8月19日(水):季節句の日
とある世界では今日は『短い言葉の中へ、季節や目の前の景色をそっと置いてみる』日。アルメリアでは『季節句の日』として、見えたものや聞こえたものを短い言葉にし、その並びや間まで楽しむ日になっている。
昼前の居間で、クリスは昨日の紙片を見つめていた。
『しろい』
『つぶ』
『まつ』
白粒米を量ったあと、自分で残した三つの言葉だ。
昨日は一枚の紙に縦に書いたまま、居間棚の端へ置いておいた。
「きょう、これ、つかう」
クリスが卓へ運ぶと、レオンが向かい側へ座った。
「昨日、置く場所でも違って見えるって言ってたやつだな」
「うん。ならべる」
ルミナは台所から細長い紙を三枚持ってきた。
「元の紙はそのまま残しましょう。こっちへ一つずつ写したら、好きに動かせるわ」
クリスは鉛筆を握った。
一枚目へ『しろい』。
二枚目へ『つぶ』。
三枚目へ『まつ』。
字の大きさは少しずつ違う。それでも、自分で読める。
「できた」
余分な紙を切る作業だけはルミナが引き受けた。角も指へ当たらないよう丸くする。
三枚になった言葉を、クリスはまず昨日と同じ順に並べた。
『しろい』『つぶ』『まつ』
「よんで」
レオンが一枚ずつ読む。
「しろい。つぶ。まつ」
クリスの眉が寄った。
「ちがう」
「順番は合ってるよ?」
「でも、ちがう」
今度はフィオナが卓の横へ来た。
「私も読んでいい?」
「うん」
フィオナは三枚を見る。
「しろい、つぶ。まつ」
クリスの顔が少し明るくなったものの、すぐ首を横へ振った。
「ちょっと、ちがう」
そこへ工房からアストルが顔を出す。
「お、今日は言葉遊びか。父の名作を――」
「お父さんはまだ読まないで」
フィオナに止められ、アストルは両手を上げた。
「了解。名作は胸の内へ戻した」
クリスは三枚をじっと見た。
書いてある言葉は合っている。
順番も合っている。
それなのに、頭の中で聞こえるものと違う。
レオンは札へ手を出さずに尋ねた。
「クリス。どこで止まりたい?」
「とまる?」
「前に朗読の紙束で、読む順番と息を置くところを分けたことあっただろ。休むところがあるのは分かってる。今日は、その休む場所が三枚だけで相手に伝わるかってことじゃない?」
クリスはしばらく考えた。
それから、一枚目と二枚目を指で寄せた。
『しろい』『つぶ』
三枚目だけを少し離す。
『まつ』
「ここ、いっしょ。ここ、やすむ」
「じゃあ、こう?」
レオンが読む。
「しろいつぶ。……まつ」
クリスの目が丸くなる。
「それ!」
今度は自分で読む。
「しろいつぶ。……まつ」
声にすると、昨日の炊き鍋が浮かんだ。
白い粒。
その前で、水面が静まるのを待った時間。
「これ、きのう」
「うん。クリスの見た順になったな」
レオンは笑った。
クリスは嬉しくなり、三枚をそのままアストルの方へ押した。
「おとうさんも」
「任せろ」
アストルは卓の反対側から眺める。
「しろい。……つぶまつ」
「ちがう!」
クリスが身を乗り出した。
「そこじゃない!」
「え、こっちじゃないのか?」
「ここ!」
一枚目と二枚目の間を指す。
「ここ、いっしょ!」
「俺の側からだと、どっちの隙間も同じくらいに見えるぞ」
アストルの言葉に、クリスは止まった。
自分の席へ戻る。
こちらからなら、ちゃんと違う。
一枚目と二枚目は近い。
二枚目と三枚目は遠い。
今度はアストルの側へ回った。
そこから見る。
「あれ」
斜めになった札は端がずれていて、確かに隙間の差が分かりにくい。
「わたし、わかるのに」
「クリスの中では、もう休むところが決まってるからね」
フィオナは三枚を動かさずに言った。
「でも、読む人はクリスの頭の中を見られない」
クリスは自分の額を両手で隠した。
「みえない?」
「見えない」
「じゃあ、みえるようにする」
答えは早かった。
フィオナが笑う。
「うん。そこを考えよう」
クリスは三枚を揃えようとして、すぐ手を止めた。
「おにいちゃん。どうする?」
レオンは少し考える。
「ぼくが並べたら、ぼくの見やすい幅になる。クリスが決めた幅を、誰が見ても同じにできればいいんじゃないかな」
グレゴールが地下室から上がってきたところで、その言葉を聞いた。
「基準を置けばよい」
クリスが振り返る。
「きじゅん?」
「同じ幅を作るための物差しだ」
「ものさし、ながい」
「ならば、長くないものを使え」
グレゴールはそれだけ言って椅子へ座った。
フィオナが工房の端材箱から、薄い木片を二つ持ってくる。
一つは指一本ほどの幅。
もう一つは、その倍ほどある。
「これならどう?」
「これ、ちいさい。これ、おおきい」
「近く置きたいところには小さい方。大きく休みたいところには広い方を挟む。並べたら木片は外す」
クリスはすぐにやってみた。
一枚目。
細い木片。
二枚目。
広い木片。
三枚目。
三枚の下端も卓の縁へ合わせる。
「まっすぐ?」
「少しだけ二枚目が上」
レオンが答える。
クリスは自分で直す。
もう一度見る。
「これ」
木片を抜いた。
今度は、近い隙間と広い隙間の差がはっきり残った。
クリスは自分の席から読む。
「しろいつぶ。……まつ」
次にレオンの席へ回る。
そこから読む。
「しろいつぶ。……まつ」
アストルの側からも見る。
「しろいつぶ。……まつ」
「いっしょ!」
クリスは両手を上げた。
ルミナも少し離れた台所側から読んだ。
フィオナも読む。
最後にグレゴールが眼鏡越しに三枚を見る。
誰が読んでも、二枚目と三枚目の間で一度止まる。
「みんな、いっしょ!」
「クリスが覚えた休み方を、みんなにも見える形にできたね」
ルミナが言った。
クリスはしばらく札を眺めたあと、また動かした。
今度は、
『しろい』
を離し、
『つぶ』『まつ』
を近づける。
「よんで」
アストルが読む。
「しろい。……つぶまつ」
クリスは声を上げて笑った。
「へんなの!」
「粒松。地下室にありそうだな」
「ない」
グレゴールが即答した。
「今のところは」
「増やさないで、義父さん」
ルミナまで笑う。
クリスは何度か間を変え、そのたびに家族へ読んでもらった。
言葉の順番が同じでも、休む場所が変わると聞こえ方まで変わる。
それが面白くて、もっと札を増やしたくなった。
「『あまい』も、いれる」
鉛筆を取る。
そこで止まる。
昨日の白粒米は、確かに少し甘かった。
けれど『あまい』を足すと、今いちばん残したかった「待った時間」より、味の方が大きくなる気がした。
クリスは鉛筆を置いた。
「いらない」
フィオナが尋ねる。
「書かないの?」
「うん。きょう、みっつ」
「足せるけど、足さない?」
「うん」
クリスは満足そうに頷いた。
何かを伝えるために、全部を言わなくてもいい。
そして、言葉のないところも、何もしていないわけではない。
三枚は厚紙の上へ置いた。
貼り付けない。
また並べ替えられるよう、そのままにする。
細い木片と広い木片は小さな布袋へ入れ、厚紙の横へ置いた。
「これ、またつかう」
「じゃあ戻す場所を決めよう」
レオンが言う。
クリスは考えた。
「ことばのとなり」
居間棚の手前。
三枚の札、その横に木片の袋。
次に遊ぶとき、すぐ一緒に出せる場所だ。
午後のいちばん暑い時間は戸布を閉じ、家族はそれぞれ静かに過ごした。
夕方になって日差しが弱まると、ルミナが高窓を少し広く開けた。
細い風が居間へ通る。
そのとき、窓の外から小さな羽音がした。
クリスが顔を上げた。
「きこえた」
もう一度。
今度は少し近い。
クリスはすぐ窓へ走らず、席に座ったまま耳を澄ませた。
「どこ?」
レオンも窓を見る。
「音はするけど、まだ分からないな」
クリスは新しい札へ手を伸ばしかけた。
けれど、やめた。
「まだ、かかない」
今日は、分からないものへ先に言葉を置かない。
三枚の言葉の間には、夕方の風が通っていた。
梁の上でスノーが、居間棚の三枚と開いた高窓を順に見下ろした。
「読む順を知ってても、頭ん中の間までは勝手に伝わらねえ。見える幅にして初めて同じところで休める――明日の羽音も、聞こえた場所だけで決めつけるなよ」




