7月13日(月):影音たしかめの日
とある世界では今日は『不思議で怖い話に、胸の奥がそっと冷える』日。アルメリアでは『影音たしかめの日』として、怖がる前に立ち止まり、影の向きと音の出どころを見て、必要なら町の手順へ渡す日。
月曜の朝、フレイメル家の玄関では、昨日のみまもり札控えが小棚の前に出ていた。
『座る順。休む椅子。水の杯。息の幅。待つ』
レオンは靴紐を結びながら、その横に自分の鞄を置いた。週の始まりの空気は少し湿っていて、灯路石の目地だけが朝の光を細く返している。
「今日は、影と音を見る日だよね」
「見る前に走らないこと」ルミナが言った。「怖い話ほど、急ぐと形が増えるわ」
「影の向き。音の出どころ。それから灯路番所。ぼく、順番でやる」
フィオナは学院の鞄を肩に掛けた。
「自分だけで触らない方がいいよ。怖さを消すより、確かめた人を増やす方が落ち着くから」
クリスは玄関小棚を見上げた。
「こわい、すわる?」
「座らせる。場所を書いて、誰が見たか書いたら、ただの怖さじゃなくなる」
アストルが工房から顔を出した。
「お父さんも昔は、夜の森で音がしたら剣を抜いていたな」
ルミナが静かに振り返る。
「それで枝を何本切ったか、覚えている?」
「今日は町の手順が大事だな」
梁の上で、スノーが羽を膨らませた。
「剣で影は切れねえ。影を切ろうとするやつほど、足元を見てない」
通学路は、雨上がりの匂いがした。
レオンは初等学舎へ向かう列の横を歩いていた。同じ5年生の友人が前にいて、後ろには初等学舎の低学年の子が数人いる。商店街裏の雨よけ通りへ入る角で、列が急に縮んだ。
「出たって」
低学年の子が鞄の紐を握る。
「西門から来た荷運びの人が言ってた。雨よけ通りで、影が一人ぶん増えるって」
「足音もついてくるって」
レオンの胸が一度だけ跳ねた。けれど、昨日の言葉が残っている。怖がる前に、影の向きと音の出どころを見る。
「ここで止まろう。道へ広がらない。白い石の線の内側、壁側へ寄る」
「見るの?」
「見る。でも触らない。ぼくたちだけで決めない」
雨よけ通りの入口には、古い軒布が張られていた。昨日の雨で片側だけ重くなり、朝の光を受けて、石畳へ細い影を落としている。その影が、人の影の横へ重なっていた。
一人ぶん増えたように見える。
こつ、と奥で音がした。
低学年の子が肩をすくめる。レオンも走りかけて、足を止めた。音を追えば、列が動く。列が動けば、怖さも動く。
「助け鈴は引かない。急ぎの知らせじゃないから。あそこに巡回担当がいる」
角の助け鈴の柱のそばに、登校時間だけ立つ灯路番所の巡回担当がいた。レオンは近づき、列の子にも分かるように、少し丁寧に言った。
「すみません。雨よけ通りで、影が増えるという噂が出ています。音もして、低学年の子が止まっています。ぼくたちは通りへ入っていません」
巡回担当はうなずいた。
「よく止めたね。初等学舎の朝当番教員にも一緒に聞いてもらおう」
初等学舎の朝当番教員は、門の近くから来た。巡回担当は、薄い板札を二枚出す。
『確認中』 『通行確認』
まず白紐を石畳に置き、光の向きを示す。次に軒布の下へ立たず、横から影を見る。
「影は軒布だね。湿りで留め具が緩んでいる。店主へ番所から持ち戻し札を出す」
また、こつ。
巡回担当はすぐ奥へ行かなかった。音の間を待つ。次の一音で、レオンにも分かった。軒樋の雫が、空の木看板に落ちている。中が空いているから、足音みたいに返るのだ。
「ついてくる音じゃなくて、落ちる音」
「その通り。だが、看板の場所もよくない。驚いて止まる場所にある」
巡回担当は看板を勝手に動かさず、赤い小札を下げた。
『番所確認中。店主持ち戻し』
朝当番教員は子どもたちへ向いた。
「今日は通れます。ただし、白紐の外を一列で進みます。軒布の下では止まりません」
低学年の子が聞いた。
「こわいの、いる?」
レオンはすぐ答えず、巡回担当を見た。確認した人の言葉を先にする。
巡回担当が言った。
「影は布の影。音は雫の音。怖いものではなく、湿った朝の合図だね」
レオンは見分け札の控えに書いた。
『影の向き。軒布。音の出どころ。軒樋の雫と木看板。番所確認。白紐の外を通る』
初等学舎へ着くころ、朝の鐘までは少し余裕があった。同じ5年生の友人が小声で言う。
「レオンくん、走らなかったね」
「走ったら、怖さが走るから。今日のヒーロー心は、町の手順につなぐ方」
言ってから、レオンは少し照れた。でも胸の焦りは、もう怖さではなく、次に使える道順になっていた。
夕方、レオンは影音見分け札控えを玄関小棚へ置いた。
家息札、灯鈴札、行き戻り荷札控え、四音札控え、半箱札控え、足手逃げ道札控え、長麺札控え、冷渦札控え、芯皮札控え、切り光札控え、葉皿ほめ札控え、星紐願い札控え、戻り札預け札控え、順足札控え、糸向き札控え、席間札控え、みまもり札控え。その隣に、今日の札が入る。
クリスが覗き込む。
「こわい、すわった?」
「座ったよ。影は布、音は雫。番所の人と先生が見たから、みんなも通れた」
「ばんしょ、つよい?」
「強いというより、町の手順。ぼく一人より、手順の方が強い」
フィオナが学院の鞄を下ろしながら笑った。
「それが言えるの、いいと思う」
ルミナは札の端をそっと整えた。
「怖かったことも、消さずに順番へ置けたわね」
アストルは見分け札を読んで、工房の戸口から肩をすくめた。
「父さんなら、やっぱり枝を切っていたかもしれない」
「お父さん、だめ」クリスが言った。「かげ、きらない」
「はい、今日の先生はクリスだな」
夜の灯路が窓の外で淡く光り始めた。明日はひまわりの日。台所の水差しにかけた布へ、夕方の光が斜めに当たり、細い水筋を銀色に見せている。レオンは明日の通学路で、どちらから光が来るかを考えた。
梁の上で、スノーが影音見分け札控えを見下ろし、嘴を鳴らした。「怖さを笑うな、だが怖さに走らされるな。影の向きと音の出どころを見て、町の手順に渡せ。……明日は高い花を追う前に、光の向きと水の筋を見ろ」




