8月13日(木):灯景の日
とある世界では今日は『町の夜の姿を、そこに暮らす人の灯りごと眺める』日。アルメリアでは『灯景の日』として、夕暮れの坂や丘から灯路と家々の明かりを見て、同じ町でも立つ場所で違って見える景色を楽しむ日。
昼のフレイメル家は、戸布を半分下ろしていた。窓の外はまだ白く明るく、石畳の照り返しが壁まで届いている。
「風車丘は夕方。今は支度だけね」
ルミナが水筒へ水を満たす横で、レオンは居間の卓に紙を広げた。
昨日は、同じ「ここ」という言葉でも、見ている紙が違えば場所がずれると分かった。だから今日は最初から、みんなに聞く。
「丘で、どこが見やすい?」
フィオナは少し考えた。
「私は、灯路が町の奥まで続いて見えるところ」
アストルは腕を組む。
「俺は高い方。屋根もまとめて見たい」
「私は足元が平らで、風が強すぎないところ」とルミナ。
クリスはすぐ手を挙げた。
「わたし、おうちのひかり、みたい」
レオンは紙へ書いた。
『灯路』 『高い』 『平ら』 『おうち』
それから四つを眺め、一本の線で囲む。
「じゃあ、高くて平らで、家と灯路が全部見えるところを探せばいい。そこにみんなで座ろう」
昨日みたいに、誰の返事も飛ばしていない。今度は大丈夫だと思った。
「待って」
フィオナが紙を覗き込んだ。
「私、『高いところ』とは言ってないよ」
「でも高い方が奥まで見えるだろ」
「屋根が重なると、道は逆に見えにくいかもしれない」
ルミナも水筒の栓を閉めてから言った。
「私の『平ら』は、立つ場所じゃなくて、クリスと休める場所のことよ」
クリスは自分の言葉を指した。
「わたし、おうち。ちかいの、みたい」
レオンは眉を寄せた。
「でも、みんなに聞いたよ」
声が思ったより強くなった。
「お父さんは高いところ、お母さんは平ら、お姉ちゃんは灯路、クリスは家の光。だから全部入るところを探そうって――」
言いながら、昨日とは違う引っかかりに気づく。
聞いた。
書いた。
けれど、四つの答えを一つの場所へまとめていいかは、誰にも聞いていない。
アストルが頭を掻いた。
「俺の『高い』は、俺が広く見たいって意味だな。全員が高い場所に来いって意味じゃない」
フィオナも頷く。
「私の『灯路』は、光の数じゃなくて道の形が見たいって意味」
ルミナはレオンの紙を指した。
「同じ『見やすい』でも、見たいものが違ったのね」
「……ぼく、答えを聞いたから、分かったと思った」
「昨日より先までは来てるよ」とフィオナ。「今日は同じ紙を見て、ちゃんと聞いたもの」
「でも、その先を聞かなかった」
「うん。私たちも短く答えすぎた。ごめん」
レオンは囲んだ線を消さなかった。その横へ、三つの小さな枠を作る。
『広く見る』 『道を見る』 『近く見る』
「一か所に集めない。丘に着いてから、それぞれ見たいものが見える場所を探す。でも離れすぎない。声が届くところまで」
アストルが笑う。
「それなら俺は広く見る係だな」
「係じゃなくて、見たい場所」
「細かいな」
「そこが今日の大事なとこ」
梁の上でスノーが片目を開けた。
グレゴールは紙だけ見て言った。
「わしは行かんぞ」
「おじいちゃんも見ればいいのに」
「わしは居間の窓でよい。いっぱい見ることと、見たいものを見ることは別だ」
レオンは紙の隅に『おじいちゃん・家』と書き足した。
夕方、日差しが屋根の向こうへ傾いてから、もう一度空と風を確かめた。雲は薄く、風も穏やかだ。
水筒を2本。薄い敷布を1枚。クリスの帽子。暗くなりすぎる前に戻り始める。
風車丘へ向かう坂道では、レオンはルミナと歩幅を合わせた。曲がり角でクリスが遅れれば止まり、水筒の重さも途中でアストルと持ち替える。
スノーは屋根の上を渡るように飛び、少し先の石杭へ降りて待った。
丘へ着くころ、空の白さは青へ戻っていた。
風車から十分離れた草地で、一度だけ全員が止まる。
「ここから探す。まず、声が届く範囲」
レオンが言い、昼に書いた紙を開いた。
アストルは少し上へ。フィオナは灯路の曲がりが見える方へ。ルミナとクリスは低い石壁の近くへ行く。
レオンは真ん中に残った。
「お父さん、聞こえる?」
「聞こえる」
「お姉ちゃん?」
「大丈夫」
「お母さん?」
「聞こえるわ」
「クリス?」
「きこえるー!」
「大きすぎる!」
笑い声が返ってきた。
ルミナとクリスの場所には敷布を広げる。レオンとアストルで草の間の石や凹みを目で確かめ、平らなところへ置いた。四隅を小さな石で押さえる。
フィオナは数歩動いて、首を傾げた。
「こっち。ここなら灯路が屋根に隠れない」
アストルも上から手を振る。
「こっちは町が広いぞ」
クリスは石壁の脇から背伸びした。
「おうち、みえる。ちいさいの!」
昼にほどいた言葉が、今度は場所になっている。
空が暗くなるにつれて、町の形が別の線で浮かび始めた。
まず、灯路。
石畳の間を淡い光がつなぎ、曲がり角の先へ続いていく。
それから店の窓、家の台所、工房の手元灯。ひつじ雲ベーカリーのある通りにも、暖かな窓が一つ灯った。
派手ではない。
誰かが夕食を作る光。 まだ仕事をしている光。 片づけを終える光。 家族を待つ光。
レオンは真ん中から順に声を掛けた。
「お姉ちゃん、道は?」
「見える。曲がり角まで分かる」
「お母さん?」
「風も弱いし、足元も平ら」
「クリス?」
「おうち、いっぱい。ちいさいひかり、いっぱい!」
上からアストルが言う。
「こっちは屋根まで全部だ!」
「お父さん、それが見たかったんだろ!」
同じ町なのに、返事は全部違った。
今度は、その違いが失敗には聞こえない。
スノーは少し離れた石杭の上で、町より家族の方へ首を向けていた。
灯路がはっきりしてきたところで、ルミナが帰りの合図を出した。
「見えなくなる前に下りましょう」
敷布の石を外し、草や土が付いていないか払う。水筒の残りを確かめ、帽子も札入れもある。
レオンは紙を折らずに札入れへしまった。
帰宅すると、居間の窓辺にグレゴールがいた。
「おじいちゃん、見えた?」
「十分だ。最後に見たかったものが戻ってきた」
「なに?」
「五人と一羽」
レオンは一瞬黙って、それから笑った。
玄関で靴を脱ぐと、坂を歩いた足の裏がじんわり熱を持っている。
ルミナが靴を並べながら言った。
「明日は靴だけじゃなく、足の方も見ましょう。坂を歩いたあとは、赤くなっていないか確かめないとね」
クリスは靴下へ手を掛けた。
「いま、みる?」
「洗ってから」
「じゃあ、あした!」
レオンは今日の紙の上に『灯景見分け』と小さく書き、玄関小棚の「外歩きと安全」へしまった。
広く見る。 道を見る。 近く見る。
違う場所に立っていても、同じ町を見ていた。
梁へ戻ったスノーが羽を畳み、窓の外の灯りへ片目を向けた。「同じ町でも、立つ高さが違えば拾う灯りも違う。無理に一枚へ畳むな――帰る道と、お前らの足元だけ揃ってりゃ十分だ」




