8月11日(火):山恵みの日
とある世界では今日は『山に親しむ機会を得て、山から受け取る恵みに感謝する』日。アルメリアでは『山恵みの日』として、暑くなる前に丘の空気へ触れ、昼には持ち帰った気づきを道具の手順へ戻す日。
朝、レオンは玄関小棚の『外歩きと安全』から、昨日作った道見直し札控えを一度だけ読んだ。
『線を見る。石を見る。足を見る。止める前に、通る人へ理由を聞く。前へ出る札は、裏で確かめてから』
「今日は坂だから、平らな道と同じにしない」
そう言って札を戻す。昨日の失敗を覚えている言い方だった。
家族は水筒と帽子を持ち、日差しが強くなる前に風車丘の手前まで歩いた。グレゴールは家に残る。
「私は山の恩恵を、帰ってきた諸君の報告から受け取る」
「それ、留守番って言うんじゃない?」
レオンが返すと、グレゴールは茶を一口飲んだ。
「正確な分類だ」
風車丘へ向かう道は、町を離れるにつれて少しずつ傾いた。レオンは昨日のように先頭へ飛び出さず、アストルの横で足元を見る。土は乾き、日向と木陰で硬さが違う。曲がり角では、さっきまで右にあった高い側が、今度は左へ移る。
クリスがレオンの袖を引いた。
「おにいちゃん、さか、こっち。つぎ、あっち」
「うん。曲がると上側が変わる」
レオンは小さな紙へ、道の曲がりを一本足した。
今日は長く歩かない。最初の見晴らしまで行き、木陰で水を飲んで戻った。町の屋根を少し高いところから見ると、工房の煙突も、ひつじ雲ベーカリーの屋根も、同じ石畳の中へ収まって見えた。
帰宅すると、外はもう白く照り返していた。昼の外出は終わりだ。
昼食のあと、レオンは工房の作業卓下から持ち出し用小工具箱を引き出した。
八月五日に留め金を直し、箱胴を支える幅広の革帯と左右の低い持ち輪を付けた箱だ。中には摩耗した真鍮歯車、青銅の軸筒、曲がった留め輪、合同ギルド支部でもらった寸法札が収まっている。
「山道へ修理道具を持っていくなら、今日見た坂も使えると思う」
レオンは得意そうに言った。
アストルが腕を組む。
「どう使う?」
「重いものを坂の上側へ寄せる。そうすれば下へ引かれるぶんと釣り合って、持ちやすくなるはず」
昨日のような思いつきだけではない。朝、自分の足で坂を見た。曲がり角も見た。だから今度は、ちゃんと考えたつもりだった。
フィオナが箱を覗く。
「試すなら、本物の部品は出そう。転がしたくないから」
「うん。試してから札にする」
レオンはすぐ頷いた。
見本部品と寸法札を当て布の上へ移し、代わりに同じくらいの重さになる乾いた木片を数個入れる。箱の右側へ多めに寄せ、薄い仕切り布を挟む。右を『坂の上』と決めた。
アストルは右の留め金を指で確かめ、レオンは左を確認する。八月五日に直した木栓は動いていない。革帯にも裂けはない。左右の低い持ち輪を起こし、一度空の状態で持ち上げ、それから木片を入れてもう一度持つ。
工房の床に低い敷き木を一枚置いた。
「本当の坂ほど高くしない。足を取られない高さだけな」
アストルが言う。
レオンとアストルが箱の左右を持ち、アストルだけが敷き木へ片足を乗せた。
箱がわずかに傾いた。
右へ寄せた木片の重みが、レオンの手へ強く掛かる。
「……あれ」
「下ろすぞ」
すぐ床へ戻した。革帯も持ち輪も傷んでいない。
レオンは箱を見つめた。
「上に寄せたのに」
フィオナが朝の紙を指す。
「その『上』、ずっと同じ側だった?」
レオンは紙を見る。線は途中で曲がっている。風車丘の道では、右が高い場所も、左が高い場所もあった。
クリスが箱の反対側へ回った。
「まがったら、こっち、うえ?」
「……そうだ」
レオンは自分で書きかけていた『右=上』の札を裏返した。
昨日は、通る人へ理由を聞く前に札を置いた。今日は聞くことも、試すことも忘れていなかった。それでも、朝に一度見た向きを箱そのものの決まりへしてしまった。
「ぼく、また札を早く決めた」
少し気まずくて、声が小さくなる。
ルミナが水差しを置いた。
「昨日と同じ間違い?」
レオンは首を振った。
「違う。昨日は理由を聞かなかった。今日は見たし、試した。でも、道で変わるものを、箱では変わらない決まりにしようとした」
グレゴールが居間側から言う。
「なら、昨日より一段ましな失敗だ。やや面倒になったとも言える」
「おじいちゃん、それ褒めてる?」
「半分はな」
レオンは笑えず、でも怒りもしなかった。木片を全部出し、今度は箱の中央へ低くまとめる。左右へ寄りすぎないよう当て布で間を埋めた。
次に、箱の蓋裏へ細い仮札を二枚用意する。
『先持ち』 『後持ち』
左右を固定する札ではない。出発する前に、持つ人と坂の向きを見て、そのときだけ持ち方を決めるための札だ。
「曲がったら?」
フィオナが聞く。
「一度止まって持ち直す。箱の中身は動かさない。持つ役の方を替える」
「水を飲むときは?」
ルミナが続ける。
「そのときも箱を下ろす。持ったまま休まない」
アストルが頷いた。
「それなら段取りだな。箱に坂を覚えさせるんじゃなく、持つ側が坂を見る」
もう一度試す。
木片は中央。二人で持ち上げ、片方だけが低い敷き木へ乗る。今度は片手だけへ強く引かれない。いったん下ろし、『先持ち』『後持ち』を入れ替えて、向きも変えて試す。
三度目に下ろしたとき、レオンはようやく息を吐いた。
「どっちから坂になっても、先に決め直せる」
試験用の木片を戻し、真鍮歯車、青銅の軸筒、留め輪を一つずつ当て布で隔てて箱へ戻す。寸法札は折れないよう内側の平らな差し口へ入れた。最後に左右の留め金を閉じ、革帯が箱胴の中央を支えていることを目で確かめる。
レオンは新しい控え札へ書いた。
『坂持ち出し札控え』
『坂の上側を箱へ固定しない。重いものは中央低く。出る前に持つ人と道を決める。曲がりで向きが変わったら、一度下ろして持ち直す』
玄関小棚の『外歩きと安全』へ、昨日の道見直し札控えと並べて差し込む。
二枚並ぶと、失敗が増えたようにも見えた。
でもレオンには、昨日より少し違って見えた。
昨日の札は、人の理由を聞くため。 今日の札は、場所によって答えを変えるため。
夕方まで外へ出ないと決め、レオンは水をもう一杯飲んだ。玄関の返却籠には、初等学舎へ返す古い音管が布巻きのまま横になっている。八月六日に乾きを確かめてから、まだ音は出していない。
レオンは手を伸ばしかけ、やめた。
今日は、変わるものを一つの向きへ固定しない日だった。音にも、鳴らす前に確かめるものがあるのかもしれない。
梁の上でスノーが片目を細め、工房へ戻された工具箱を見下ろした。「重い知恵ほど真ん中へ置け。坂に合わせた答えを箱へ縫いつけるな――曲がっても持ち直せる決まりなら、お前の失敗もちゃんと次へ運べる」




