8月17日(月):冠葉の実の日
とある世界では今日は『冠のような葉をつけた、甘酸っぱい果実を楽しむ』日。アルメリアでは『冠葉の実の日』として、色だけで決めつけず、香りや傷みを確かめてから切り分ける日になっている。
朝のうちから、石畳には強い日差しが落ちていた。
夏休みのフレイメル家では、昼が近づくと厚い戸布を半分閉じ、高窓だけを細く開ける。外へ出る用事は朝のうちに済ませ、いちばん暑い時間は家の中で過ごす。
クリスは朝食の皿を流しへ運ぶと、まっすぐ台所の涼み棚へ向かった。
浅籠の中には、昨日から置かれている冠葉の実が一つ。
「あった」
両手を伸ばしかけて、途中で背中へ回す。
「さわらない。まず、みる」
卓で水を飲んでいたレオンが顔を上げた。
今日は椅子から降りずに尋ねる。
「何が見える?」
クリスは実の周りをゆっくり半周した。
「こっち、みどり。こっち、きいろ、ちょっと」
「ほかは?」
「はっぱ、ながい。ここ、いたくない?」
葉先へ顔を寄せかけたので、ルミナが流しの前から声を掛ける。
「顔は近づけすぎないでね。匂いは下の方からでも分かるわ」
クリスはしゃがみ、浅籠の縁の手前で止まった。
鼻から一度、息を吸う。
「……あまい。ちょっと」
けれど、台所いっぱいに広がるほどではない。
クリスはもう一度、実を見る。
「きいろ、ふえた?」
そのときだった。
実の表面に、小さな金色の点が一つ浮かんだ。
二つ、三つ。
点は葉の根元からこぼれるように増え、硬い皮のくぼみをなぞって、実の周りを明るく飾った。
クリスの目も一緒に丸くなる。
「きんいろ! いっぱい!」
アストルが工房へ運ぶ布束を抱えたまま足を止めた。
「おお。今日はずいぶん豪華に見えるな」
グレゴールも眼鏡越しに眺める。
「見た目が賑やかな日は、手を出す前に待つ方がよい」
それ以上は何も説明しなかった。
レオンは実を見た。
金色が重なると、緑だったところまで熟した黄色に見える。
「これだけ見たら、ぼくも『もう食べられる』って言いそうだ」
「たべる!」
クリスが振り向く。
レオンは頷きかけて、止まった。
「でも、ぼくが決めるんじゃない。クリス、さっき何を見た?」
「みどり。きいろ。におい」
「金色が出る前は?」
「きいろ、ちょっと」
「じゃあ、今と違うね」
クリスは実を見る。
金色はまだきれいだ。
きれいだから、すぐ食べたい。
昨日も待ったのだから、もういいはずだと思いたくなる。
「まつの?」
「少しだけ。金色がどうなるか、一緒に見よう」
レオンが手を伸ばさないので、クリスも伸ばさなかった。
ルミナが冷やした水を小さな杯へ分ける。
「お昼の支度をしながら待ちましょう。実を日に当てたり、強く押したりはしない。このまま置いておくの」
「きいろに、する?」
「色を作るんじゃなくて、今あるものを見るのよ」
クリスは杯を受け取った。
「……いまの、みる」
待っている間、台所では昼の支度が進んだ。
ルミナが葉物を洗い、アストルは卓の脚のがたつきを確かめる。フィオナは居間から夏休みの課題紙を持ってきて、風で飛ばないよう薄い木板の下へ入れた。
クリスは匙を並べた。
一つ置くたび、涼み棚を見る。
最初は実の周りいっぱいにあった金色が、水を半分飲んだころには葉の近くへ寄っていた。
皿を並べ終えるころには三つ。
やがて、最後の一つも消えた。
「あ」
クリスは浅籠の前まで戻る。
さっきと同じ場所に立ち、同じ高さから見る。
「みどり、ある」
レオンが隣へ来た。
「最初からあったんだと思う」
「きんいろで、みえなかった」
「うん」
クリスはしばらく黙ったあと、自分の胸を指した。
「わたし、たべたかった」
レオンは笑わなかった。
「ぼくも食べたいよ。だから、食べたいときほど、最初に見た方を覚えておくといいのかも」
クリスはもう一度しゃがむ。
「におい、もういっかい」
今度は金色を待たない。
鼻を近づけすぎず、浅籠の下側から確かめる。
「さっきより、わかる。あまい」
昼の鐘が鳴る少し前、ルミナが実を持ち上げた。
まず底を見る。
汁は出ていない。黒く沈んだところもない。
クリスにも見せる。
「ここ、ぬれてない」
「そうね」
次に、表面へ指を立てず、両手で支えるようにして状態を確かめる。
「強く押して柔らかさを作らないの。ぶよぶよした場所や、傷んだへこみがないかを見るのよ」
「ふにゃふにゃ、ない?」
「ないわ」
レオンが聞いた。
「じゃあ、切っていい?」
ルミナはクリスを見る。
答えを渡すのではなく、最後を任せる顔だった。
クリスは実を見る。
緑は残っている。
黄色もある。
甘い匂いがする。
底は濡れていない。
変なへこみもない。
そして、金色はもう見えない。
「きる。おとなが、きる」
「そうしましょう」
包丁を使う間、クリスとレオンは卓の反対側へ下がった。
アストルがまな板の滑りを確かめ、ルミナが葉の付いた上部と端を落とす。
刃が皮を通ると、淡い黄色の果肉が現れた。
今度は見た目より先に、甘い香りが台所へ広がる。
クリスの口が丸くなる。
「ほんとの、におい」
皮を外し、硬い芯を除き、一口で食べられる大きさに切り分ける。
クリスの皿には小さめのものが三つ。
「いただきます」
一つ食べる。
噛んだ瞬間、眉が上がった。
「あまい。すっぱい。つめたい」
「三つ分かったな」
レオンが笑う。
クリスは二つ目をすぐ取らず、皿を見た。
「まったから、あまい?」
フィオナが課題紙から顔を上げた。
「待ったから甘くなった、って決めない方がいいよ。今日、待ったのは味を増やすためじゃないから」
「じゃあ、なんで、まった?」
「クリスの見え方が落ち着くのと、同じ実をもう一度ちゃんと見るため」
クリスは自分の目元へ指を当てた。
「きんいろ、まった?」
「うん。金色が悪いわけじゃないよ」
フィオナは笑う。
「きれいなものが消えるまで待ったんじゃなくて、きれいなものだけで決めないために待ったの」
クリスは二つ目を食べた。
今度は目を閉じずに噛む。
「じゃあ、わたし、みて、まった」
「そう。それで自分で決めた」
昼食には、ひつじ雲ベーカリーの薄い丸パンも並んだ。
朝の買い物で使った紙袋をフィオナが畳もうとして、麦穂印の留め紙に指を止める。
少し折れていた端を平らに戻し、捨てる紙の方へは置かなかった。
クリスが三つ目の果物を食べながら尋ねる。
「おねえちゃん、それ、のこす?」
フィオナは一拍だけ止まる。
「……まだ使えるから」
「ふうん」
クリスはそれ以上聞かず、最後の一切れを食べた。
フィオナは留め紙を小さく畳まず、そのままの形で工房の紙箱上段へ戻した。
午後、余った果肉は蓋付きの器へ入れ、涼しい場所へ移した。
葉と皮は別の籠へ。
浅籠の汁気は乾いた布で拭き取ってから棚へ戻す。
クリスは空になった籠を見て、指を四本立てた。
「みる。におい。まつ。おとなに、きく」
レオンが頷く。
「今日はそれでいいと思う」
「おにいちゃん、こたえ、いわなかった」
「言いたかったけどね」
「えらい?」
「そこ、ぼくが自分で言うと格好悪くない?」
クリスは笑った。
夕方、ルミナは明日の朝に使う白い穀粒の袋を台所棚から出し、木の升と一緒に水差しの横へ置いた。
クリスはすぐに見つけた。
けれど袋には触らない。
「あした、これ?」
「そう。明日の分」
「じゃあ、あした、みる。はかるの、あと」
レオンは何も付け足さなかった。
今日、答えを先に言わなくても、クリスは自分で見つけた。
浅籠にはもう冠葉の実はない。
それでも、待った時間だけは台所のどこかに残っているようだった。
梁の上でスノーが、空の浅籠と白い穀粒の袋を順番に見下ろした。
「金ぴかに見えたからって齧りつくな。腹が鳴ったからって白い粒を先に量るな――待てる目があるなら、明日もちゃんと自分で見ろ」




