8月22日(土):二鈴路の日
とある世界では今日は『町の道を走る電車と、その合図の鈴に親しむ』日。アルメリアでは『二鈴路の日』として、荷車や配達車に使う合図鈴を、鳴る数だけでなく、叩く仕組みと戻り方まで確かめる日になっている。
昼前の工房で、クリスは昨日届いた浅い木箱を見つめていた。
荷札には『二打ち合図鈴・点検』。
「きのう、チン、チン、した」
「今日は音だけじゃなく、中も見るぞ」
アストルが留め金を外した。
蓋の内側には、真鍮の鈴椀が二つ並んでいる。
一つは少し大きい。
もう一つは小さい。
横には、引き紐を引くと木の打ち腕が動き、二つの鈴を順番に叩く仕組みが収まっていた。
レオンがクリスの隣へ来る。
「ちゃんと二つあるな」
「おおきいの。ちいさいの」
「依頼札には、もう一つ書いてある」
アストルが裏返した荷札を読む。
『二打ちのあと、ときどき小さな音が一つ残る』
クリスは鈴を数え直した。
「でも、ふたつ」
「そこを確かめる」
アストルは箱を平らな作業台へ置いた。
フィオナが点検紙を横へ出す。
ルミナはクリスが作業台へ近づきすぎないよう、床の見学位置に小さな木札を置いた。
「クリスはここから見る人ね」
「さわらない」
「そう」
アストルが引き紐を一度引く。
チン、チン。
クリスは首を傾げた。
「ふたつ」
「今は正常だな」
もう一度。
チン、チン。
やはり二つ。
三度目。
チン、チン……チ。
クリスの目が丸くなった。
「いま、みっつ!」
レオンも聞いていた。
「最後に小さい音があった」
クリスはすぐ鈴椀を見た。
「みっつめ、どこ?」
「まず、鈴が増えたかどうか」
レオンは箱へ手を出さずに言う。
クリスが数える。
「ひとつ。ふたつ。……ない」
「じゃあ三つ目の鈴が隠れてる、と決めるのは早いな」
アストルは引き紐から手を離した。
今度は蓋を開けたまま、打ち腕を指先でゆっくり動かす。
大きい鈴。
小さい鈴。
そのあと、腕が元の場所へ戻る。
「クリス。腕だけ見ててくれるか」
「うん」
アストルがもう一度、ゆっくり動かした。
大きい鈴を叩く。
次に小さい鈴。
戻る途中。
クリスが指を差す。
「そこ!」
打ち腕の端が、大きい鈴の縁へほんの少し触れた。
小さく、チ、と鳴る。
「これ!」
レオンが作業台の横から覗く。
「三つ目は、帰るときに一つ目へ触ってたのか」
「そうらしい」
アストルは打ち腕の根元を見る。
戻った腕を受け止める場所には、小さな革の当てが入っていた。
けれど、その革は長く使われて薄くつぶれ、片側だけ少しへこんでいる。
アストルが薄紙を一枚差し込む。
腕を戻す。
本来なら、革に止められたところで鈴との間に薄紙一枚ぶんの隙間が残る。
ところが今は、薄紙の端が鈴と腕に挟まれた。
「当て革が低くなってる」
フィオナが点検紙へ書く。
「だから戻りすぎるんだね」
「たたくとき、ふたつ。かえるとき、もうひとつ」
クリスが言った。
アストルが笑う。
「その見方で合ってる」
工具を扱うところからは大人の仕事だった。
アストルが留め木を外し、つぶれた当て革を取り出す。
古い革は裂けてはいない。
けれど中央が薄くなり、端だけが厚く残っていた。
新しく使うのは、工房の端革箱にある乾いた革片だ。
古い当て革を上へ重ねて大きさを写し、アストルが革包丁で切る。
角を落とす。
厚みを比べる。
いきなり固定せず、まず仮に溝へ差した。
打ち腕を手で戻す。
「今度は?」
クリスは目を細める。
「さわってない」
アストルが薄紙を入れる。
腕を戻しても、紙は軽く引き抜けた。
「隙間あり」
レオンが言う。
「じゃあ、これで決まり?」
「まだ。紐で動かしたときも同じか見る」
当て革を留め木で固定し、外した部品が残っていないことをフィオナと一緒に確かめる。
それから箱を元の向きへ戻した。
「試すぞ」
クリスは見学札の中へ足を戻す。
一回目。
チン、チン。
「ふたつ」
二回目。
チン、チン。
「ふたつ」
三回目。
チン、チン。
クリスはすぐ答えず、少しだけ耳を澄ませた。
余韻が消える。
「……おしまい。ふたつ」
「三回とも余分な接触なし」
フィオナが点検紙へ書き込んだ。
レオンは古い当て革と新しい当て革を見比べる。
「音だけ聞いてたら、鈴が三つあるとか、打ち方が三回になってるって思ったかもしれないな」
クリスが頷く。
「なか、みたら、ふたつ」
「それと、戻るところまで見た」
「うん。かえるとこ、だいじ」
アストルは古い当て革を廃材用の小箱へ入れた。
「直すってのは、鳴るところだけ見る仕事じゃないからな。動いたものが、どこへ戻るかまでで一回だ」
クリスは引き紐を見た。
「いって、かえる」
「そういうこと」
片づけの途中、フィオナが点検紙の控えをしまうため、工房の紙箱上段を開けた。
前からそこに入っている麦穂印の留め紙の端が少し浮いている。
フィオナは指先で一度だけ平らに撫で、そのまま同じ場所へ戻してから箱を閉じた。
レオンは横で見ていたが、何も言わない。
クリスは二つの鈴を眺めたままだった。
昼食のあと、クリスは小さな紙を二枚もらった。
一枚へ丸を一つ。
もう一枚にも丸を一つ。
○ ○
少し離して並べる。
「ふたつ」
そのあと、二枚目の右側へ小さな空きを残した。
レオンが尋ねる。
「そこには何も置かないの?」
「うん」
「どうして?」
「もう、ならないとこ」
昨日までは、言葉の間や音を待つ場所を作った。
今日は、鳴らないことを確かめる場所だった。
クリスは二枚を返却箱の横へ置こうとして、フィオナを見る。
「これはクリスの紙だから、返却品とは分けようね」
「あ」
クリスは自分で居間側の小紙箱へ持っていった。
修理した合図鈴は浅い木箱へ戻す。
アストルが蓋の留め金を確認し、フィオナが荷札と点検紙を重ねる。
最後に白い返却布を掛けた。
「明日の朝、返す前にもう一度、箱と札を確かめる」
「わたしも、みる」
「呼ばれてからな」
「うん」
夕方近く、高窓から細い風が入った。
梁の上で羽を休めていたスノーが、ふいに町の西側へ顔を向ける。
クリスもそちらを見た。
まだ何も聞こえない。
少ししてから、遠い通りの方で二つの鈴が鳴った。
チン、チン。
クリスは梁を見上げる。
「スノー。まだ、なってなかったのに」
スノーは答えず、風上側の羽を一枚だけ嘴で整えた。
クリスも追及しなかった。
明日は、白い返却布を外し、戻す箱をもう一度見る。
スノーがようやく片目だけこちらへ向けた。
「二つの鈴に三つ目が混じるなら、鳴る数じゃなく戻る腕を見ろ――……まだ鳴ってねえ方へ俺が向いた? 風は鈴より先に道を渡るんだよ」




