5月9日(土):ひやし乳菓の日
とある世界では今日は『ひんやり甘いものを囲んで、初夏の入口をみんなで笑って迎える』日。アルメリアでは『ひやし乳菓の日』として、冷たい乳菓を分ける前に、包みや道具の順番を整え、甘さが手の迷いで途切れないようにする日。
昼まえの台所には、冷やし箱の白い息がうすく流れていた。昨夜のうちに冷やしておいた乳菓の器が、木盆の上で静かに曇っている。ルミナはそれを小さな紙包みへ分け、アストルは冷やし箱の蓋を支え、レオンは細い包み帯の長さを測っていた。クリスは椅子に膝立ちになり、白く曇った器をじっと見ている。つめたいのに、まるくてやさしい顔だった。
「わたし、きるの みる」
クリスが言うと、ルミナは紙包みの口を押さえたまま頷いた。 「お願い。今日は包み帯を切るのと、戸口の手当て棚の支度を先に整えたいの」
家では、裏庭へ持っていく日だけ、戸口の近くへ小さな手当て箱を出しておく。昨日、星粒ほいくえんの小匙の話を聞いたあとで、ルミナは家の手当て棚も見直しかけていた。でも朝のうちに冷やし箱を運んだり、乳菓の器を並べたりしているうち、そこだけが後回しになっていた。
戸口の横には、二本の鋏がぶら下がっている。一本は、次に包帯や紙帯を切るための鋏。もう一本は、拭いて戻したあとの鋏。どちらも細くて銀色で、同じ布輪に掛かったままだと、きらきらだけが先に目へ入る。
クリスには、その二本がよく似すぎて見えた。片方が少し外向きで、もう片方が少し内向き。どちらもちゃんとしていない感じがして、気になってたまらない。
「これ、どっちも きる?」
クリスが聞くと、ルミナは二本を見て、小さく息を吐いた。 「うん。切るための鋏よ。でも、次に使うほうと、拭いて休ませているほうは、同じところにいないほうがいいね」
レオンが先に口を開きかけ、そこで止まった。それから、いつものように聞き直す。 「……いちばん困るの、どこ?」
ルミナは鋏を見たまま答えた。 「鋏が二本あることじゃないの。次に切るほうが、すぐ分からないこと。甘い日ほど、包みを急ぎたい手と、手当てを急ぎたい手が同じ棚へ来るでしょう」
クリスは二本の銀色を見比べた。きれいに並んでいないのが気になっていたけれど、困るのは見た目より、次が分からないことだった。
「じゃあ、そろえるまえに、つぎ きめる」
「そう」 フィオナが笑った。 「今日は、“次に切る”を一枚だけ見えるようにしよう」
アストルは戸口の横板へ、小さな布輪をもう一つ足した。元の布輪はそのまま残し、半歩だけ離して新しい輪を結ぶ。左は次に切る鋏。右は拭いて戻したあとの鋏。離れているだけで、戸口の空気が少し通る。
フィオナは短い布切れを一枚だけ持ってきた。白でも赤でもない、淡い青の短い見分け布だ。そこへ太い字で、ひらがなだけを書く。
『つぎ きる』
「これ、ひとつだけ?」 レオンが聞く。
「うん。ひとつだけ」 ルミナが頷く。 「二つあると、今度はどっちが今かでまた止まるから」
見分け布は、左の新しい輪の下へ垂らした。次に切る鋏が移れば、布もいっしょに移る。今の役目を知らせるのは、いつも一枚だけだ。
「わたし、うごかす?」 クリスが聞く。
「うん。でも、鋏じゃなくて、まず布」 ルミナが言う。 「今どっちを見てるか、先に決めるの」
それから家族で、小さな順番を作った。包み帯を切る前も、包帯を切る前も、左の輪の鋏を使う。使い終えたら拭いて、右の輪へ掛ける。乾いて次に回せるようになったら、『つぎ きる』の布だけ先にその輪へ移す。鋏は、布のある輪に一本だけ。そうすれば、きらきら同士でも、次の役目が見える。
「やる」
クリスは自分から言った。左の輪の鋏へ触る。布も左。だから今使うのはこれ。家では試しに、細い紙帯を一本切った。しゃく、と音がして、切れ端が木盆へ落ちる。拭く。右へ掛ける。次に、見分け布だけを右へ移す。
「……つぎ、こっち」
「うん。今のは、すぐ分かる」 レオンが頷く。 「布が先に動くと、手が迷わない」
通りの向こうから、ひんやり甘い匂いが少しだけ流れてきた。ひつじ雲ベーカリーでも、冷たい菓子の支度をしているのかもしれない。クリスが鼻を動かす。
「テオおにいちゃんのとこも、つめたい」
フィオナは一度だけ窓の外を見て、すぐ見分け布へ目を戻した。 「うん。あっちも、包む前の順番を整えてるかもね」 その声がやわらかくて、クリスはなんとなく安心した。
包み帯が切りそろうころには、台所の木盆も戸口の小棚も、前より静かだった。左の輪には、そのとき次に使う鋏だけ。右には、拭いて戻す鋏。見分け布は一枚しかないから、今どこまで来ているのかが、みんなに分かる。
「わたし、そろえるの、すき」 クリスが小さく言った。 「でも、つぎ きるの、なくしたら だめ」
「うん」 ルミナが頷く。 「そろえる前に、何を残すか決めるの」
アストルは切りそろえた紙帯を盆へ並べ、グレゴールは何も足さずに鋏輪の左右だけ見た。レオンは見分け布の文字が正面を向くように直し、フィオナは紙包みの口をゆっくり整えた。大きなことではない。でも、こういう日の甘さは、こういう小さい段取りでこぼれずに済む。
冷やし乳菓が皿へ移るころ、クリスはふっと笑った。 「きれいだけじゃ、たりない日もある」
「そう」 フィオナが答える。 「きれいと分かりやすいが、同じ向きになるといちばん強い」
明日は、すくう前の木杓子と、洗って立てたあとの木杓子を、同じ桶へ戻さないほうがよさそうだ。冷たいものの次は、すくう手の順番が迷いそうだった。
梁の上でスノーが、左右に離れた鋏輪と、そのあいだで揺れる短い見分け布を見下ろして嘴を鳴らした。 「甘い日ほど、刃の居場所を曇らせるな。冷たい菓子は待てても、手当ての迷いは待っちゃくれねえ――先に切れる場所を決めときゃ、笑い声は溶けずに済む」




