6月14日(日):赤滴分けの日
とある世界では今日は『いのちを支える赤い贈り物に感謝し、必要な人へ届く道を考える』日。アルメリアでは『赤滴分けの日』として、救護棚へ入れる赤実しずく瓶を用意し、渡す量と受け取る手を確かめてから分ける日。
日曜の夕方、フレイメル家の台所には、赤実を煮た甘酸っぱい匂いが満ちていた。大鍋の中では、赤い実を潰して濾したしずくが、ゆっくり冷めている。
赤実しずくは、病を治す魔法薬ではない。寒い日や雨の日に、湯で薄めて体を温めるための濃い実しずくだ。赤滴分けの日には、家々が小瓶へ詰め、灯路番所や湯屋の救護棚へ少しずつ持ち寄る。
ルミナは瓶を並べながら言った。「今日は、たくさん渡せばいい日じゃないわ。必要な棚に、持てる重さで渡す日」
「渡す前に、受け取る手を見る」フィオナは昨日のスノーの言葉を思い出し、帳面を開いた。
二枚額の下では、星帰り筒が乾き布の上で休んでいる。飛んで帰ってきたものを、すぐしまわない。昨日の手順が、今日の台所にも残っていた。
レオンは空の籠を二つ持ってきた。「ぼく、運ぶ係やる。番所までなら、これくらい一人で持てる」
「一人で持てるかじゃなくて、受け取る人が受け取れるかを見る」フィオナは瓶を一本、量り皿に置いた。「瓶は見た目より重い」
クリスは小さな手を広げた。「わたし、いっぽん、もてる?」
「持てるかもしれない。でも、運ぶ係は今日は大人とお兄ちゃん。クリスは札を読む係」
「よむ。あかいしずく。おてて、みる」
「そう」
フィオナは紙を三枚切った。一枚目に『渡す瓶』。二枚目に『運ぶ籠』。三枚目に『受け取る手』。
「瓶は全部同じに見えるけど、行き先が違う。番所の救護棚、湯屋の小棚、家の控え棚。まず分ける」
アストルが瓶口を乾いた布で拭いた。「こういうのは、父さんがまとめて持てば早いんじゃないか?」
「早くしない」
ルミナが横から穏やかに止めた。「早い手が、受け取る手を急かすこともあるわ」
アストルは瓶を置いた。「……はい」
レオンは量り皿を見ながら、瓶を三本まとめて籠へ入れた。籠の持ち手が少し沈む。
「これで――」
「待って」
フィオナが言う前に、クリスが小さく声を上げた。
「かご、いたい顔」
籠の持ち手が、赤実しずくの重さで片側へねじれていた。まだ切れてはいない。けれど、そのまま持てば、運ぶ途中で傾く。
レオンの顔が曇った。「ごめん。ぼく、重さを見たつもりだった」
「瓶の重さだけ見たんだと思う」フィオナは持ち手を触った。「籠の手も、受け取る手に入る」
「籠の手」
クリスが真面目に復唱した。
フィオナは籠から瓶を出し、底に乾いた布を一枚敷いた。瓶同士が当たらないよう、古い包み紙を細く丸めて間へ入れる。6/8に水宛名札へ使った、ひつじ雲ベーカリーの湿りに強い包装紙の端だ。
レオンはもう一度、瓶を二本だけ入れた。持ち手は沈まない。
「二本まで」フィオナが言った。
「三本は、ぼくの気持ちが先に入ってた」
「うん。気持ちは軽く見えるけど、けっこう重い」
アストルがまた何か言いかけ、ルミナに目で止められた。
フィオナは瓶口に札を結んだ。
『番所へ。二本。受け棚の空きを見てから置く。』
『湯屋へ。一本ずつ。濡れた棚へ直置きしない。』
『家の控え。台所の右棚。』
それぞれの札に、切り欠きや丸い穴を付ける。手袋で触っても分かるようにするためだ。6/9の鍵口板札で覚えた手順だった。
ルミナはしずく瓶の蓋を確かめた。「口は閉まっている。けれど、強く締めすぎない。開ける人が困るから」
「閉める人の力と、開ける人の手」フィオナは帳面に書いた。「これも今日の受け取る手」
クリスが台所の椅子に座り、札を一枚ずつ読む。
「ばんしょへ。にほん。うけだな、あき、みる」
「よく読めた」
「ゆやへ。いっぽんずつ。ぬれたたな、なおおき、しない」
「そう。直置きしない」
レオンが笑いかけて、すぐ口を引き結んだ。今日はからかう日ではない。誰かの手へ渡すものを、声で雑にしない日だ。
灯路番所へ向かう道は、雨上がりで少し湿っていた。レオンが二本入りの籠を持ち、フィオナが一本入りの小籠を持つ。ルミナは控え札を持ち、クリスはアストルと手をつないで札読み係としてついてきた。
灯路番所の戸口には、夕方の相談札が二枚掛かっていた。フィオナは戸布の外で一度止まり、声をかけた。
「灯路番所の係、赤滴分けの日のしずく瓶を持ってきました。救護棚の空きを確認してもいいですか」
灯路番所の係は、台帳から顔を上げた。「空きは上段に二本分です。下段は濡れ布が置いてあります」
「上段に二本。下段には置かない」
フィオナが復唱すると、係は頷いた。
番所の救護棚は、思ったより混んでいた。包帯布、温石袋、雨の日用の乾いた靴下。赤実しずく瓶の場所は、上段の右端に二本分だけ空いている。
レオンは籠を持ち直した。「ぼく、置く」
「受け取る手を見る」フィオナが小声で言う。
レオンは係の手を見た。係は台帳を片手で押さえている。もう片方の手は、濡れた戸布をさっき直したせいで少し湿っている。
「先に布、渡します」レオンは乾いた布を差し出した。
係は少し驚いて、それから笑った。「助かります」
係が手を拭いてから、レオンは瓶を一本ずつ渡した。置くのではなく、受け取ってもらう。棚に入るものでも、人の手を通る。
そのとき、戸口の鈴が鳴った。テオが、ひつじ雲ベーカリーの紙袋を抱えて立っていた。中身は小さな赤実パンのようだった。
「こんばんは。店からも、赤滴分けの日の差し入れを――」
テオは棚を見て、すぐ言葉を止めた。
フィオナも棚を見た。空きはもうない。赤実しずく瓶で上段は埋まっている。下段は濡れ布があり、紙袋を置くには向かない。
テオは紙袋を胸元へ戻した。「明日の朝にします。今置いたら、潰れる」
その判断が静かで、フィオナはほっとした。
「朝渡し札を作る?」フィオナが聞いた。
「作ってくれると助かる」
「うん」
言ってから、少しだけ声が柔らかすぎた気がした。レオンが横を見る前に、フィオナは鞄から紙片を出した。
『ひつじ雲ベーカリー。赤実パン。明朝、乾き棚へ。しずく瓶とは別。』
テオはそれを受け取り、紙袋の紐に結んだ。指先が近くなったが、フィオナは慌てて引っ込めなかった。今日は、渡す前に受け取る手を見る日だ。見て、渡せばいい。
「ありがとう」テオが言った。
「こちらこそ」
それ以上は言わない。番所の棚の前で、言葉を増やしすぎると、札が読めなくなる。
帰り道、レオンが空になった籠を揺らした。「渡すって、置くよりむずかしいね」
「置く場所だけじゃなくて、受け取る手があるから」
クリスはアストルの手を握りながら言った。「て、みる。かごのて。ばんしょのて。テオおにいちゃんのて」
フィオナは足元の石畳を見た。「そうだね」
ルミナは何も言わなかった。ただ、少しだけ笑っていた。
家に戻ると、家の控え瓶を台所の右棚へ入れた。赤実しずくの瓶は一本だけ。たくさん残すのではなく、必要なときに開けられる分だけ。
フィオナは帳面に今日の三行を書いた。
『渡す前に、受け取る手を見る。重いものは気持ちごと量る。瓶と食べ物は棚を分ける。』
その下に、明日の空白を作る。今日の札はここまでにする。明日からは新しい週だ。町の名前を持つ日の札が、また別の手順を連れてくる。
梁の上で、スノーが赤実しずくの控え瓶を見下ろし、嘴を少し鳴らした。「渡すってのは、手から手へ重さを移すことだ。善意だけで棚を潰すな。……明日は町の名札を、胸につける前に誰の町か確かめろ」




