8月15日(土):静灯の日
とある世界では今日は『多くの人を失った時代の終わりを忘れず、亡くなった人を悼み、これからの穏やかな日々を願う』日。アルメリアでは『静灯の日』として、正午に家の灯りを一つだけ低くし、家族が同じ刻に手を休める日。
朝食のあと、レオンは昨日赤くなっていた左のかかとを確かめた。
赤い線はずいぶん薄い。触っても痛くない。
ルミナも見てから言った。
「今日は外へ出ないし、もう少し休ませましょう。靴は昨日直したから、次に履くときにまた中を確かめればいいわ」
「うん」
玄関には、縫い直した左の夏靴が右と並んでいる。レオンはそれ以上触らなかった。昨日やる確認は昨日終わっている。
居間では、ルミナが小さな灯皿を石の敷板へ置いていた。昨日の夕方に出しておいたものだ。アストルが受け皿の縁を拭き、芯の長さと油の量を確かめる。
「正午になったら、これ一つだけ?」
「ええ。町の鐘を聞いたら灯りを低くして、少しのあいだ手を休めるの」とルミナが答えた。「誰を思うかまで、家で決める必要はないわ」
レオンは昨日の風車丘を思い出した。
同じ町を見るのでも、広く見たい人、道を見たい人、近い家の灯りを見たい人がいた。違っていいものは、一つへ押し込まなくてよかった。
「じゃあ今日は、みんな別々に決めればいいんだ」
レオンは端紙を六枚出した。
アストルには『工具を置く』。 ルミナには『クリスのとなり』。 フィオナには『書かない』。 クリスには『手を休める』。 グレゴールには『いつもの椅子』。 自分には『灯りを見る』。
「これなら、それぞれ違ってていい」
フィオナが六枚を順に見た。
「レオン。いつ始めるかは?」
「正午の鐘」
「それ、私の札にはないよ」
「あ」
アストルも札を持ち上げた。
「俺は工具を置いたあと、いつまで止めてる?」
「みんな同じくらい……」
言いながら、レオンは止まった。
クリスの札には、何のために手を休めるのかも書いていない。
昨日は違うものまで一つへまとめた。
今日は、その反対をやった。
「……分けすぎた」
フィオナが口を開きかけて、一度閉じる。
「私も、最初に『何を一緒にする?』って聞けばよかった。ごめん」
「ぼくも。昨日のやり方をそのまま今日の答えにした」
アストルが六枚の札を卓の中央へ寄せた。
「じゃあ、同じじゃないと困るところから決めるか」
ルミナが新しい端紙を一枚置く。
レオンは鉛筆を持ち直した。
「正午の鐘」
「灯りを一つ低くする」とフィオナ。
「手を止める」とアストル。
クリスが両手を膝へ置いた。
「しずかにする」
ルミナが頷く。
「亡くなった人を悼んで、これから穏やかに暮らせるよう願う。その時間を一緒に持つことね」
「それ以外は?」
グレゴールが椅子から答えた。
「座る場所も、手の置き方も、どこを見るかも好きにすればよい。胸の中まで揃えるものではない」
レオンは六枚の個人札を裏返して重ねた。
中央の一枚へ書く。
『正午の鐘』 『一灯を低く』 『手を休める』 『思う相手は決めない』
「これなら?」
「分かる」とフィオナ。
「俺も」とアストル。
クリスは最後の行を指す。
「わたし、だれおもうか、いわなくていい?」
「うん。言わなくていい」
「わかった」
正午の少し前、灯皿の置き場所を確かめた。
石の敷板はぐらつかない。周りに紙も布もない。水差しは少し離れた卓へ置く。アストルが一度だけ火を入れ、芯を下げて炎が小さく安定する位置を確かめる。煙が出ないことを見てから火を消した。
共通札も灯皿から離して置いた。
「札はできた。火も大丈夫」
レオンは一度、家族を見回した。
誰も同じ場所には座っていない。
それでいい。
やがて、町の正午を知らせる鐘が鳴った。
ルミナが灯皿へ火を移す。
レオンは朝に確かめた炎の高さを見て、「そこまで」と言った。アストルが芯を下げる。
小さな炎になる。
アストルは工房口で手を止めた。工具は作業台へ寝かせてある。フィオナは窓際の椅子、ルミナとクリスは居間の長椅子、グレゴールはいつもの席。
レオンは灯皿から一歩下がった。
全員の姿勢は違った。
見ている場所も違った。
けれど、同じ鐘のあとに手を休めている。
クリスは両手を膝へ置いていた。フィオナは窓の外へ目を向けている。アストルは伏せたまま動かない。グレゴールは小さな炎を見ていた。
梁の上のスノーも、羽を体へ寄せた。
決めていた時間が過ぎると、ルミナが静かに顔を上げた。
レオンは家族を見て、終わりの合図に一度だけ頷く。
アストルが灯消しをかぶせ、炎を消した。
誰もすぐには大きな声を出さなかった。
しばらくして、クリスが小さく言う。
「おみず、のむ」
「うん」とルミナ。
アストルは工房へ戻り、フィオナは昼食の皿を運び始めた。
静かな時間のあとにも、家の一日は続いていく。
灯皿は冷めるまで石の敷板から動かさなかった。レオンは手を近づけず、アストルが縁へ指を当てて熱が残っていないことを確かめてから、ルミナが居間棚へ戻す。
中央に置いた札には『静灯控え』と書き足した。
裏へ二行。
『一緒にすることを先に決める』 『それ以外は決めすぎない』
玄関小棚の『家の段取り』へ入れる。
午後、クリスが薄い絵物語を一冊抱えてきた。
「レオン。これ、つづき、よむ?」
レオンは表紙を見てから、クリスの隣へ座った。
「今日は一つだけ読んで、続きは明日にしよう」
「なんで?」
「明日の楽しみも残す」
クリスは少し考え、最後まで読まずに細い紙を一枚挟んだ。
「じゃあ、ここ。あした、ここから」
「飛び出しすぎると曲がるよ」
二人で紙を少しだけ奥へ戻す。
レオンは閉じた絵物語を卓の端へ置いた。
今日そろえたのは、家族の考えることではない。
同じ刻に手を休めること。
それだけを一緒にしたから、そのあとはいつもの暮らしへ戻れた。
梁の上でスノーが冷めた灯皿と閉じた絵物語を見下ろした。「何もかも同じにするな、何もかも別にもするな。揃えるのは戻る刻だけでいい――胸の中まで札にしたら、しまう棚がいくつあっても足りねえぞ」




