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7月14日(火):空向き花の日

 とある世界では今日は『空を見守る花の名を持つものが、高い場所から雲と水を見つめ始めた』日。アルメリアでは『空向き花の日』として、高いものを追いかける前に、光の向きと水の筋を見て、足元の道を確かめる日。


 火曜の朝、フレイメル家の玄関には、昨日の影音見分け札控えが置かれていた。


『影の向き。音の出どころ。町の手順』


 レオンは靴紐を結びながら、それをもう一度読んだ。昨日は、怖い噂を追いかけず、灯路番所の巡回担当と初等学舎の朝当番教員へ渡した。今日は、怖い話ではない。けれど、追いかけるものが高いと、足元を忘れやすい。


「今日は、ひまわりの日だよね」


「作中では空向き花の日ね」フィオナが学院の鞄を肩へ掛けながら言った。「花の向きと、光の向きは似ているけれど、同じじゃないよ」


「高い花を追う前に、光の向きと水の筋を見る」


 レオンが声に出すと、ルミナは台所の水差しに布を掛けた。


「雨上がりの朝は、地面の水が光るわ。眩しいものを見る前に、靴の先を見るのよ」


「分かってる。ぼく、昨日みたいに、まず止まる」


 クリスは玄関小棚を見上げた。


「たかい、はな?」


「空を向く花みたいな観測盤が、初等学舎に来るんだって」レオンが言った。「合同ギルド支部の人が、朝だけ見せてくれる」


「おそら、みる?」


「うん。でも、見る前に足元」


 アストルが工房から顔を出した。


「高いものを見ると、男はつい登りたくなる」


 ルミナが振り返った。


「あなたは登る前に、降りる場所を決めてください」


「今日は朝から信用が薄い」


 梁の上で、スノーが片翼を少し伸ばした。


「高いもんは勝手に目を持っていく。足元を見られるやつだけが、ちゃんと上を見られるんだ」


 初等学舎へ向かう道は、昨日より明るかった。


 雨雲は薄くなり、朝日が商店街の屋根を斜めに照らしている。灯路石の間には細い水筋が残り、ところどころ銀色に光った。


 レオンは列の横を歩きながら、昨日より少しだけゆっくり足を運んだ。ヒーロー心は、先頭へ走るだけではない。後ろの子の足元を見て、列が広がらないようにすることも、今日の役目だ。


 初等学舎の校門が見えたところで、低学年の子たちの声が上がった。


「花だ!」


「大きい!」


 校門脇に、黄色い花の形をした観測盤が立っていた。背の高い脚に丸い盤がつき、周りには花びらのような薄板が並んでいる。中央の黒い小窓は空を向き、花びらは朝日を受けて明るく光っていた。


 合同ギルド支部から来た外部展示らしい。脇には木箱と説明板が置かれている。けれど、展示の脚元には、雨よけ布から落ちた水が細い筋を作っていた。


 高い花に目が行く。足元の水は、見えにくくなる。


「近くで見たい!」


 低学年の子が一歩前へ出る。靴の先が水筋に触れた。滑ったわけではない。けれど、足が少し横へ流れる。


 レオンの胸が跳ねた。


「止まろう。白い石の線の内側に戻って」


「でも、花が」


「花を見るために、先に水を見る」


 レオンは自分でも見たかった。黄色い盤は、まるで空へ顔を向けているみたいだった。花びらの光が、初等学舎の窓へ反射して、細い線を作っている。線は水筋の上でさらに明るくなり、足元の水をきれいに見せてしまう。


 きれいなものほど、危ない場所を隠すことがある。


「ぼくは動かさない。触らない。朝当番教員に知らせる」


 校門には初等学舎の朝当番教員がいた。レオンは列を壁側へ寄せてから、少し丁寧に言った。


「すみません。空向き花盤の光が水筋に反射しています。低学年の子が足を取られかけました。展示には触っていません」


 朝当番教員はすぐに頷いた。


「知らせてくれてありがとう。展示担当を呼びます」


 観測盤のそばにいた合同ギルド支部の展示担当が、木箱から札を取り出して来た。


「設置札を先に出すべきでした。仮置きのつもりで、光の向きを確認しきっていません」


 朝当番教員は、校門前に短い白紐を置いた。


「ここから先は確認中。子どもたちは、紐の外で待ちます」


 展示担当は、黄色い盤をすぐには動かさなかった。まず札を三枚、脚元の乾いた場所へ並べる。


『光の向き』 『水の筋』 『通る道』


「上を見る前に、下から確認します」


 レオンは思わず頷いた。


「光は東から。盤の花びらで、校門の窓へ返っています。水は雨よけ布から落ちて、門の内側へ流れています。通る道は、今、水筋と重なっています」


「よく見ているね」


 展示担当は、盤の花びらの角度を少し下げた。眩しさを消すためではなく、窓へ返る線を外すためだ。次に、脚元の水を布で押さえた。こするのではなく、水が流れる先へ小さな吸い布を置く。最後に、観測盤そのものを大人二人で半歩だけ横へ移した。


 レオンは手を出さなかった。


 出したい気持ちはあった。けれど、これは町から借りている展示物だ。子どもが動かすものではない。


 朝当番教員は通行確認札を出した。


『通行確認。白紐の右を一列で通る。展示を見るのは朝の鐘のあと』


 低学年の子が小さく聞いた。


「花、見られないの?」


「見られるよ」レオンが答えた。「でも、通る道と見る場所は別。今は通る。あとで見る」


「レオンくん、見たい?」


「見たい。でも、見たい気持ちが先に走ると、水の筋を踏む」


 自分で言って、レオンは少しだけ照れた。けれど、朝当番教員が微笑んだ。


「今日の見学は、レオンくんの札から始めましょう」


 朝の鐘のあと、初等学舎の前庭で、空向き花盤の見学があった。


 展示担当は、観測盤を低い位置へ少し傾け、子どもたちが順に見られるようにした。高く見上げるのではなく、目の高さより少し上。花びらのような薄板は、空の明るさを受けるためのものだと説明された。


「空をずっと見る道具なんですか?」


 レオンが聞くと、展示担当は頷いた。


「空の光、雲の影、水の動きを見るための道具です。ただし、見上げる人の足元を忘れたら、役に立ちません」


「道具も、動線が要る」


「その通り」


 展示担当は、今朝の確認札の写しを一枚くれた。


『高い花を見る前に、光の向きと水の筋を確認』


 レオンはそれを受け取った。ヒーロー心が少し熱くなる。けれど、その熱は走らない。札の形になって、手の中で落ち着いている。


 夕方、レオンは空向き花札控えを玄関小棚へ置いた。


 影音見分け札控えの隣に、今日の札が入る。家息札、灯鈴札、行き戻り荷札控え、四音札控え、半箱札控え、足手逃げ道札控え、長麺札控え、冷渦札控え、芯皮札控え、切り光札控え、葉皿ほめ札控え、星紐願い札控え、戻り札預け札控え、順足札控え、糸向き札控え、席間札控え、みまもり札控え、影音見分け札控え。その列に、光と水の札が加わった。


 クリスが札を覗き込む。


「たかい、はな、みた?」


「見たよ。でも、見る前に水を見た」


「みず、きれい?」


「きれいだった。だから危なかった」


 フィオナは学院の鞄を下ろしながら、少し感心した顔をした。


「きれいだから危ない、って分かるのは大事だね」


 アストルは窓辺の光を見て、工具を置いた。


「父さんも明日から、光る部品を追う前に床を見るか」


「今日からにしてください」ルミナが言った。


 グレゴールは空向き花札控えを読み、眼鏡を押し上げた。


「空を見る道具ほど、地上の置き場所が重要になる。よい手続きだ」


「おじいちゃん、今日は分かりやすい」クリスが言った。


 夜の灯路が窓の外で淡く光り始めた。明日はファミコンの日。レオンは、初等学舎の友人が持っている古い遊び箱の話を思い出した。箱は楽しい。けれど、つなぐ口を間違えれば、遊ぶ前に手が止まる。


 梁の上で、スノーが空向き花札控えを見下ろし、嘴を鳴らした。「高い花に目を持っていかれるな。光の向きと水の筋を見て、通る道を町の手順に乗せろ。……明日は遊び箱を開ける前に、差し口と戻す棚札を見ろ」


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