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6月17日(水):乾き道戻しの日

 とある世界では今日は『乾いた土地を見捨てず、水と土の戻り道を考える』日。アルメリアでは『乾き道戻しの日』として、乾いた鉢や庭土へいきなり水を注がず、先に水の通る細い道と、待つ場所を作る日。


 水曜の夕方、フィオナは王立魔法学院分校の課題札を鞄へしまう前に、もう一度読んだ。


『乾き道戻し。乾いた土へ水を入れる前に、水が逃げる場所を見ること。土を「枯れた」と呼ぶ前に、水の道を戻すこと。』


 昨日の甘菓のあと、スノーは「乾いた場所に、水の道を通してから名を呼べ」と言った。甘いものの数をそろえた翌日に、今度は乾いた土を見る。順番としては、少し厳しい。けれど、梅雨の雨はいつも均等には落ちない。


 校門の外で、セラフィナが待っていた。


「フィオナ、学院の薬草温室に寄れる? 温室係さんが、苗箱を見てほしいって」


「苗箱?」


「雨が続いてるのに、一箱だけ乾いてる。誰かが『乾き砂箱』って札を付けて、水を真ん中へ入れたら、横から流れた」


「名前が早い」


「うん。先生もそう言ってた」


 学院の薬草温室は、校舎裏の低い硝子屋根の建物だ。戸口を開けると、湿った葉と土の匂いがした。けれど、西窓の下にある苗箱だけは、表面が薄く白くなっている。


 温室係は、細い水差しを持って立っていた。


「来てくれて助かります。ここだけ、雨受けの滴りが外れていました。気づいて水を足したら、表面を滑ってしまって」


 苗箱の前には、誰かの急いだ字で『乾き砂箱』と書かれた札が置かれている。


 フィオナはその札を裏返した。「先に、乾いている場所と、水が逃げた場所を分けます」


 セラフィナが紙を出した。「三枚?」


「うん」


 フィオナは紙を三枚切った。一枚目に『乾いた土』。二枚目に『水の逃げ道』。三枚目に『戻す水』。


「乾いた土を責めない。水を多くすればいいとも決めない。まず動線を見る」


 苗箱の中央は固く、縁だけが少し濡れていた。水は上から入ったが、乾いた表面で跳ね、低い縁へ流れたらしい。西窓の雨受け布は片方だけ折れ、滴りが苗箱の外へ落ちている。


「雨がないんじゃなくて、道がずれてる」


 温室係が頷いた。「水差しより先に、布ですね」


「布と、土の口です」


 フィオナは乾いた布で苗箱の縁を拭き、落ちた水の筋を確認した。次に、短い刷毛で土の表面を軽く払う。削らない。固くなった薄い皮だけをほぐし、木べらで小さな溝を三本作る。中央へ集めず、苗の根元から少し離したところへ、水がゆっくり通る道を作る。


 セラフィナが息を詰めた。「思ったより、浅い」


「深くすると、根を傷める。今日は道を作るだけ」


「乾いた土って、もっと割らないといけない気がしてた」


「割る前に、開く」


 温室係は西窓の雨受け布を外し、乾いた布と替えた。片方に寄っていた留め紐をほどき、左右同じ長さに戻す。滴りは苗箱の端へ落ちる位置になった。


 フィオナは水差しを受け取った。「一気に入れない。溝へ少し」


 細い水が土の溝へ落ちた。最初は表面を滑りかけたが、ほぐしたところで止まり、ゆっくり沈んだ。すぐ次を入れない。待つ。


 セラフィナが札へ書く。「水が消えたら、足す?」


「消えたように見えても、下で動いてる。十息待つ」


 三人で息を数えた。温室の奥で葉が小さく揺れる。雨上がりの空気なのに、この苗箱の上だけ、静かな乾きが残っていた。


 十息のあと、フィオナは二度目の水を入れた。今度は滑らず、溝をたどった。


「戻ってる」温室係が小さく言った。


「まだ戻り始め。札はそう書きます」


 フィオナは、鞄からひつじ雲ベーカリーの包み紙の端を出した。湿りに強い紙は、温室の札にも向いている。テオの店の紐がついていた紙だが、今日は店の名を出さない。役目は、ここにある。


『乾き道戻し中。水は溝へ少しずつ。中央へ一度に入れない。』


 温室係は札を読んで、苗箱の手前に挿した。「これなら、次の係も迷いません」


 セラフィナは裏返した古い札を見た。「『乾き砂箱』はどうする?」


「今は使わない。乾いているけど、砂じゃない。苗箱」


「乾いた名前を付けると、戻る前に決まっちゃうんだね」


「うん」


 フィオナは古い札に『保留』と書き、道具皿の端へ置いた。捨てない。間違えた札も、なぜ間違えたかが残る。


 家に戻るころには、灯路の石畳が淡く光り始めていた。玄関の傘札、問答錠横の待つ札、二枚額、星帰り筒。今週の小道具が、それぞれの場所で静かにしている。


 台所では、クリスが甘菓用の浅い箱を覗いていた。


「お姉ちゃん、あまいの、まだある。にこ」


「明日の朝ね。口へ入れる前に数える」


「わたし、かず、みる」


 レオンは水差しを見て、首をかしげた。「今日は土?」


「乾いた苗箱」


「水をいっぱい入れた?」


「少しずつ」


 レオンは真面目な顔で頷いた。「乾いてると、助けたい気持ちが先に走る。でも、走る水は逃げるんだね」


「そう。水にも道がいる」


 ルミナは夕食の支度をしながら、フィオナの手元を見た。「土は戻りそう?」


「戻り始め。明日の朝、温室係さんがもう一度見る」


「戻り始め、っていい言葉ね」


 フィオナは帳面に今日の三行を書いた。


『乾いた土を早く名付けない。水の逃げ道を先に見る。細い道を作って、十息待つ。』


 その下に、明日の空白を作る。明日はおにぎりの日。水が戻ったら、今度は米を握る。握る前には、手の湿りと、具の場所を見る必要がある。


 梁の上で、スノーが温室から持ち帰った保留札を見下ろし、尾を揺らした。「乾いたからって死んだ名を貼るな。水には道を、土には待つ息をやれ。……明日は握る前に、手と中身の湿りを見ろ」

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