、けれど逃げ場のない声で告げたのだ。
「私が、大切な彼女に対して、このような場所で勝手に純潔を散らすような真似をするわけがないだろう。……彼女は、私が人生のすべてを賭けて、ようやく見つけ出した宝物だ」
殿下の肯定。それは私を守るための言葉のはずなのに、内容はより深い絶望を私に突きつけていた。
さらに、殿下は追い打ちをかけるように、ロシュフォール様と、そして私に向けて囁いた。
「それに、私がお前を抱くなら、このようなわずかな時間で済ませるはずがないだろう? ……一日あったとしても、足りないくらいだ」
「…………っ!?」
ひっ、と喉の奥で短い悲鳴が上がった。
殿下、何を。何をさらりとおっしゃいましたか今。
一日あっても足りない!? 否定どころか、内容が濃厚すぎてより最悪な方向に更新されてるじゃないですか!?
「あら……? まあ、私ったら。とんだ勘違いをしておりましたのね……」
ロシュフォール様は、眉を下げて少しシュンとした様子で俯いた。
「私ったら、余計な心配をしてお邪魔をしてしまいましたわ。ごめんなさい、アルトレイン様」
「あ、いえ、そんな……っ」
慌てて否定しようとする私だったけれど、レオナルト殿下がそれを遮るように、私の肩にそっと手を置いた。
「分かればいい。……カトリーヌ、扉の外には君の婚約者、ヴィクトールを待たせてある。彼と共に教室へ戻るといい」
「まあ、ヴィクトール様が?」
その名前が出た瞬間、ロシュフォール様の頬は、それこそ林檎のようにパッと赤く染まった。先ほどまでの「凛とした公爵令嬢」の面影はどこへやら、そこには恋する乙女の顔があった。
「でも兄様、アルトレイン様が……まだこんなに青いお顔を……」
「構わない。彼女のことは私が責任を持って見る。……いいな?」
「……! はい、兄様がそう仰るなら、安心ですわ!」
ロシュフォール様は、殿下の見るという言葉に全幅の信頼を寄せたようで、パァッと明るい笑みを浮かべた。
安心しないでください! 全然安心できる状況じゃないんです! むしろ命の危機なんです!
「それでは兄様、アルトレイン様。私はこれでお暇いたします」
ロシュフォール様は満足げに、そしてどこか浮き足立った様子で、優雅な一礼を残して部屋を出て行った。
カチリ、と扉が閉まる音が、私の平穏なモブ人生に終止符を打つ鐘の音に聞こえた。




