6月22日(月):転がし白柱の日
とある世界では今日は『丸い球を転がし、並んだ白い柱を倒す遊びを楽しむ』日。アルメリアでは『転がし白柱の日』として、まっすぐ転がる道と、倒れたあとに戻る柱の手入れをして、遊びの順番を確かめる日。
昼休みの初等学舎は、雨上がりの匂いで少し重かった。廊下の窓は半分だけ開き、外の石畳には細い水の筋が残っている。校庭の端の灯路石は、昼なのに淡い光を内側へしまい、濡れた顔で静かに並んでいた。
レオンは弁当箱を片づけると、廊下奥の遊具棚へ向かった。今日は転がし白柱の日。雨の日用の長い木台を出し、丸い磨き石を転がして、奥に並んだ十本の白柱を倒す。
けれど、木台の前では、初等学舎の低学年の子が困った顔をしていた。
「レオンくん、こっち曲がる」
磨き石は、途中までまっすぐ進んだあと、左の溝へ吸い寄せられるように寄り、白柱へ届く前に止まってしまった。
レオンはすぐに胸を張りかけた。風を少しだけ添えれば、石をまっすぐ走らせられる。そう思った瞬間、昨日の家の鈴玉が頭に浮かんだ。
鳴らす前に、音の通る腹を見る。
「待って。今は転がすんじゃなくて、台を見る」
「ぼく、もう一回やりたい」
「やりたいよな。でも、曲がる道で何回やっても、石のせいに見える。まず、道が曲げてないか確かめる」
低学年の子は少し不満そうだったが、磨き石を両手で持って下がった。
廊下の向こうから、初等学舎の昼休み担当が来た。その横に、修理箱を持ったアストルがいる。
「お父さん?」
「午前中に、学舎の傘立てを直しに来てたんだ。そしたら、こっちの転がし台も見てほしいって頼まれてな」
アストルは木台の端を軽く持ち上げた。梅雨の湿気を吸った木が、ほんの少し膨らんでいる。奥の白柱を立てる板も、右端だけ浮いていた。
「レオン、どう見る?」
「先に転がり跡。次に溝。最後に柱の底」
「よし。今日はお前が見る。父さんは工具を渡す」
レオンの胸が熱くなった。けれど、前に出すぎると低学年の子たちが遊べなくなる。ここで格好よく直すことより、直ったあとにみんなが使えることの方が大事だ。
レオンは磨き石の表面を乾いた布で拭き、木台の手前からそっと転がした。石は半分ほど進んだところで、左へ寄った。止まった場所には、黒っぽい細い線が残っている。
「ここで引っかかってる。石じゃなくて、溝だ」
アストルが短い刷毛を渡す。レオンは左の溝に溜まった砂と紙片を掃いた。紙片は、点数札を切った残りだった。雨上がりの湿気で溝に貼り付き、石の片側だけを遅らせていたらしい。
「昨日の紙と同じだ」レオンが言った。「小さい紙でも、湿ると止める」
「よく覚えてる」
レオンは紙片を小皿へ移し、溝を乾いた布で拭いた。次に、木台の下へ膝をついて覗き込む。左の脚の軸受けが少し緩んでいた。緩んだ脚が床の水気を吸って沈み、台全体が左へ傾いている。
「ここ、ねじが浮いてる」
「締めるか?」
「すぐ締めたい。でも、湿ったまま締めたら、あとで木が戻ったとき、きつくなりすぎる」
レオンは言いながら、自分で少し驚いた。いつものぼくなら、早く直すことばかり考えていたかもしれない。
アストルはにやりとした。「いい判断だ」
レオンは軸受けを外し、薄い乾き布を当てて水気を取った。ねじ穴の周りには細かい木粉が出ている。そこを刷毛で掃き、アストルから渡された小さな真鍮の薄輪を一枚だけ入れた。
「薄輪は一枚。二枚だと高さが変わりすぎる」
「そう。遊具は、強くするだけじゃなくて、同じに戻す」
ねじを締め直し、木台を床へ戻す。レオンは台の端を指で押した。さっきより沈まない。けれど、白柱はまだ少し斜めに立っている。
「柱の底だ」
十本の白柱は、下の丸い台座で立つ仕組みだ。倒れたあと、後ろの戻し板を引くと一列に起き上がる。ところが、三本だけ底に湿った粉が固まり、平らなはずの面が小さく膨らんでいた。
低学年の子が心配そうに聞いた。「削ったら、白柱ちいさくなる?」
「底のこぶだけ取る。柱を短くするんじゃない」
レオンは小さな紙やすりを取り、白柱を横に寝かせた。力を入れず、底だけを丸く撫でる。白い粉が少し落ちる。アストルが隣で受け布を差し出した。
「粉は床に落とさない。次の詰まりになる」
「うん」
三本を整え、十本を並べ直す。戻し板を引くと、白柱は一度倒れて、また起きた。さっきより静かだ。
そのとき、廊下の窓の外を、白い影が横切った。
レオンは顔を上げた。校舎の低い屋根に、白い羽の端が一瞬だけ見えた気がした。風は強くない。けれど、その影が過ぎたあと、木台の上に細い光が走った。窓から入った昼の光が、濡れた溝の底を斜めに照らす。
右奥の戻し板の下に、まだ小さな水玉が残っていた。
「まだある」
レオンは戻し板を外し、下の溝を乾いた紙縒りで拭いた。水玉が消えると、板の動きがさらに軽くなる。
アストルが窓の外を見た。「今の、よく見えたな」
「光が走ったから」
「そうか」
それ以上、アストルは聞かなかった。レオンも言わなかった。屋根の白い影は、もう見えない。
試し転がしの番になった。レオンは磨き石を持ち上げたが、すぐに低学年の子へ渡した。
「最初は君がやって。さっき曲がったのを見つけたの、君だから」
「いいの?」
「うん。ぼくが直したかどうかは、君が転がした方が分かる」
低学年の子は両手で石を持ち、木台の手前へ置いた。息を止め、そっと押す。
磨き石はまっすぐ進んだ。左へ寄らない。奥で白柱に当たり、十本のうち七本が倒れた。残った三本も、戻し板を引くときちんと起き直る。
「やった!」
低学年の子たちの声が廊下に広がった。レオンは思わず胸を張ったが、すぐに工具を布の上へ戻した。今日はそこで終わりではない。
「待って。戻し札を書こう。使ったあとに溝を掃く。紙片は小皿へ。白柱は底を拭いてから箱へ。戻し板は引いたままにしない」
初等学舎の昼休み担当が頷いた。「それなら、下の学年にも読めます」
レオンは札に大きく書いた。
『ころがす前に、みぞを見る』
『たおした後に、底を拭く』
『戻し板は、戻してからしまう』
低学年の子が札を読んで、真面目な顔で頷いた。「ぼく、みぞ係やる」
「じゃあ、ぼくは白柱係」
「ぼく、石ふき」
役が決まると、遊びは急に落ち着いた。誰か一人が上手に転がすだけではなく、みんなで次の一回を作る形になる。
レオンはそれを見て、少しだけ黙った。自分が前に出て全部やれば、早かったかもしれない。でも、そうしたら、みぞ係も白柱係も石ふきも生まれなかった。
アストルが小声で言った。「どうした?」
「ぼく、助けるって、全部やることだと思ってた。でも今日は、役を残した方がちゃんと直った」
アストルは工具箱の蓋を閉めた。「それは、父さんもたまに忘れる」
「お父さんも?」
「父さんは、格好つけると全部自分でやりたくなる」
レオンは笑った。「じゃあ、親子だ」
午後の授業の鐘が鳴る前に、木台は遊具箱へ戻された。白柱戻し札は箱の内側に貼る。湿った紙片は小皿のまま担当へ預け、乾いたら捨てる。真鍮の薄輪を入れた場所は、控え札に書いた。
教室へ戻る途中、廊下の窓枠に白い羽が一枚だけ引っかかっていた。雨上がりの光を少し含んで、まるで最初からそこにあったみたいに静かだった。
レオンが手を伸ばす前に、羽はふわりと外へ逃げた。
「……なんだよ」
レオンが呟くと、窓の外で、見えない何かが短く嘴を鳴らしたような気がした。
放課後、家に戻ったレオンは、玄関小棚に新しい控え札を置いた。昨日の灯鈴札の隣に、白柱戻し札の写しを並べる。
ルミナが札を読んで微笑んだ。「役を残したのね」
「うん。低学年の子たちが、自分で戻せるようにした。ぼくが毎回いなくても、次に遊べる」
クリスが床に座って、丸めた布を転がしている。「ころころ、まっすぐ」
「クリス、それ、壁に当てる前に止めて」
「とめる。わたし、とめる」
フィオナは玄関小棚の札を見て、少し目を細めた。「字、読みやすい。短いし、順番もある」
「お姉ちゃんに言われると、合格みたいだ」
「合格だよ」
レオンは照れくさくなって、工具箱を片づけるふりをした。白柱を直した手には、まだ少し木粉の匂いが残っている。梅雨の昼の湿りと、真鍮の薄輪の冷たさと、低学年の子たちが役を選んだ声も、手の中に残っている気がした。
梁の上では、いつの間に戻ったのか、スノーが片足で立っていた。白い羽は一枚も乱れていない。
「丸いものは勝手に転がる。だからこそ、道と止まる場所を先に直せ。前へ出るだけが守りじゃねえぞ」




