7月6日(月):葉皿ほめの日
とある世界では今日は『ひと口の味を誰かがよいと言ってくれたことで、何でもない日が記念日に変わる』日。アルメリアでは『葉皿ほめの日』として、葉を洗い、水を切り、皿の底を見てから味を置き、最後に「いいね」を伝える日。
月曜の朝、フレイメル家の台所には、雨上がりの葉の匂いが残っていた。
窓の外の灯路は昼の顔をしていて、夜のようには光らない。それでも石畳の目地には細い湿りがあり、昨日の切り光杯を置いた布の端も、乾き棚でまだ少しだけ重たそうにしていた。
「クリス、今日は星粒ほいくえんで葉皿作りだったわね」
ルミナが小さな布巾を一枚、畳んで鞄の横へ置いた。園へ持っていく予備の布だ。
クリスは椅子に膝を乗せ、昨日の切り光札を覗き込んだ。
「はっぱ、もるまえ。みず、みる。そこ、みる」
「よく覚えてるね」レオンが感心した顔をした。「昨日のスノーの言葉だろ。今日は皿の底を先に見る日だ」
「そこ、みる。いいね、いう」
「言うのは、味を見てからよ」フィオナが笑った。「きれいだけで『いいね』を言う日じゃなくて、ちゃんと食べてから言う日」
クリスは少し考えて、両手を膝に置いた。
「たべてから。いいね」
アストルが工房から顔を出した。「お父さんにも言ってくれるか?」
「たべてから」
「厳しいな」
家族が笑うと、梁の上のスノーが片目だけ開けた。昨夜から同じ場所にいるのに、聞いていないふりだけは上手い。
「朝から褒め言葉を前借りするな。味も見ずに尻尾を振るのは犬の仕事だ」
「スノー、しっぽないよ」
「だから言ってねえ」
クリスはくすくす笑って、布巾を鞄へ入れた。
星粒ほいくえんの昼前の部屋は、雨のあとの庭に近い匂いがした。
星粒ほいくえんの昼食担当が、低い台の上に浅い籠と白い布と小さな皿を並べる。籠の中には、緑の葉、白い根の薄切り、黄色い小花のような香草が入っていた。どれも食べられる葉で、子どもたちが洗って盛れるように、台所で先に大きさをそろえてある。
「今日は葉皿ほめの日です。最初に何を見るでしょう」
クリスは手を挙げた。
「そこ」
「そう。皿の底を見ます」
昼食担当は皿を一枚、裏まで見せてから台へ置いた。底にひびはない。縁にも欠けはない。次に、浅い籠の底を見せる。細い編み目のあいだに、昨日の庭から入った小さな砂粒が一つだけ引っかかっていた。
「これを取ってから、葉を洗います」
小さな刷毛で砂粒を外へ寄せる。クリスはじっと見ていた。見てから触る。昨日の杯も、先に台座を見た。今日の葉も、先に底を見る。
葉を水にくぐらせると、薄い緑が水の中で広がった。
「おさかな」
クリスが小さく言うと、水面に淡い魚の形が一つ泳いだ。すぐ消えるはずだった。けれど、隣の子が「きれい」と言い、向かいの子が「いいね」と言った瞬間、葉先の水玉がふくらんで、小さな透明の花になった。
「おはな!」
クリスの胸が嬉しくなる。嬉しくなると、花はもう一つ増えた。葉の上、茎の横、皿の縁。透明な花は本物の重さを持たないのに、濡れた葉を少しだけ立たせた。葉と葉のあいだに水が残り、籠の底へ落ちる道がふさがっていく。
昼食担当は、慌てずに手を止めた。
「きれいね。でも、まだ味は置けないわ」
クリスは目を丸くした。
「いいね、だめ?」
「今の『いいね』は、見た目への言葉。葉皿の『いいね』は、食べてから言う言葉」
「たべてない」
「そう。だから、葉を落ち着かせましょう」
昼食担当は、水から上げた葉をすぐ皿へ盛らなかった。白い布を広げ、葉を一枚ずつ寝かせる。透明な花は、葉が重ならない場所へ置かれるたびに、ふっと薄くなった。
クリスは自分の手を見た。
「わたし、やりすぎ?」
「やりすぎというより、うれしいが先に走ったのね」
「うれしい、はしった」
「だから、座らせる」
昼食担当は台の前に小さな札を四枚並べた。
『葉』 『水』 『味』 『いいね』
「葉を広げる。水の切れ目を待つ。味を置く。それから、いいね」
クリスは札を指でたどった。
「はっぱ。みず。あじ。いいね」
「順番が分かれば、葉も分かるわ」
子どもたちは椅子に座って待った。待つと言っても、何もしないのではない。布の端を見る。水がどこまで広がるかを見る。葉がぺたりと寝ているか、ふわっと戻っているかを見る。
透明な花は少しずつ小さくなり、葉先の水玉に戻った。水玉は布へ移り、布の端に細い線を作る。線は少し進み、それから止まった。
クリスは息を止めるように見た。
「とまった」
「水の切れ目ね」
「いま?」
「今なら、皿へ行ける」
昼食担当は乾いた布で皿の底をもう一度拭いた。クリスも自分の皿を拭く。手は小さいから、丸く拭くと真ん中だけになる。昼食担当が「縁もね」と言うと、クリスは縁まで指を回した。
「ふちも」
「そう。味は縁にも逃げるから」
葉を皿へ移す。今度は、皿の底に水の輪ができない。葉は重ならず、低い山みたいに座った。昼食担当が酸実のしずくと塩草を合わせた小さな匙を持ってきて、葉の上へ少しだけ置く。
「たくさん?」
「少し。味が葉に残る量」
クリスは一口食べた。冷たい。すっぱい。あとから、塩草の匂いが鼻へ来る。噛むと、葉の端が歯に当たって、目が少しだけ細くなる。
クリスは飲み込んでから、皿を見た。
「いいね」
今度の透明な花は、一つだけだった。葉の上に小さく咲いて、すぐ水玉に戻る。水玉は流れず、味の上で光った。
昼食担当が頷いた。
「本当の『いいね』になったわね」
隣の子は「すっぱい、いい」と言った。向かいの子は「しゃきしゃき、いい」と言った。クリスは、それが全部同じではないことに気づいた。いいねは一つの言葉だけれど、皿の中ではそれぞれ違う味をしている。
食べ終わると、おひるね音箱が小さく波の音を流し始めた。眠らせる音ではなく、部屋を静かにするための音だ。昼食担当は、葉を広げた布を洗い籠へ移し、札の控えを一枚だけクリスに渡した。
『葉を広げる。水を待つ。味を置く。いいねは最後』
クリスはそれを両手で持った。
「おうち、もってかえる。スノー、みる」
「スノーは、褒めてくれるかしら」
クリスは真剣な顔で首を傾げた。
「たべてから、いう」
夕方、クリスは葉皿ほめ札を握って帰ってきた。
玄関では、レオンが初等学舎の鞄を棚へ戻していた。フィオナは学院の冊子を閉じ、玄関小棚の札をそろえている。家息札、灯鈴札、行き戻り荷札控え、四音札控え、半箱札控え、足手逃げ道札控え、長麺札控え、冷渦札控え、芯皮札控え、切り光札控え。そこに、クリスは今日の札をそっと足した。
「増えたね」フィオナが言った。
「はっぱ。みず。あじ。いいね」
「いい順番」
レオンは札を読んで頷いた。「ぼくの長麺札と似てる。湯の道を作ってから麺を入れるのと同じで、葉も水の道を作ってから味を置くんだ」
「お兄ちゃん、はっぱ、わかる?」
「分かる。今度、ぼくも皿の底を見る」
台所では、ルミナが夕飯の小さな葉皿を用意していた。アストルは一口食べる前に、わざと口を開きかけた。
「これは――」
クリスがすぐ止めた。
「まだ。たべてから」
アストルは匙を持ったまま、素直に頷いた。「はい」
家族がひと口ずつ食べる。水っぽくない。酸実のしずくが葉の上に残って、塩草の香りも逃げていない。
アストルが今度こそ言った。
「いいね」
クリスの顔が明るくなった。けれど、葉の上に花は増えない。一つだけ、水玉が小さく光って、すぐ消える。
「できた」
夜の灯路が窓の外で淡く光り始める。台所の端には、明日の七夕に使う細い紙と紐がもう置かれていた。クリスは葉皿ほめ札を見てから、短冊の紙を一枚だけ撫でる。
「ねがいも、さいご?」
「願いは、結ぶ前に見るの」フィオナが言った。「紙の重さと、紐の余りを」
クリスは何度も頷いた。
「おもさ。ひも。あまり」
梁の上で、スノーが葉皿ほめ札を見下ろし、嘴を少しだけ鳴らした。「褒め言葉は味のあとだ。葉を広げて、水の逃げ道を待って、皿の底を見てから置け。……明日は願いを結ぶ前に、紐の余りと紙の重さを見ろ」




