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5月8日(金):手当て印の日

 とある世界では今日は『困っている人のそばに、助けがここにあると分かるしるしを置く』日。アルメリアでは『手当て印の日』として、涙が大きくなる前に手当て箱の中身と順番を見直し、次の手がためらわないようにする日。


 昼まえの星粒ほいくえんでは、外遊びのあとで手洗い場のまわりだけが少し忙しかった。窓の下の小棚には、手当て箱と、青い薬草粉の小瓶と、小さな銀匙が二本かかっている。一本は、粉を注ぐ前に使う匙。もう一本は、拭いて乾かしている途中の匙。役目は違うのに、細くて光る顔はよく似ていた。


 クリスはその二本が気になっていた。片方だけ少し斜めで、もう片方はまっすぐだったからだ。斜めだと、なんだかかわいそうに見える。だから星粒ほいくえんの先生が背を向けたすきに、クリスは二本を同じ掛け穴へそろえて掛けた。


「ならんだ」


 それだけで、棚がきれいになった気がした。


 けれど、すぐあとで、園庭の木縁でひざをすった子が出た。星粒ほいくえんの先生が手当て箱を開け、青い薬草粉の瓶へ手を伸ばしたところで、一拍だけ止まる。


「……どっちが、まだ使っていい匙だったかな」


 クリスの胸が、きゅっとした。自分がそろえたことを、ちゃんと覚えている。


「わたし、ならべた」


 先生は叱らず、しゃがんで目を合わせた。 「教えてくれてありがとう。じゃあ、いちばん困るのは何かな」


 クリスは二本の匙を見た。少し考えてから、ぽつりと言う。 「きらきら。おなじ。つぎ どっちか わからない」


「うん」 先生は頷いた。 「困るのは、匙が二本あることじゃないの。次に使うほうが、見えなくなることね」


 その日の迎えで、先生はルミナへ短い伝言紙を渡した。『小匙二本の掛け穴が同じだと、手当てのとき一拍止まります。次に使うほうへ、ひと目で分かるしるしがあると助かります。星粒ほいくえんの先生より』


 ルミナは紙をたたみ、クリスの手を握った。 「今日は、怪我を大きくしない日だったね。じゃあ帰ったら、次の一拍をなくすほうを直そう」


 フレイメル魔具修理店へ戻るころには、初等学舎と分校も下校の時刻だった。レオンは鞄を棚へ置き、フィオナは伝言紙を読んで、すぐ小さく頷いた。アストルは工房から細い木板を持ってきて、グレゴールは地下室の戸口で面白そうに顎を撫でる。


「壊れてないなら、分け方の問題だな」 アストルが言う。


「うん。掛け穴を離して、次に使うほうだけ分かるようにする」 フィオナが答えた。


 クリスはルミナの横で、二本の匙を見ていた。きれいにしたかっただけなのに、きれいだけでは足りない日があるらしい。


 レオンが提案する。 「掛け穴は二つ。左は今度使うほう、右は拭いたあと。でも、札は一枚だけにしよう。二枚あると、今度はどっちが今かで止まる」


「それ、昨日までと同じ勝ち方だね」 フィオナが笑う。


 細い木板に小さな穴を二つ開け、壁の小棚の下へ結ぶ。左の穴には、次に使う匙。右の穴には、拭いて乾かす匙。フィオナは厚めの紙を細長く切り、太い字でひらがなだけを書く。


『つぎ てあて』


 その一枚だけを、左の掛け穴の下へ垂らした。次に使う匙が移れば、札もいっしょに移す。いつも“いま”を示すのは一枚だけだ。


「わたし、うごかす?」 クリスが聞く。


「うん。でも、匙じゃなくて、まず札」 ルミナが言う。 「今どっちを見てるか、先に決めるの」


 それから家族で、小さな順番を作った。粉を注ぐ前は、左の穴の匙を使う。使い終えたら拭いて、右の穴へ掛ける。乾いて次に回せるようになったら、『つぎ てあて』札だけ先にその穴へ移す。匙は札のある穴に一つだけ。そうすれば、きらきら同士でも、次の役目が見える。


「やる」


 クリスは自分から言った。左の穴の匙へ触る。札も左。だから今使うのはこれ。青い薬草粉の瓶の代わりに、家では水を少し入れた小皿で試す。匙でひとすくいして、布へ落とす。拭く。右へ掛ける。次に、札だけを右へ移す。


「……つぎ、こっち」


「うん。今のは分かりやすい」 レオンが頷く。 「札が先に動くと、手が迷わない」


 窓の外から、焼きたてのやわらかい匂いが少しだけ流れてきた。ひつじ雲ベーカリーの窯だろう。クリスが鼻を動かす。


「テオおにいちゃんのとこも、てあて いる?」


 フィオナは一度だけ通りの向こうを見てから、匙の札へ目を戻した。 「うん。忙しい手ほど、しるしがいるよ」 その声がやわらかくて、クリスはなんだか安心した。


 夕方、先生へ返す前に、ルミナは小匙二本を小袋へ入れず、そのまま小板ごと包んだ。置き場まで一緒に渡したほうが、次の手が迷わないからだ。フィオナは『つぎ てあて』札の角を少し丸く切り、レオンは掛け穴の左右の間をもう半歩だけ離した。グレゴールは何も足さず、ただ満足そうに言う。


「博士というのは、難しいことを増やす者ではない。次の手が一拍止まらぬよう、名前と置き場を同じだけ整える者だ」


 クリスは二本の匙を見て、小さく言った。 「おなじ かおでも、つぎ は ひとつ」


「そう」 ルミナが頷く。 「助けるしるしって、そういうことよ」


 明日は、包帯を切る前の鋏と、拭いて戻したあとの鋏も、同じ布輪へ掛けないほうがよさそうだ。口のところが分かれたら、次は手元の開き具合でまた迷うかもしれない。


 梁の上でスノーが、小板の下で揺れる『つぎ てあて』札と、左右へ分かれた二本の匙を見下ろして嘴を鳴らした。 「助けってのは大声で来るもんじゃねえ。次に使える場所で待ってるもんだ――一拍で分かるしるしがありゃ、涙は長居しねえ」


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