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6月20日(土):家息通しの日

 とある世界では今日は『住まいの湿りや空気の通り道を見直し、家と人が健やかに暮らせる形を考える』日。アルメリアでは『家息通しの日』として、窓、床、棚の風道を見て、家の中にこもった湿りを外へ逃がす日。


 土曜の夕方、フレイメル家の居間には、雨上がりの湿った匂いが残っていた。


 朝のうちに、フィオナは昨日の朗読紙束の角が乾いたのを確かめた。月読み文庫へ返す袋は、玄関小棚の上に移してある。返す前にもう一度、袋の口と角を見るためだ。包み布も乾き棚で乾き、朝結びの包みも数を見てから食べた。手順だけ見れば、家の中は片づいている。


 けれど、片づいているのに、空気だけが少し重い。


「なんか、家が息を止めてる」クリスが居間の真ん中で言った。


 レオンは窓を見た。「じゃあ開けよう。風を入れればいい」


 そう言って、窓の留め具へ手を伸ばす。


「待って」フィオナが止めた。「家の息を通す前に、窓と床の道を見る」


 昨日のスノーの言葉が、思ったより早く役に立つ。フィオナは学院から出ていた週末の短札を卓へ置いた。


『家息通し。窓を開ける前に、入る道、抜ける道、湿りの居場所を見ること。湿ったものを乾き棚へ置く前に、床の風口をふさがないこと。』


 ルミナが台所から顔を出した。「今日は家の湿りを見る日ね。梅雨の家は、人より先に疲れることがあるわ」


 アストルも工房から顔を出す。「家が疲れるなら、父さんの工具箱の出番だな」


「工具の前に、布と目」フィオナは言った。


 グレゴールが地下室の扉を少し開けた。「家屋の呼吸構造ならば、床下風道と窓上部の圧差を――」


「おじいちゃん、今日は説明より点検です」


「む。点検なら協力する」


 フィオナは紙を三枚切った。一枚目に『入る窓』。二枚目に『抜ける床』。三枚目に『湿り棚』。


「この三つを混ぜない。窓だけ開けると、湿りが家の中で回るだけになる」


 レオンは真面目に頷いた。「風にも出口がいるんだね。入口だけのヒーローは、助けた人を外へ連れていけない」


「だいたい合ってる」


 まず窓を見る。居間の東窓は、雨のあとで窓枠の下に細い水筋が残っていた。開ける前に、乾いた布で下枠を拭く。角には小さな埃が湿って固まり、風の通りを細くしている。


 クリスが覗き込んだ。「まど、はな、つまってる?」


「鼻じゃないけど、似てるかも」


「おうち、ふんってする?」


「ふんってしないように、先に拭く」


 フィオナは短い刷毛で窓枠の角を掃いた。押し込まない。鍵口、滴り口、傘骨、額溝、帰還枠、紙束の角。今月ずっと、入口にあるものを奥へ入れない練習をしている気がする。


 次に、床の道を見る。


 居間の隅、二枚額の下には、床下へ風を逃がす細い木格子がある。普段は目立たない。けれど今日は、その前に朗読紙束の返却袋と、結び飯の包み布を入れていた小さな籠が置かれていた。


「ここ、ふさいでた」レオンが言った。


「少しね」フィオナは籠を持ち上げた。「返すものを忘れない場所としては便利だけど、風の道としては困る」


 アストルが額の下を覗いた。「この格子、最近見てなかったな」


「見えないところは、置き場にされやすいです」ルミナが言う。


 フィオナは木格子を外さず、まず表面を乾拭きした。隙間に細い紙くずが入っている。昨日の息継ぎ札を切ったときの端だろう。木べらで外へ寄せ、小皿へ入れる。次に、ひつじ雲ベーカリーの紙箱から取っておいた細い紐を一本出した。


 レオンがすぐ気づく。「それ、テオ兄の店の紐?」


「風見糸にするだけ」


「うん。風見糸。顔はない」


「結び目にも顔はない」


 先に言われて、レオンは少し笑った。


 フィオナは紐の端を床格子の前に垂らした。窓はまだ開けない。ルミナが反対側の台所戸口の戸布を少しだけ上げる。アストルが西側の小窓の留め具を拭く。グレゴールは床格子の前に膝をつき、黙って紐の揺れを見ていた。


「まだ動かない」クリスが言った。


「窓を開けていないから」


「じゃあ、まつ」


「うん。見る準備ができてから開ける」


 フィオナは『入る窓』札を東窓へ、『抜ける床』札を床格子のそばへ置いた。湿り棚の札は、まだ置かない。湿ったものがどこにあるかを見てからだ。


 レオンが東窓を少し開けた。全部ではない。指2本分。風見糸は、最初動かなかった。次に、西側の小窓を半分だけ開ける。風見糸がかすかに床側へ傾いた。


「通った」クリスが目を丸くした。


「少しだけ」フィオナは言った。「強すぎない方がいい」


 ところが、台所戸口の戸布を上げた途端、風見糸が逆に揺れた。床へ抜けるはずの風が、台所の湿りを居間へ戻している。


「台所から湿りが来てる?」レオンが首をかしげた。


 ルミナが台所の棚を見た。「甘菓用の浅い箱、洗って乾き棚に置いたままだわ」


 甘菓用の浅い箱は、乾き棚の下段でまだ少し湿っていた。その隣に、赤実しずくの控え瓶の布包み、結び飯に使った包み布の替え、朗読紙束を入れた返却袋が仮に置かれている。乾いたもの、乾き途中のもの、返すものが、同じ棚に集まりすぎていた。


「湿り棚を分ける」フィオナは三枚目の札を持った。「乾いたもの、乾き途中、返すもの」


 クリスが指を折る。「かわいた。かわきちゅう。かえす」


「そう」


 フィオナは乾いたものを上段へ。乾き途中の浅い箱を中段へ。月読み文庫へ返す朗読紙束の袋は、湿りを吸わないよう玄関小棚へ戻す。赤実しずくの控え瓶は台所の右棚のまま、布包みだけを外して乾かす。


 ルミナが浅い箱の底を拭いた。「棚の中でも、息が詰まっていたのね」


「見えるところに集めたら、見えない道をふさいだ」


 フィオナは帳面に書いた。


『便利な仮置きは、風道をふさぐことがある。』


 アストルが西小窓の留め具をもう一度確かめた。「窓はこの幅でいいか?」


「東窓が指2本分。西小窓が半分。台所戸布は下を少しだけ。床格子の前には何も置かない」


 レオンがすぐ復唱した。「入る窓、抜ける床、湿り棚。三つを混ぜない」


「そのまま家息札に書く」


 フィオナは、ひつじ雲ベーカリーの湿りに強い包装紙の端を一枚切った。台所の水宛名札用箱に残っていたものだ。そこへ、ゆっくり書く。


『家息札。東窓は指2本分。西小窓は半分。床格子の前に籠を置かない。乾き途中の物は中段へ。』


 レオンが札の端に小さな切り欠きを入れた。「触って分かるように」


「うん」


 クリスは風見糸を見ていた。「いえ、いき、してる?」


 風見糸は、床格子の前で細く揺れている。派手ではない。けれど、さっきまで止まっていたものが、確かに動いている。


「してる」フィオナは言った。


 グレゴールが満足そうに頷いた。「呼吸する家屋。理論として美しい」


「今日は、理論より札」ルミナが微笑んだ。


 アストルは床格子の前に置きかけた工具箱を、家族全員に見られて止まった。


「……工房へ戻す」


「床の道」クリスが言った。


「はい。床の道」


 夕食前、居間の重かった空気は少し軽くなっていた。窓から入った風が床へ抜け、台所の湿りは乾き棚で止まっている。朗読紙束の返却袋も、玄関小棚で角を保っていた。


 フィオナは帳面に今日の三行を書いた。


『窓だけ開けない。床の抜け道を見る。湿り物は乾いたものと同じ棚に置かない。』


 その下に、明日の空白を作る。明日は音を楽しく鳴らす日になりそうだ。家の息が通ったら、今度は音の通り道も詰まっていないか見なければならない。


 梁の上で、スノーが床格子の前で揺れる風見糸を見下ろし、嘴を鳴らした。「家だって息をする。窓だけ開けて偉そうにするな、床の逃げ道まで空けてやれ。……明日は鳴らす前に、音の通る腹を見ろ」


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