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7月19日(日):聞き席役札の日

 とある世界では今日は『これまで前の席に座らなかった人が、大事な役を担い始めた』日。アルメリアでは『聞き席役札の日』として、役を決める前に、座る場所、聞く順番、その役が何を守るのかを確かめる日。


 夏休み2日目の朝、フレイメル家の居間には、近所の通り会から届いた小さな当番表が広げられていた。


 昨日の白もや風屋根札控えは、玄関小棚の手前にある。


『風の逃げ道。休む屋根。水の場所。戻る道』


 レオンはそれを読んでから、居間の卓へ戻った。今日は水路へ出る日ではない。けれど、夏休みの間、近所の広場にある花鉢へ水をやる日、灯路番所の水桶を確認する日、小さい子に町歩き帳を読んで聞かせる日を、家ごとに少しずつ分けるらしい。


「役を決める前に、座る場所と聞く順番」


 レオンが声に出すと、クリスが椅子の背に両手をかけた。


「すわる、どこ?」


「それを決めるんだ」


 レオンは当番表の横へ、役札を並べた。


『前席』 『水持ち』 『読み上げ』 『聞き取り』 『戻し札』


 前席、という札を見た瞬間、レオンの胸が少し熱くなった。前に座る。みんなの前で言う。道を決める。ヒーロー心が、自然に手を伸ばす。


「前席は、ぼくでいいよね。外の道も分かるし、声も出るし」


「わたしも、まえ、すわる?」


 クリスが聞いた。


「クリスはまだ小さいから、戻し札を持つ係かな」


 言ってから、レオンは当番表へ書きかけた。すると、フィオナが少しだけ目を伏せた。


「私は、読み上げでもいいよ」


「お姉ちゃんは字がきれいだから、記録がいいと思う」


「うん。記録でもいいけど」


 その声は、怒っていなかった。けれど、少しだけ引いた声だった。


 ルミナが水差しを卓へ置いた。


「レオン。役は、先に決めるものかしら」


 レオンの手が止まった。


「えっと、早く決めた方が、動けるから」


「動く前に聞く日でしょう?」


 アストルが椅子を引きながら言った。


「父さんは水持ちでいいぞ。力ならある」


「その決め方も、少し早いですね」ルミナが穏やかに言った。


 アストルは椅子ごと止まった。


「今日は全員、止まる日か」


 地下室の扉が細く開き、グレゴールが顔だけ出した。


「前席とは、命じる席ではない。いちばん聞こえにくい声を拾う席だ」


 クリスが目を丸くした。


「おじいちゃん、すわる?」


「わしは階段の途中で十分だ」


 梁の上で、スノーが羽を一度だけ膨らませた。


「前に座りたいだけのやつは、だいたい後ろの声を落とす」


 レオンは当番表を見た。


 前席に自分の名を書きかけた炭筆の跡が、まだ薄く残っている。フィオナの欄には、記録と書きかけてある。クリスの欄には、戻し札。決める前に、もう決めていた。


 胸が少し痛くなった。


「ぼく、聞いてなかった」


 フィオナが顔を上げる。


「責めてないよ」


「でも、前に座る役を、強い声の役だと思ってた。お姉ちゃんが前に座るかもしれないって、考えなかった。クリスにも聞かなかった」


 レオンは炭筆を置いた。


「ごめん」


 クリスは首をかしげた。


「ごめん、どこ?」


「クリスの役を、ぼくが先に小さいって決めたところ」


「わたし、ちいさい」


「小さいけど、聞かなくていいわけじゃない」


 クリスは少し考えてから、ぱっと笑った。


「じゃあ、きく」


 ルミナは椅子を4つ、卓のまわりへ置き直した。大人用の高い椅子、子ども用の低い椅子、背のない丸椅子、そして踏み台つきの小椅子。高さがばらばらだと、前に座る人だけが大きく見える。


「まず、同じ目の高さに近づけましょう」


 フィオナは座布団を持ってきた。レオンは丸椅子の下へ薄い板を入れ、ぐらつきを止めた。クリスの小椅子には踏み台を寄せる。アストルは卓を少しだけ引き、全員の膝が当たらないようにした。


 物を動かすと、声の通り道も変わる。


 レオンは椅子の真ん中へ、小さな木札を置いた。


『聞く順番』


「最初に、やりたい役を言う。次に、できることを言う。最後に、困ることを言う。順番は、年じゃなくて札の左から」


「左から?」


「うん。今日は席の順」


 左にはクリスが座っていた。


「わたし、みず、ちょっともつ。おおきいの、むり。ちいさい、もつ。あと、よむの、すこし」


「じゃあ、クリスは小水筒と戻し札。読み上げは一行だけ」


 レオンが書くと、クリスは満足そうに頷いた。


 次はフィオナだった。


「私は、前席をやってみたい。前に出たいというより、みんなが言ったことを聞いて、役札に分ける係ならできると思う。困るのは、全部を私が決めたことにされること」


 レオンは息を止めた。


 前席は、命じる席ではない。聞き取る席。


「お姉ちゃんが前席。決める人じゃなくて、聞いて分ける人」


「うん。それなら」


 次はレオンの番だった。


「ぼくは、水持ちと道を見る係がしたい。あと、前席の人が聞き落としたら、札を戻して言う。困るのは、走りたくなること」


 アストルが笑いかけたが、ルミナの視線で咳払いに変えた。


「父さんは大水差し。ただし、運ぶ前に水の量を半分にする。腰を過信しない」


「自分で言えたなら上出来です」


 ルミナは、全員の言葉を聞いてから言った。


「私は休む時刻を見る係。暑さと白もやがある日は、行かない判断も役に入れます」


 グレゴールは階段から手だけ出し、小さな札を1枚置いた。


『黙っている者にも順番』


 レオンはそれを見て、もう一枚札を足した。


『言わない人に、決めつけない』


 居間の空気が、少し軽くなった。


 役は減っていない。むしろ増えた。けれど、誰か一人が大きな椅子に座っている感じは消えた。前席はフィオナ。水持ちはアストルとクリス。道を見るのはレオン。休み時刻はルミナ。黙っている人の確認は、札で残す。


「お姉ちゃん、前席、にあう」


 クリスが言うと、フィオナは少し照れた。


「ありがとう。でも、似合うより、聞けるかどうかだね」


「ぼくも聞く。前に出るだけがヒーローじゃないから」


 レオンがそう言うと、アストルが目を細めた。


「お、今日のヒーロー心は座っているな」


「座っててもヒーローはできる」


 レオンは聞き席役札控えを作った。


『前席は聞く席。役は声の大きさで決めない。やりたいこと、できること、困ることを順に聞く。決めつけたら謝る』


 その札を、白もや風屋根札控えの隣へ置く。玄関小棚には、家息札、灯鈴札、行き戻り荷札控え、四音札控え、半箱札控え、足手逃げ道札控え、長麺札控え、冷渦札控え、芯皮札控え、切り光札控え、葉皿ほめ札控え、星紐願い札控え、戻り札預け札控え、順足札控え、糸向き札控え、席間札控え、みまもり札控え、影音見分け札控え、空向き花札控え、差し戻し札控え、七色橋札控え、名替え門札控え、白もや風屋根札控えが並んでいる。その列に、聞くための札が加わった。


 夕方、フィオナは通り会の当番控えを清書した。レオンは横で、椅子の向きと水差しの量を書き足す。クリスは小水筒の絵を描いた。


「前席って、前へ進むだけじゃないんだね」


 レオンが言うと、フィオナは筆を止めずに答えた。


「うん。たぶん、後ろの声が届くように座る場所」


 その言い方が、レオンの胸に静かに残った。


 夜の灯路が窓の外で淡く光り始めた。明日は海の日。アルメリアには海は遠い。けれど、広場の水盤にも、白陶の湯の外水にも、深さと縁がある。大きな水を思う前に、浅い縁と帰る岸札を見るのだろう。レオンは、明日の主役が自分ではなくても、その札を読めるようにしておきたいと思った。


 梁の上で、スノーが聞き席役札控えを見下ろし、低く言った。「前の席を奪い合うな。そこは偉そうに座る場所じゃねえ、聞き落とした声を拾う場所だ。……明日は大きな水を呼ぶ前に、浅い縁と帰る岸札を見ろ」




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