8月14日(金):足当たりの日
とある世界では今日は『靴を脱いで、足裏の感覚や足元の状態に目を向ける』日。アルメリアでは『足当たりの日』として、家のきれいな床で足を休ませ、長く歩いたあとの足と靴を一緒に確かめる日。
昼前、レオンは台所の椅子に座り、桶の水で片足ずつ洗っていた。
昨日は風車丘まで坂を上り、帰りも灯路をたどって歩いた。家へ戻ったとき、ルミナが「明日は足の方も見ましょう」と言った。その約束を、朝の片づけが終わってから実行している。
隣の小椅子では、クリスが先に足を洗い終えていた。乾いた布の上へ両足を揃え、指を一本ずつ広げている。
「わたし、ここも、ふいた。ゆびのあいだ」
「うん。湿ったままにしないの、大事ね」
ルミナが頷く。
工房へ続く戸は閉まっていた。床には木屑や細い金属片が落ちることがある。地下室も同じだ。裸足で過ごしてよいのは、掃き拭きの済んだ台所と居間だけ。
外の石畳は、昼になればまだ夏の熱を持つ。
レオンは足をよく拭いてから、右の足裏を見た。
次に左。
かかとの外寄りに、細い赤みが残っている。
「あれ」
ルミナが横へ来た。
「触ると痛い?」
レオンは指先で周りをそっと押した。
「痛くない。歩いてるときも気づかなかった」
皮膚は切れていない。腫れもない。
レオンは立とうとして、昨日の歩き方を思い返した。
「ぼく、坂で外側に体重かけてたかな」
片足を床へ置きかけて、止まる。
六月に、クリスの靴の中へ湿った砂粒が張りついていたことを思い出した。
靴は足の家だ。
外から見ただけでは分からないことがある。
「……先に靴も見る」
ルミナの口元が少し緩んだ。
「うん。それから考えましょう」
玄関から、昨日履いた夏靴を持ってくる。
レオンは右の靴紐を十分に緩め、手を奥まで入れた。つま先から側面、かかとまで、指の腹で順に触る。
右は平らだった。
左も同じように触る。
かかとの内側で、指先が止まった。
「ここ。ちょっと引っかかる」
アストルが工房から顔を出した。
「靴か?」
「左だけ中が出てる」
「よし。見る」
台所へ入ろうとして、レオンが父の手を見る。
「お父さん、工房の手」
アストルは自分の指を見て、そのまま流しへ向きを変えた。
「……よく見てるな」
「今日はそういう日だから」
手を洗って戻ったアストルと、左右の靴を窓際で比べる。
左のかかと布。その上端だけがわずかに浮いていた。
縫い糸が3針分ほど緩み、布の端に小さな癖がついて内側へ起きている。
レオンは自分の左かかとを横へ向けた。
「赤い場所と同じ高さ?」
フィオナが屈んで、靴と足を見比べる。
「近いね」
「じゃあ、これが原因?」
レオンが聞く。
アストルはすぐには頷かなかった。
「当たってた場所は見つかった。まず、それを平らに戻す。直したあと普通に歩いて、それでも赤くなるなら、また別に考える」
「一個見つけたからって、全部それにしない」
「そういうこと」
レオンは頷いた。
昨日まで、人の言葉を一つの意味へまとめすぎていた。
今日は、自分の足まで一つの理由へ急いでまとめずに済んだ。
作業は居間の手元机ですることにした。
アストルが清潔な作業布を広げ、靴を横向きに置く。
「全部ほどく必要はない。緩んだところだけ」
細い糸切りで傷んだ糸を3針分だけ外す。抜いた糸は小皿へ。
布を起こすと、その下に縫い穴が並んでいた。
レオンが触る。
「布、少し曲がったまま」
「先に形を戻すぞ。曲がったまま縫うと、その形で留まる」
薄い当て紙を布へ重ね、その上から平たい木片で押さえる。
しばらく待つ間に、クリスが遠くから覗いた。
「くつ、ねんね?」
「布を平らにしてる」
「じゃあ、しずかにする」
クリスは声を小さくして、居間の反対側へ戻った。
グレゴールは椅子に腰掛けたまま眼鏡越しに見る。
「急いで針を通さぬのはよい。縫い物は、針を刺す前に形を決める」
「おじいちゃん、今日は見てるだけ?」
「裸足の子どもがいる日に地下室の戸を開け放つほど耄碌しておらん」
クリスが自分の足を椅子の下へ隠した。
やがて木片を外す。
かかと布の端は、さっきより素直に元の位置へ戻った。
アストルが細い蝋引き糸を用意する。
「穴は増やさない。元の縫い穴を拾う」
靴を父が支え、一針目を見せる。
次からレオンが針を受け取った。
指ぬきを当て、古い穴へ針先を合わせる。無理に押し込まず、向こう側の穴と重なる角度を探す。
一針。
糸を引きすぎず、布が浮かないところで止める。
二針。
三針。
最後はアストルが靴を少し開き、かかと布の裏側へ糸端を収めた。足が触れる側に結び目を残さず、布を元へ戻す。
レオンは指の腹で、かかとの内側を何度もなぞった。
右。
左。
また右。
「同じくらい平ら」
「目だけじゃなくて、指でも合格だな」
アストルが道具を小箱へ戻す。
けれど、まだ終わりではない。
ルミナが薄手の靴下を一足渡した。
「赤みがあるところを、いきなり裸足で靴へこすりつけない。これで試そう」
レオンは靴下を履き、左の夏靴へ足を入れた。
立つ。
一度止まる。
それから台所まで歩き、居間へ戻る。
「どう?」
「当たらない」
「確かめるために歩き方を変えてない?」とフィオナ。
レオンは自分の足を見た。
「ちょっと、そーっと歩いてた」
「じゃあ、普通にもう一回」
今度は足元を見すぎず、いつもの歩幅で居間を一周した。
靴を脱ぐ。
ルミナが左かかとを確認する。
赤みは増えていなかった。
「今日はここまで。靴は直った。足は休ませる」
レオンも言い直す。
「靴は直った。足は、まだ休む」
「それでよし」
午後は外へ出なかった。
レオンとクリスは居間で裸足になり、木の床の感触を確かめながら過ごした。
窓に近い板は少し暖かい。
戸布の影はひんやりする。
クリスが足を一歩ずつ置く。
「ここ、あったかい。こっち、つめたい」
「走らないでね」
「はしらない。あしで、みてる」
「見るんじゃなくて感じるんだろ」
「……あしで、かんじてる!」
レオンは笑った。
夕方前、短い札を一枚書く。
『足を見る』 『靴の中を見る』 『履いて確かめる』
玄関小棚の「外歩きと安全」へしまった。
その横で、ルミナが小さな灯皿を一つ取り出して、乾いた布で縁を拭いていた。
「それ、明日使うの?」
「ええ。明日は少し、静かな灯りにしましょう」
アストルも今日は冗談を挟まず、灯皿の芯を指先で確かめた。
レオンは直した夏靴を揃えて玄関へ置く。
今日は、足元をよく見た。
明日は、その足元を照らす光も少し静かになるらしい。
梁の上でスノーが直った靴とかかとを順に見下ろした。「痛む場所だけ睨んで犯人を決めるな。足なら靴まで、靴なら中まで見ろ――お前らが帰ってくる足なんだ、雑に扱われちゃこっちも寝覚めが悪い」




