3月14日(土):返しの白の日
とある世界では今日は『もらった気持ちに、白い包みで答える』日。 アルメリアでは『返しの白の日』として、白い紙や白い布で小さな甘いものを包み、短い札を添えて返す。白は、目立つためではなく、混ざらないための色だ。
夕方、フレイメル魔具修理店の戸鈴が鳴った。
フィオナは王立魔法学院分校の課題板を閉じ、机の上の白い紙屑を集めた。昨日の通し札、今日の返し札。春の粉は紙の縁に溜まりやすい。溜まると、折り目が鈍る。
「土曜なのに、なんだか忙しいね」レオンが言った。「返す日って、みんな走る」
「走ると落とす」ルミナが台所から返す。「だから、入れものと札がいるのよ」
クリスが木皿を抱えてきて、机の端へ置いた。「これ、いれもの。しろ、ここ」
木皿の中には、昨日から使っている薄い布が敷かれていた。布は粉を受けるだけ。湿りを呼ばない程度に乾いている。
戸口に立っていたのは、テオくんだった。両手に、白い包みを二つ。片方は細長い箱、片方は丸い缶。息が少しだけ早い。
「こんばんは。……きょう、返すのが多くて」
アストルが背を伸ばした。「多いのはいい。落とすなよ」
テオくんは頷き、白い箱をルミナへ差し出した。「これは家族へ。昨日の約束の続き。白い包みで、って決めたから」
ルミナは受け取り、木皿の上へ置いた。「口は?」
「二回折って、札も貼った」テオくんは言ってから、視線を机に落とした。「……もう一つが問題で」
丸い缶の包みをほどくと、中から小さな包み紙の束と、紐巻きが出た。白い紙は薄く、端が寄り合っている。紐巻きは昨日の通し紐に似た形の糸巻きで、引くたびに張りが暴れて、結び目が長くなったり短くなったりする。
「揃わないと、返しが混ざる」テオくんは小声で言った。「番所の人、湯屋の人、伝言屋の窓口係。札を間違えると、明日まで残る」
フィオナは頷いた。「今日は修理じゃない。段取りを直す日」
テオくんの指先が、白い紙の端を探して迷う。紙が薄いほど、迷いが見える。見えると、余計に焦る。
フィオナは机を空けた。木皿を左、紙の束を中央、紐巻きを右。先に置き場所を決めると、手が戻る。
「区画を作る」フィオナは短く言って、白い小札を三枚切った。 『かぞく』 『まち』 『あとで』
「あとで?」レオンが目を輝かせた。「ヒーローの秘密箱だ」
「秘密じゃない」フィオナは言い、札の角を指で揃えた。「言わないだけ」
テオくんが一瞬だけ咳払いをして、何も言わなかった。フィオナはその沈黙を責めない。今日は、言葉より手順が先だ。
まず紙。フィオナは白い紙束を軽く持ち上げ、端を揃えて、布の上へ置いた。紙の端の湿りは、温めの魔法でほんの少しだけ飛ばす。熱で縮めない。折り目が立つ分だけでいい。
次に紐。張りは強すぎると暴れ、弱すぎると迷う。 フィオナは紐巻きの爪を指で確かめ、布片を一枚、支点の外側へ挟んだ。滑りが少し鈍る。鈍ると、一定になる。
「引いて」フィオナが言うと、テオくんが取っ手を回した。紐が出る。戻りも同じ。長さが揃う。
「これなら、結びが同じになる」テオくんの声が少しだけ落ち着く。
ルミナが湯を運びながら言った。「白い包みは、汚れがすぐ見える。だから、手も言葉もごまかせないのね」
アストルが鼻で笑う。「白は、正直すぎる」
レオンが囁くように言った。「テオ兄、白いの、誰に返すの?」
クリスが小さく首を傾ける。「だれ? しろ、だれ?」
テオくんは耳の先を赤くして、包み紙の一枚を取り上げた。「……町に、だよ」
フィオナは紙を折り、角を合わせ、紐を回し、結び目を同じ位置に置く。札は短い。『ばんしょ』『ゆや』『まどぐち』。字は細くても迷わない。 作業が進むほど、白い包みが机の上で増えていく。白が増えても、区画があるから混ざらない。
最後に、一つだけ。小さな包みが残った。札は付いていない。紙の厚みが、ほかより少しだけ柔らかい。
テオくんがそれを取ろうとして、手が止まった。言いかける気配が、喉の奥で折れる。
フィオナは見ないふりをせず、見すぎもしない。木皿の『あとで』の札を、静かに指で示した。
テオくんは息を一つ落として、その包みを『あとで』へ置いた。「……帰りに、渡します。店の分、ってことにして」
「分かった」フィオナは言った。それ以上は言わない。言えば白が汚れる。
包みの山が整う頃、外の灯路石が淡く光り始めた。テオくんは包みを袋へ入れ、札の向きを揃えて背負った。
テオくんはすぐに全部を抱えて走りたがったが、フィオナは首を振った。
「一つだけ、試す。返しは、渡した瞬間に混ざるから」
二人で一包みを選び、袋の口を折って、伝言屋の窓口へ向かった。土曜の夕は人が多い。石畳の灯路はまだ淡く、足元にだけ光が落ちている。
窓口係が顔を上げ、「あ、白い包みの日ですね」と言った。机の端には、先日フィオナが直した祝い刻印器が置かれている。印影が滲まないよう、箱の隅に小さな札が貼ってあった。
「返しは、こちらへ」窓口係が受け取り棚を示す。
フィオナは包みの角をもう一度だけ確かめ、窓口係に小さく頼んだ。「刻印、一つ。混ざらない印が欲しい」
窓口係は頷き、祝い刻印器を上げ下げした。白い紙の隅に、淡い灯路石の形が一つだけ立つ。
「これで迷子になりません」窓口係が言うと、テオくんの肩が少し下がった。
帰り道、テオくんは包みの入った袋を抱え直し、言葉を探すみたいに口を開けて、結局閉じた。
フィオナはその横顔を見て、言葉の代わりに袋の口の折り目を指で押さえた。白い包みは軽いのに、落とせば重くなる。
戸口で振り返り、テオくんは『あとで』の包みを持ち上げた。「きょう、すぐ開けなくていい。白は、明日の方が似合うから」
フィオナは頷いた。胸の中の焦りは、別の場所へ移った。手元の木皿が、受け皿の役目を果たしてくれている。
戸鈴が鳴って、テオくんが帰る。
木皿の上に残った白い包みは、砂糖菓子の匂いより先に、紙の乾いた匂いを立てていた。レオンが箱の口を確かめ、クリスが小さく言う。「くち、そろえる。あける、あした」
梁の上でスノーが、羽を畳み、白い包みの札の角を見下ろして嘴を鳴らした。 「白で返すなら、手順で守れ。言えないなら、せめて札を落とすな――明日は、包みの中身より先に、目を見ろ」




