6月15日(月):郷名札の日
とある世界では今日は『自分たちの土地を知り、ふるさとを愛する心を確かめる』日。アルメリアでは『郷名札の日』として、胸につける町名札、地図へ戻す場所札、棚へ届ける渡し札を分け、誰の町を名乗るのかを確かめる日。
月曜の夕方、フィオナは王立魔法学院分校の門を出る前に、課題札を読み返した。
『郷名札。胸に付ける札には町の名を書く。好きな場所の名は、地図札にする。渡す品の名は、棚札にする。三つを混ぜないこと。』
三つを混ぜないこと。
昨日、灯路番所で赤実しずく瓶を渡したあと、スノーは「町の名札を、胸につける前に誰の町か確かめろ」と言った。フィオナはその言葉を、今日の課題の端へ小さく写した。
校門の外で、セラフィナが胸に付けた札を見せた。『アルメリア』と書いてある。
「先生に言われた。好きな店の名前を書く人が出るから、町名と場所名を分けるって」
「出たの?」
「出た。私も一瞬、月読み文庫って書きそうになった」
フィオナは頷いた。「好きな場所は、町じゃない。でも町の中にある」
「その言い方、今日の答えっぽい」
「まだ答えじゃない。動線を見てから」
家に戻ると、玄関でクリスが小さな札を胸に当てていた。札には、丸い字で『ひつじぐも』と書かれている。
「お姉ちゃん、わたし、これつける。おいしい町」
「待って」フィオナは鞄を下ろした。「ひつじ雲は町じゃないよ」
クリスは目を丸くした。「ちがうの? テオおにいちゃん、いるよ」
「いる。ひつじ雲ベーカリーは、アルメリアの中のお店」
レオンが初等学舎の鞄を置きながら言った。「ぼくも今日、学舎でやった。町名札は胸、好きな場所札は地図、届け物札は棚。混ぜると、帰る場所が迷う」
「その通り」フィオナは玄関小棚から紙を三枚取った。「じゃあ、家でも分ける」
一枚目に『町名札』。二枚目に『場所札』。三枚目に『渡し札』。
クリスは自分の札を見下ろした。「ひつじぐも、どこ?」
「場所札」
「わたしは?」
「町名札は、アルメリア」
クリスは少し考えてから、胸の前で札を持ち替えた。「わたし、アルメリア。ひつじぐも、すき」
「うん。それで合ってる」
そのとき、戸口の鈴玉が小さく鳴った。灯り文箱に、短い文が落ちている。差出人は灯路番所の係だった。
『朝渡し札の確認をお願いします。ひつじ雲ベーカリーの赤実パンは乾き棚へ届いています。ただ、郷名札板の準備中に、紙袋の控え札だけ町名札の列へ掛かりました』
フィオナは文を読み、息を短く吐いた。昨日、テオへ渡した札は『ひつじ雲ベーカリー。赤実パン。明朝、乾き棚へ。しずく瓶とは別。』だった。朝の届け物としては正しい。けれど今日の郷名札板では、『ひつじ雲ベーカリー』という名前だけが、町名のように見えてしまったのだ。
「行ってくる」
「ぼくも行く」レオンがすぐ言った。「動線を見るなら、二人の方がいい。ぼく、胸札と棚札の見張りをする」
「走らないなら」
「走らない」
クリスも手を上げた。「わたし、アルメリア、いう」
ルミナが薄い外套を渡した。「夕方の湿りが残っているわ。札の裏を濡らさないようにね」
灯路番所は、家から歩いて数分のところにある。戸口の横には、今日だけの郷名札板が出ていた。町の子どもたちが胸札を写した控えを掛けるための板だ。中央に『灯路の町アルメリア』。その下に、小さな札がいくつも並んでいる。
その端に、『ひつじ雲ベーカリー』と書かれた札が、町名札の列へ掛かっていた。
灯路番所の係は、台帳を抱えて少し困った顔をした。「朝、赤実パンは乾き棚へ受け取りました。紙袋の紐に付いていた控え札を、棚札へ写すつもりで外したのですが、郷名札板の穴が余っていて、そこへ仮掛けしたままになりました」
「仮の場所が、本当の場所に見えたんですね」
「はい」
フィオナはまず、郷名札板から『ひつじ雲ベーカリー』の札を外した。ピン穴の周りが少し広がっている。無理に引いたのではなく、湿った板に細いピンを差したせいだ。
「穴を戻す」
フィオナは乾いた布で板の表面を押さえ、木べらで穴の縁をそっと寄せた。レオンが小皿を持ち、落ちた紙粉を受ける。クリスは胸札を両手で押さえ、読まずに待っていた。
次に、三つの札を並べる。
『町名札:灯路の町アルメリア』
『場所札:ひつじ雲ベーカリー』
『渡し札:赤実パン。乾き棚へ。しずく瓶とは別』
クリスが一枚ずつ読む。「まち、アルメリア。ばしょ、ひつじぐも。わたす、パン」
「よく読めた」フィオナは頷いた。
係は、戸口から中の棚までの道を見た。「郷名札板は戸口の左。乾き棚は右奥。差し入れ台は真ん中。たしかに、札を持ったまま動くと混ざります」
「差し入れ台を少し奥へ」レオンが言った。「胸札を見に来る人の動線と、品物を置く人の動線が交差してる。ここでぶつかると、札を間違える」
係はすぐ台を動かそうとして、フィオナが止めた。
「先に、赤実パンの棚を確認します。もう届いているものだから」
乾き棚には、ひつじ雲ベーカリーの紙袋が置かれていた。紙袋は濡れていない。赤実しずく瓶の棚とも分かれている。昨日の札の通りだ。紐だけが外され、棚の端に置かれていた。
フィオナはその紐を手に取り、少しだけ指先を止めた。昨日、番所で渡した紙片が、今朝ここまで来て、役目を半分終えた。その残りが迷っていただけだ。
「紙袋は合っています。迷ったのは、札の戻り場所」
「札も帰る場所が要るんだね」レオンが言った。
「うん」
フィオナは渡し札を乾き棚の前へ掛け直した。場所札は、郷名札板ではなく町地図の『商店街』の端へ。町名札は、板の中央へ戻す。
「これで、胸につける札、地図へ戻す札、棚へ届ける札が分かれた」
係は三つの位置を見比べて、頷いた。「次から、仮掛け籠を作ります。仮のものは、板に刺さない」
「籠にも札を付けた方がいい」レオンが言った。「仮は、仮って見える場所へ」
フィオナは小さな紙に『仮掛け。町名板へ刺さない』と書き、係へ渡した。
帰り道、灯路の石畳が少しずつ光り始めていた。雨上がりの光は、町の名前を足元から読ませるみたいに淡い。
家に戻ると、クリスは自分の胸札を書き直した。
『アルメリアのクリス』
その下に、小さく『すきなばしょ:ひつじぐも』と書く。
レオンは腕を組んで読んだ。「いいね。町と好きな場所が、けんかしてない」
フィオナは帳面に今日の三行を書いた。
『町名は胸へ。好きな場所は地図へ。渡す品は棚へ。』
その下に、明日の空白を作る。明日は甘いものを分ける日だ。甘いものは、数より先に、誰が食べるかを見ないとすぐ足りなくなる。
梁の上で、スノーがクリスの胸札と帳面の三行を見下ろし、鼻で笑うように嘴を鳴らした。「町は好きな店の名前じゃねえ。胸に付けるなら、帰る道まで背負え。……明日の甘い札は、口より先に数を見ろ」




