7月25日(土):夏氷受け渡しの日
とある世界では今日は『細かく削った氷で、盛夏の暑さをやわらげる』日。アルメリアでは『夏氷受け渡しの日』として、冷たい鉢を急いで取り合わず、待つ場所、受け取る場所、器を返す場所を先に整える日。
朝の石畳には、まだ軒の影が長く残っていた。夏休み8日目。近所の通り会へ持ち出し用小工具箱を届け、広場の水桶札を掛け直す道具を現地で確かめることになっている。貸し出しは、照り返しが強くなる前の設置作業が終わるまでだ。
フィオナは作業卓の下から、昨日空に戻した持ち出し用小工具箱を出した。町の短い作業へ必要な物だけを運び、濡れた物を乾いた工具から離して持ち帰るための箱だ。
候補にした白墨、細紐、布尺、留め紐二本、膝当て布は、まだ箱へ入れず、作業卓の灰色布へ並べる。レオンは一つずつ返却表へ書いた。
「白墨は記録棚の小箱。細紐と留め紐は壁棚の紐筒。布尺は記録棚の引き出し。膝当て布は台所脇」
「はこ、からっぽ?」
クリスが蓋を持ち上げる。
「現地で札と柱を見てから、使う物だけ入れるの。入れたあとも一区画は空けておくよ」
「からっぽ、あとで、つかう」
「使わなくてもいい。でも、必要になったとき困らない」
フィオナは案内札へ使う無地札を取ろうと、工房の紙箱を開いた。上段の麦穂印の留め紙が、箱を引いた風でわずかに浮く。端をそろえて押さえると、ほとんど消えたはずの焼きたての匂いを、指先だけが覚えているような気がした。
一拍置いて、下段から無地札を抜く。台所脇の『食べ物と水』の箱からは、冷渦札控えと鉢を持つ手布も借りた。
『器の支え。手布。匙を分ける。急いで受けない』
ルミナは水差し、帽子、冷やし布を玄関へ並べた。
「作業と歩行確認が終わったら帰ります。氷は、そのあと日陰で少しだけいただきましょう」
小工具箱を渡したあと、広場の朝涼みで削り氷を受け取る約束になっていたため、ルミナ、レオン、クリスも同行する。フィオナとアストルは、貸し出す道具の用途と返却先を現地で確かめる。グレゴールは工房の留守番だ。
「札の正面だけ見るな」
グレゴールは玄関で眼鏡を押し上げた。
「見る者がどこから来て、見たあとどちらへ進むかまで測れ」
広場では、近所の通り会の広場担当が日よけ布の下で待っていた。中央には、手回しの刃で氷を薄く削り、小鉢へ落とす氷削り台がある。東側に受け取り卓、西側に返し台、その奥に器洗い用の水桶が置かれていた。
水桶札は、使用済みの鉢と匙を返す場所を示し、飲み水の桶と間違えないようにする木札だ。鉢と匙の印があり、吊り輪にも札本体にも傷みはない。
「箱をありがとうございます。札は受け取り卓の横の柱へ掛ける予定です。道具も、ここで選んでいただけますか」
フィオナは札、柱、地面を確かめた。分解用の工具は要らない。白墨、細紐、布尺、留め紐二本、膝当て布を小工具箱へ入れ、右奥は空けておく。
広場担当が示した柱へ、アストルが札を仮掛けした。フィオナは低い位置からの見え方をクリスに、大人の列に入ったときの見え方をルミナに確かめてもらう。
レオンは待つ人の役、クリスは空の鉢を受け取る役、アストルは食べ終えた鉢を返す役になった。
「始めるよ。走らないで、いつもの歩幅」
レオンが日よけ布の端から氷削り台へ進む。クリスは受け取り卓から日陰へ抜けようとする。反対側からアストルが返し台へ向かった。
三人は、札の掛かった柱の前で同時に止まった。
待つ列は日陰を求めて柱側へ寄る。鉢を受け取った人も札を見て西へ曲がる。返す人は同じ札を正面から読もうとして、逆向きに入ってくる。
「わたし、こっち? こおり、かえす?」
クリスが鉢を抱えたまま首を傾げた。
「氷は食べる。返すのは鉢だ」
アストルが答えると、クリスは真剣な顔で鉢を見た。
「じゃあ、はちだけ、おかえり」
笑いが起きたが、フィオナは柱の前へ白墨で小さな止め印を付けた。
「札は壊れてない。三つの動きが、同じ場所を使ってる」
催しを始める刻まで、あまり間はない。けれど、急いで掛ければ始まったあとに直すことになる。
フィオナは細紐を三本出した。一つは待ち列の先頭から氷削り台まで。一つは受け取り卓から日陰まで。もう一つは日陰から返し台まで。地面へ沿わせ、交わるところを白墨で囲む。
三本は、すべて柱の前で重なった。
レオンが布尺を当てる。
「柱と受け取り卓の間は、二人が並ぶと狭い。待つ人が半歩下がっても、返す人と肩が近い」
「なら、札を見る場所を返す道へ移す。受け取った人に水桶札は要らない」
フィオナは、待つ道を広場の中央寄りへ一本分ずらした。受け取る道は東の日陰へそのまま抜く。返す道は外周を回り、西の返し台へ一方向で入るよう白墨線を引く。
器洗い用の水桶と返し台は、西柱の内側へ移した。水桶札もそこへ掛け替え、返す道から正面が見える向きにする。
無地札には、水差しと屋根の印を描き、『飲み水と休み場所は日よけの奥』とだけ書いた。これは入口の低い案内杭へ留める。飲む水と器を洗う水を、最初から別の場所で知らせるためだ。
広場担当は当番札を書き直した。
「削る人、鉢を渡す人、返し台を見る人。三人で場所を分けます」
もう一度、同じ役で歩く。
レオンは中央寄りの待つ道から氷削り台へ進む。クリスは鉢を受け取り、そのまま東の日陰へ抜ける。アストルは外周から西の返し台へ入る。今度は柱の前で誰も止まらなかった。
ルミナも大人の歩幅で往復し、日よけ布の影が短くなっても線から外れないことを確かめた。
「これなら、待つ人が増えても、飲み水の前と返し台の前は空けられます」
広場担当が頷く。
白墨線を引くときに使った膝当て布には、朝露と桶を動かした跡の湿りが付いていた。フィオナは乾いた紐や布尺へ重ねず、小工具箱の空けておいた右奥へ入れた。
レオンが返却表へ書き足す。
「空き区画に膝当て布。帰ったら洗い布の籠」
「からっぽ、ちゃんと、しごとした」
クリスが胸を張った。
催しが始まる前、家族も小さな削り氷を一鉢ずつ受け取った。赤い実の蜜が、白い氷へ細く染みていく。クリスは冷渦札控えで確かめたとおり、手布を鉢へ巻き、一度受け板へ置いてから両手で持った。
「つめたい。いそがない」
フィオナも匙を止め、水差しから一口飲んだ。待つ道、受ける道、返す道は、それぞれ別の手を通しながら静かに回り始めていた。
家へ戻ったのは、石畳の影が短くなりきる前だった。
白墨、細紐、布尺、留め紐を返却表どおり棚へ戻す。膝当て布と手布は洗い布の籠へ。小工具箱は中を乾拭きし、空のまま作業卓の下へ収めた。
冷渦札控えは台所脇の『食べ物と水』へ戻す。今日作った夏氷受け渡し札控えには、『待つ道、受ける道、返す道を分ける』『飲み水と器洗いの水を別に知らせる』『濡れ物を入れる場所を先に空ける』と書き、『町の手順』の箱へ入れた。
工房の紙箱では、麦穂印の留め紙が上段へ平らに収まっている。フィオナは箱を閉じる前に端だけをもう一度そろえた。
玄関小棚には、今週増えた札と、手前へ移した札がある。明日はWeek30の最後の日。札の枚数ではなく、一週間でどの棚が何度使われ、どこに手を入れる幅が残ったかを確かめる。
梁の上でスノーが広場帰りの小工具箱を見下ろした。「催しは鉢の数で回るんじゃねえ。待つ手、渡す手、返す手が止まらない置き方で回る――明日は一週間分の手つきを、棚の並びで読め」




