8月18日(火):白粒量りの日
とある世界では今日は『毎日の食卓にある白い粒を、量るところから丁寧に見直す』日。アルメリアでは『白粒量りの日』として、穀粒を量り、洗い、水を含ませ、炊き上がるまでを急がず確かめる日になっている。
朝の台所には、昨日の夕方にルミナが出しておいた白粒米の袋と、小さな量り升が並んでいた。
クリスは起きてくるなり見つけた。
「あった。きょう、これ」
けれど、すぐには触らない。
昨日、自分で決めた通り、まず朝の水を飲み、顔を洗い、手を拭いた。
それから量り升の前へ戻る。
「いま、はかる」
「うん。今日はこの升で二杯ね」
ルミナが白粒米の袋を開けた。
クリスが量り升を両手で持ち、ルミナが少しずつ粒を入れる。
白い粒が縁より高く盛り上がった。
「いっぱい」
「まだ一杯にはなってないわ。上を揃えてから」
細い木べらを渡され、クリスは升の縁へ沿わせた。
高く積もった分だけを、袋の中へ戻す。
「たいら」
「それで一杯」
クリスは洗い鉢へ移した。
二杯目も同じように量る。
途中で一粒だけ卓へ落ちた。
指を伸ばしかけたクリスは、卓と自分の指を順番に見る。
「ここ、あさ、ふいた」
「手も乾いてるね」
レオンが言う。
クリスは一粒を拾って洗い鉢へ入れた。
「ひとつ、もどった」
「落ちた場所が汚れてたら戻さない。それも覚えておこう」
ルミナの言葉に、クリスは頷いた。
次は洗う。
水を入れると、白粒米の間から薄い白さが広がった。
「しろい」
クリスは指を開き、粒を押し潰さないように動かす。
最初の水を替える。
もう一度。
さらにもう一度。
三度目にも、水には少し白さが残っていた。
「まだ、しろい。もっと?」
「そこで止めていいわ」
「とうめい、しない?」
「透明になるまで洗うものじゃないの。粒を傷めないところで止めるのも大事よ」
クリスは水を見た。
昨日は、きれいに見えるものだけで決めなかった。
今日は、きれいに見えるまで何でも続ければいいわけではないらしい。
「ここで、おしまい」
洗い終えた白粒米を炊き鍋へ移す。
ルミナは鍋を平らな卓へ置き、細い水見棒を縁の決まった場所へ立てた。
棒には、水加減を見るための短い刻みが付いている。
「次は水ね。少しずつ入れて、線を見るの」
クリスが水差しを持った。
水を入れる。
白粒米の間を抜けて、水面が上がる。
刻みの近くまで来たところで、クリスの目が輝いた。
「もうすぐ!」
その声に合わせるように、水面の上へ白い光の粒が浮かんだ。
一つだった粒が二つになり、三つになり、やがて水見棒の周りへ細い輪を作る。
水面にも、本当の刻みとは別に、白い線がいくつも重なって見えた。
「せん、いっぱい」
クリスは顔を近づける。
「どれ?」
水差しを置いて、鍋を少し自分の方へ寄せた。
水が揺れる。
白い線も揺れる。
反対側から見ようとすると、線の数がまた増えた。
「こっちも。こっちも、せん」
レオンが横から覗きかけ、すぐに離れた。
「ぼくには水見棒の刻みは一本しか見えない。でも、クリスには違うのが見えてるんだな」
クリスの顔が固まった。
昨日、冠葉の実を金色に見せたものと似ている。
自分が嬉しくなると、見えるものが増える。
そう思った途端、クリスは両手をぎゅっと握った。
「うれしく、しない」
「クリス?」
「たのしく、しない。そしたら、でない」
口を真一文字に結ぶ。
目も細める。
さっきまで弾んでいた声まで、小さくする。
「わたし、しずか。できる」
けれど、白い線は消えなかった。
むしろ、消えるかどうか気にするほど、水見棒の周りへ光の粒が集まる。
クリスの肩が下がった。
「できない」
ルミナはすぐに水見棒へ手を出さなかった。
クリスの前にしゃがむ。
「楽しくならないようにしなくていいのよ」
「でも、せん、いっぱい」
「いっぱい見えたら、いっぱいのまま少し休もう」
「けすの?」
「消そうとしなくていい。今は量る手を休めるの」
クリスは水面を見る。
「わたし、わらって、いい?」
「もちろん」
アストルが炊き台の脚を点検しながら振り向いた。
「飯を炊く日に、しょんぼり禁止なんて決まりはうちにはないぞ」
クリスの口元が少し戻った。
「じゃあ、うれしい」
「それでいい」
レオンは水差しを卓の端へ寄せた。
「ぼくも鍋に触らない。みんなで動かさなければ、本当の水面も止まるから」
クリスも鍋から手を離した。
誰も水見棒に触らない。
誰も鍋を動かさない。
白い光はまだ水面に浮いている。
けれど、追いかけない。
一つの輪が薄くなる。
二つ目もほどける。
クリスは途中で笑った。
それでも増えなかった。
「わらった」
「うん」
「でてこない」
「笑ったから出る、笑わなかったら出ない、って一つに決めなくてもいいんじゃない?」
レオンが言った。
「昨日もそうだっただろ。何か一個だけで全部決めない」
クリスは考え、それからまた水面を見た。
最後の白い粒が消える。
残ったのは、本当の水面と、水見棒の刻みだった。
「せん、ひとつ」
「じゃあ、どこまで水を入れる?」
ルミナが尋ねる。
クリスは鍋へ触らず、横から目の高さを合わせた。
「もう、ちょっと」
水差しを持ち、ほんの少しだけ足す。
置く。
手を離す。
待つ。
水面が止まる。
もう一度見る。
「ここ」
ルミナも同じ高さから確認した。
「ちょうどね」
クリスは嬉しそうに笑った。
今度は白い線が増えても慌てなかった。
二つだけ水面に浮かび、すぐ薄くなる。
「いた」
「いたね」
「でも、まてる」
白粒米には清潔な布を掛け、水を含むまで休ませた。
しばらくしてクリスが見に来ると、水面はさっきより低くなっていた。
「みず、へった」
「どこか濡れてる?」
レオンが聞く。
クリスは鍋の周りと卓を見る。
「ぬれてない」
「じゃあ?」
クリスは米を見る。
「つぶ、のんだ」
「そうね。水を含んだの」
ルミナが答えた。
「みず、たす?」
「最初にちゃんと量って、こぼれていないから足さないわ」
クリスは昨日の冠葉の実を思い出すように、少し首を傾げた。
「へった、だけで、きめない」
「そういうこと」
炊くところからは大人の仕事になった。
アストルが炊き台の脚と鍋の座りを確認し、ルミナが火を扱う。
クリスとレオンは少し離れた椅子から見守った。
火が入ってしばらくすると、蓋の隙間から湯気が上がる。
クリスが鼻を動かした。
「におい、かわった」
「まだ蓋は開けないぞ」
アストルが言う。
やがて火を止める。
それでも蓋はそのままだ。
「ひ、ない」
「うん」
「まだ、まつ?」
「今度は、鍋の中を落ち着かせる待ち時間」
ルミナが答える。
クリスは指を折った。
「みず、まつ。つぶ、まつ。なべ、まつ」
「全部、待つ理由が違うね」
レオンが言った。
昼の鐘が鳴るころ、ようやく蓋が開いた。
白い湯気の向こうで、粒がふっくら立っている。
クリスは椅子から身を乗り出しかけ、すぐ座り直した。
「あついから、ここ」
ルミナがしゃもじで底から返し、湯気を逃がす。
昼食には白粒米と焼いた夏野菜、薄い塩汁が並んだ。
地下室から上がってきたグレゴールも席に着く。
「今日は白粒米か」
「わたし、はかった」
クリスが胸を張る。
「途中で、せん、いっぱいになった。でも、うれしくしてた」
グレゴールは一瞬だけ眼鏡の奥で目を細めた。
「それでよい。食卓でまで顔を固める必要はない」
クリスは大きく頷いた。
最初の一口をゆっくり噛む。
「あまい」
昨日の冠葉の実とは違う。
「ちいさい、あまい」
食べ終えたあと、クリスは小さな紙片と鉛筆を持ってきた。
しばらく考えて、三つだけ書く。
『しろい』
『つぶ』
『まつ』
ひらがなの並びを眺め、今度は紙を動かした。
『つぶ』
『まつ』
『しろい』
「ちがう」
もう一度。
『まつ』
『しろい』
『つぶ』
クリスは首を傾げた。
「おくばしょで、かわる」
フィオナが紙を覗き込む。
「言葉は同じなのにね」
「どれ、いい?」
「今日は決めなくてもいいんじゃない? 明日また見たら、違うのが好きになるかもしれないし」
クリスは三枚に分けず、その一枚を居間棚の端へ置いた。
「じゃあ、あした、ことば、みる」
梁の上でスノーが、空になった量り升と、三つの短い言葉を見下ろした。
「見える線を力ずくで消すな。手を離しゃ、水も気持ちもそのうち戻る――明日は短い言葉ほど、どこへ置くか自分の目で決めろ」




