表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
208/219

7月20日(月):帰る岸札の日

 とある世界では今日は『大きな水の恵みに感謝し、その先の暮らしが穏やかに続くことを願う』日。アルメリアでは『帰る岸札の日』として、遠い海を思いながら、家の道具や札に、それぞれ戻る場所を作る日。


 昼のアルメリアに、海の匂いはなかった。窓の外では強い日差しが石畳を白く照らし、戸布の内側には水で濡らした布の涼しさが残っている。夏休み3日目の家には登校を急ぐ足音がなく、その代わり、今まで後回しにしてきた小さな片づけへ手を伸ばせる時間があった。


 海は町から遠い。それでも、広場の水盤にも、白陶の湯の外水にも、台所の水差しにも、水には入る場所と出る場所がある。使ったあとに戻る岸がなければ、次に必要な手が迷う。


 フィオナは玄関小棚の前にしゃがみ、昨日の聞き席役札控えを抜こうとした。ところが札の端は隣の紐へ引っかかり、白もや風屋根札控えと名替え門札控えまで一緒についてきた。奥では二十枚を超える控え札が斜めに重なっている。


「増えたね」


 昨日、レオンが「明日の主役が自分でなくても読めるように」と残した札は手前にあった。けれど、読めることと、すぐ取り出せることは同じではない。


「暮らした分だけな」


 アストルが工房から、浅い引き皿を6枚収めた木枠を運んできた。


「今朝作った、六つ口の札分け台だ。ここで分けて、皿ごと戻す。札にも帰る岸が要るだろ」


 地下室の階段から見ていたグレゴールが、眼鏡を押し上げる。


「試す前に名を付けるな」


 フィオナが一番左の皿を引くと、途中で重くなった。戻そうとした皿が斜めになり、隣の皿まで押し上げる。玄関小棚の札束が傾き、レオンが両腕で受けた。床へ落ちた麦穂印の留め紙を、クリスが拾う。


「むぎ。これ、どこ?」


 フィオナの返事が一拍遅れた。


「それも戻す場所を決める。今は青い布の上へ」


 ルミナが居間の卓へ布を広げた。


「札は名前が見える向きに並べましょう。分けるのは、台を直してからね」


 フィオナはすぐ役を振った。


「お父さんは台を工房へ。レオンは札を重ねずに並べる。クリスは麦穂の紙を布の端へ。お母さんは台所脇と工房の空きを見てくれる?」


「ぼく、先に名前だけ読む。急いで分けると、似た札を間違えるから」


「わたし、むぎ、ここ。うごかさない」


 工房で木枠を裏返すと、左の案内溝に削り粉が残っていた。フィオナは同じ厚さの紙片を2枚ずつ差し込む。右は奥まで通る。左は1枚目で止まった。


「夏の湿りで木が膨らんだ上に、ねじを締めた分まで内側へ寄ってる」


 アストルが後頭部をかく。


「抜け落ちないよう、ぴったりにした」


「動く道具のぴったりは、詰まりの別名だ」


 グレゴールの言葉に、アストルは黙って小ねじ回しを差し出した。


 フィオナは底板を外し、左の案内木を抜いた。乾いた刷毛で削り粉を払い、温めた布で溝の湿りを拭う。案内木を平らな当て板で挟んで形を戻し、細かな研ぎ紙を巻いた木片で溝を一度ずつ削る。そのたびに紙片を差し、左右の幅を比べた。


 3度目で、紙片2枚が同じ抵抗で抜けた。


 ねじ穴には薄い木輪を挟む。締めた力で案内木が寄りすぎないためだ。底板を戻し、空の皿を引く。次に白紙を5枚ずつ入れて、重さを掛けた状態でも試した。


 6枚とも、手前まで滑り、止めたい場所で静かに止まる。


「これなら使える」


 アストルが息を吐いた。


「朝のうちに役立たせたくて、測るのを一回省いた。悪かった」


「直せるところで止まったから大丈夫。次は札を入れた重さまで測ってから名前を付けて」


「はい、親方」


「お父さんが親方でしょ」


「今はフィオナだ」


 ルミナが笑った。「では今度こそ、六つ口の札分け台ね」


 居間へ戻り、6枚の皿を青い布の周りへ置いた。フィオナは『家の段取り』『町の手順』『外歩きと安全』『食べ物と水』『修理途中』の札を作る。残る1枚には文字を書かず、麦穂の印だけを写した。


 家息札控え、聞き席役札控え、みまもり札控えは家の段取り。名替え門札控えと星紐願い札控えは町の手順。白もや風屋根札控えは外歩きと安全。冷渦札控えと七色橋札控えは食べ物と水。切り光札控えは修理途中へ入れた。


 レオンは星紐願い札控えを置きながら言った。


「作った場所より、次に探す場所で決めた方が迷わない。これは次の町の行事で使うから、町の手順でいいと思う」


「うん。その決め方でいこう」


 クリスは麦穂印の留め紙を、麦穂の皿へそっと置いた。


「むぎ、ひとり」


「ひとりじゃないよ。そこが戻る場所」


 フィオナは留め紙の折れを直した。ルミナは何も尋ねず、工房の紙箱を指す。


「上段なら湿りにくいわ」


「そこへ置く。玄関でみんなが使うものではないから」


 声が少しだけ速くなったが、誰も笑わなかった。


 家の段取り、町の手順、外歩きと安全の箱は玄関小棚へ。食べ物と水は台所脇へ。修理途中は工房の修理棚へ。麦穂印の留め紙は、工房の紙箱の上段へ平らに置いた。夏休みに使う白もや風屋根札控えと聞き席役札控えだけは、それぞれの箱の手前へ出す。


 ルミナが尋ねた。


「暑い日に、外へ出る前に見る札は?」


 クリスは外歩きと安全の箱から、白もや風屋根札控えを見つけた。


「これ。かぜ。やね。おみず」


「家で役を決めるときは?」


 レオンは聞き席役札控えを抜く。


「前席は聞く席。話し合いで使うから、家の段取りで合ってる」


 分類は、きれいに見せるためではない。次の手が迷わず、必要なものへ届くためにある。


 玄関小棚には、札1枚ぶんより少し広い空きが戻った。フィオナは札分け台の皿を一度引き、戻す。空きは余りではない。道具が動き、次の札を受け入れるための幅だ。


 窓辺では、午後の光が軒の影を細長く伸ばしていた。明日は、自然へ親しむ月の始まり。外へ案内札を掛けるなら、高さだけでなく、風と影が通る幅も先に測ることになりそうだった。


 梁の上で、スノーが整った小棚を見下ろした。「岸は遠くにあるとは限らん。戻す手が迷わない場所を作れば、紙切れだって流されずに済む。……明日の札は、掛ける高さより先に、風の通る影を測れ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ