7月11日(土):席間かぞえの日
とある世界では今日は『たくさんの人が同じ星に暮らしていることを思い出し、数だけでなく一人ひとりの場所を考える』日。アルメリアでは『席間かぞえの日』として、人数を数える前に、席の間、通る道、声の届く幅を確かめる日。
土曜の朝、フレイメル家の台所には、湿った風と小麦の匂いが入っていた。
星粒ほいくえんは休みで、初等学舎も王立魔法学院分校も通常授業はない。だから家の朝は少し遅く、食卓の椅子も、いつもの登校前よりゆっくり並んでいた。
クリスは食卓の端に置かれた糸向き札控えを見てから、椅子を一つずつ指差した。
「ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ」
「今日は席間かぞえの日だから、数えるだけじゃ足りないよ」
レオンは持ち帰り課題の紙を広げた。土曜の宿題として、初等学舎から出されたものだ。題は『家の人数と、声の届く場所を調べる』。
「人数を書く欄だけじゃないんだ。座る場所、聞く場所、通る道を書く欄がある。先生が、数は多い少ないだけで見ちゃだめだって」
「かず、だけ、だめ?」
クリスは首を傾げた。
「うん。たとえば6人いても、椅子が6個あるだけじゃだめ。通る道がないと、鍋が運べないし、声が近すぎると全部混ざる」
「こえ、まざる」
「そう。糸豆の糸みたいに、外へ出ると困る」
アストルが工房の入口から顔を出した。
「つまり、お父さんの席は台所の近くでいいな。鍋がすぐ見える」
「つまみ食いに近いから却下」ルミナが言った。
フィオナは、ひつじ雲ベーカリーの紙袋を台へ置いた。朝の買い物で買ってきた小丸パンが入っている。袋の口は丁寧に折られ、小さな麦穂印の留め紙で押さえられていた。
「人数分より、一つ多く入ってた。形の少し崩れたものを、おまけにしてくれたみたい」
「テオ兄、そういうところあるよな」
レオンが何気なく言うと、フィオナは紙袋の口をもう一度まっすぐ折った。
「袋が湿らないうちに、台から離すね」
声は落ち着いていた。けれど、麦穂印の留め紙を剥がさずに指で押さえる手つきだけ、少し丁寧すぎた。
クリスはパンを見た。
「パン、ひとり、ひとつ?」
「まず、人を数えましょう」ルミナが言った。「パンから数えると、お腹が先に走るわ」
梁の上で、スノーが片目を開けた。
「数える前から腹を鳴らすな。席も声も、胃袋の都合で増えたり減ったりしねえぞ」
昼食の支度が始まるころ、レオンは課題の紙を広げ、椅子を並べ始めた。
アストル、ルミナ、フィオナ、レオン、クリス、グレゴール。食卓に座る人間は6人。スノーは椅子には座らない。けれど、声は聞く。食べるものも、少しだけ欲しがることがある。
クリスは梁を見上げた。
「スノー、いる?」
スノーは羽をふくらませた。
「俺を人数に入れるな。だが聞こえない場所へ追いやったら、後で文句は言う」
「いる」
クリスは即答した。
レオンは紙の上で鉛筆を止めた。
「椅子の数と、聞く場所の数が違うんだ。椅子は6。聞く場所は7。そこを一緒にすると、紙が変になる」
「変になるなら、欄を分ければいいんじゃない?」フィオナが言った。
「そうする。座る人、聞く場所、通る道」
レオンは紙を3枚切った。短い紙に、鉛筆で書く。
『座る人』 『聞く場所』 『通る道』
クリスは札を見て、食卓の周りを歩いた。椅子の背を触り、台所の入口を触り、梁の下を見上げる。
「ここ、スノー」
「勝手に指定するな」
「きこえる?」
「聞こえる」
「じゃあ、ここ」
スノーは返事をしなかった。けれど、梁の端から動かないので、そこが聞く場所になった。
問題は、そのあとだった。
クリスは「みんな、いっしょ」と言って、椅子を近づけた。レオンも、課題の紙に書きやすいように椅子を一列へ寄せた。アストルは自分の椅子を台所側へ少し動かした。グレゴールは「背中に風が当たらぬ位置」と言って、また別の向きに動かした。
食卓の周りが、急に狭くなった。
ルミナが鍋を持って通ろうとして、足を止める。
「通る道がなくなったわね」
「ぼく、戻す」
レオンが椅子へ手を伸ばした。
「まって」
クリスが椅子の間を覗き込んだ。
「せまい。こえ、ちかい」
確かめようとして、クリスは小さな声で「お母さん」と呼んだ。すぐ近くのルミナには聞こえる。反対側のグレゴールにも聞こえる。けれど、全員が同時に「聞こえた」と返したせいで、声が重なった。
「聞こえた」
「聞こえたぞ」
「聞こえたよ」
「きこえた」
クリスは両手で耳を押さえた。
「いっぱい」
声が届きすぎているのではない。返す場所が近すぎるのだ。
レオンは課題の紙を見下ろした。
「人数は合ってる。でも、席の間が合ってない。声の届く幅も、返す幅が狭いから混ざってる」
「数が合っていても、暮らしにくいことはあるわ」
ルミナは鍋を台へ戻した。
「先に、通る道を作りましょう」
レオンは椅子を動かしかけて、止まった。
「一気に動かすと、誰の席だったか分からなくなる」
フィオナが短い布紐を持ってきた。測るためではなく、間を見るための紐だ。
「椅子の間に、紐一本ぶん置こう。広すぎても声が遠いし、狭すぎると肘が当たる」
「ひも、いっぽん」
クリスは嬉しそうに紐を持った。椅子と椅子の間へ置く。紐が曲がるところは狭い。まっすぐ置けるところは、少し余裕がある。
アストルが自分の椅子を引いた。
「じゃあ、お父さんはここで」
「そこは通る道」ルミナが言った。
「また信用がない」
「今回は、道がない」
グレゴールが眼鏡を押し上げた。
「人数とは、椅子の数ではない。動ける幅も含めて、ようやく場になる」
「おじいちゃん、むずかしい」
「つまり、椅子を詰めるなということだ」
「わかった」
クリスは頷き、通る道の札を台所の入口側へ置いた。そこには椅子を置かない。空いている場所にも、役目がある。
次に、聞く場所を決めた。スノーは梁の端。グレゴールは風の当たらない椅子。ルミナは台所へ立ちやすい席。アストルは工具の粉を持ち込まないよう、工房側から少し離れた席。フィオナとレオンはクリスの左右ではなく、少し斜めに座る。隣同士だと、クリスがどちらの声を聞けばいいか迷うからだ。
「わたし、ここ?」
クリスが聞くと、ルミナが頷いた。
「そこなら、みんなの顔が見えるわ」
「スノーも?」
「見上げればね」
クリスは梁を見上げた。
「みえる」
声の幅も試した。まず、クリスが小さな声で「いただきます」と言う。全員がすぐ返事をしない。聞こえた人は、手を少し上げるだけ。声で返すのは、最後に一人。
クリスの声は、食卓の端まで届いた。梁のスノーは、片方の翼を少しだけ持ち上げた。
「聞こえた」
レオンが紙に書く。
『小さい声でも届く。返す声は一人ずつ』
アストルが感心した。
「声の人数も、順番がいるんだな」
「声も椅子みたいに、ぶつかるのね」フィオナが言った。
クリスは椅子の間の紐を見た。
「すきま、だいじ」
「そう」ルミナが笑った。「人が増えるときほど、隙間が大事」
昼食が始まると、パンは一人一つずつ配られた。余った一つは半分に切って、食卓の真ん中に置く。誰かが足りなかったら取れるように。最初から取り合うためではなく、足りない声が出たときのための余りだ。
クリスはそれを見て、昨日の紐の余りを思い出した。
「パンも、あまり」
「余りがあると、急がなくて済む」
レオンが言った。
「これ、課題に書ける。人数を数えるって、足りるかどうかを見ることでもあるから」
「食べ物の余りを書くの?」アストルが笑う。
「書く。食卓のことだから」
ルミナは小さく頷いた。
「いいね」
クリスはパンを一口食べた。ひつじ雲ベーカリーの小丸パンは、皮が薄く、内側がやわらかい。麦の匂いがして、少しだけ甘い。
フィオナは紙袋を丁寧に畳み、麦穂印の留め紙を剥がさずに端をそろえた。
「それも取っておくの?」レオンが聞いた。
「袋がまだきれいだから。何かを渡すときに使えるかもしれない」
「誰に?」
フィオナは答える前に、クリスの皿を見た。
「クリス、パンくずが落ちてる」
「ごまかした」
レオンが言い、ルミナが静かに目で止めた。
昼食のあと、レオンは課題の紙を仕上げ、クリスは席間札控えを作った。
『座る人。聞く場所。通る道。声の幅』
横に、椅子を丸で描く。通る道は白い線。スノーの聞く場所は、小さな羽の形にした。
「俺を羽だけにするな」
「スノー、ここ」
「聞く場所としては悪くない」
玄関小棚へ、席間札控えが加わった。家息札、灯鈴札、行き戻り荷札控え、四音札控え、半箱札控え、足手逃げ道札控え、長麺札控え、冷渦札控え、芯皮札控え、切り光札控え、葉皿ほめ札控え、星紐願い札控え、戻り札預け札控え、順足札控え、糸向き札控え。その列に、今日の札が入る。
小棚はいっぱいに見える。けれど、札の間にはちゃんと指一本ぶんの隙間がある。
夜の灯路が窓の外で淡く光り始めた。明日は人間ドックの日。ルミナが居間の端に、家族の体調札と小さな休み椅子を置いている。
クリスは椅子を見て、そっと言った。
「からだ、みる?」
「明日は、体を看る前に、座る順と休む場所を見る日ね」ルミナが答えた。
梁の上で、スノーが席間札控えを見下ろし、声を低くした。「数は詰め込むためにあるんじゃねえ。座る人、聞く場所、通る道、声の幅を見てから数えろ。……明日は看る前に、座る順と休む椅子を見ろ」




