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4月10日(金):道中包みの日

 とある世界では今日は『道の途中で食べる包みを、運ぶ箱と配る箱に分け、旅の足が止まらないように整える』日。アルメリアでは『道中包みの日』として、運ぶ前の箱と、置いてから配る箱を同じ札で呼ばず、湯気が落ち着くまで待ってから順を戻す日。


 昼下がりの星粒ほいくえんの台所口は、いつもより少しだけいい匂いがした。外の細い道には、町中心から来た小さな配達箱が二つ並んでいる。こんどの歩きの日に使う、道中包みの下ごしらえが届いたのだ。丸いおにぎり包み、甘くない小さな焼き菓子、湯気の残る卵焼き。全部を今日食べるわけではない。今日は箱の中身を確かめ、明日すぐ配れるように置き直すだけである。


 箱は二つとも同じくらいの大きさで、ふたの端に札が結んであった。一つは『ふた札』、もう一つは『棚札』。ふた札は、まだ閉じたまま運ぶ箱に付ける印。棚札は、あとで台所の棚へ置いて配りやすくする箱の印だ。けれど、湯気のせいで札の紙が少しだけ反って、角がふわりと持ち上がっている。


「これ、おべんとう?」とクリスが訊いた。


 星粒ほいくえんの先生が頷く。「うん。明日の歩きの日の道中包みよ。でも今日は、まだ運ぶ前の箱と、並べておく箱を分けるだけ」


 クリスは二つの箱を見比べた。どちらも“おべんとうの箱”に見える。違うのは、今どこに置くかだけだった。


 先生はふた札を指で押さえた。「こっちは、まだ外から運んできた箱。ふたは閉じたまま。こっちは、台所の棚へ置いて、あとで中身を配りやすくする箱」


「ふた、あける?」


「まだ少し待つの。湯気があるから」


 クリスはうなずいた。けれど“待つ”は、小さい子の中ではすぐ“あとですぐやる”に近づいてしまう。


 先生が台ふきんを取りに戸の内側へ入った、そのほんの短いあいだだった。湯気でやわらいだふた札の結び糸が、するりと少しだけゆるんだ。札は箱の端から落ちきらず、棚側へ寄せたもう一つの箱のふたへ、半分だけ寄りかかる。棚札も反って持ち上がり、二つの箱のあいだで向きが似て見えた。


 クリスはいちばん先にそれへ気づいた。


「せんせい、これ、こっち?」


 けれど先生はまだ戸の内側だ。クリスは箱へ手をのばしかけて、止めた。昨日までの札の話が、胸の中で少しだけ残っていたからだ。


 そのとき先生が戻ってきて、足を止めた。「あら」


 近くにいた別の子たちも、箱のまわりで足を止める。


「じゃあ、これ外へ持つの?」


「こっちは、ここであけるの?」


 まだ何もこぼれていないし、壊れてもいない。ただ、湯気で札の向きと居場所が少しずれただけで、次にどこへ置いていいかが見えにくくなった。


 クリスはふたを見た。湯気はまだ少し残っている。さっき“まっすぐにしたい”と思った紙は、ほんとうは今まだ、決めるには早かったのかもしれない。


「ごめん」とクリスは小さく言った。「これ、わかんなく なった」


 先生は叱らなかった。まず箱の上へ手を置き、次に札を見て、それからクリスの手を見た。


「止まろう」と先生が言う。


 その声は、急がない形をしていた。


 今日はルミナも、こんどの歩きの日の連絡を受け取りに少しだけ寄っている。けれど、すぐに札を戻しには行かない。ふたを開ける前の箱は、まだ湯気がある。今あわてて持ち上げると、中の並びまで崩れるかもしれない。


「先生」とクリスは訊いた。「まちがえた?」


「うん、少しだけ」と先生は答えた。「でも、箱はまだ開けない。湯気が落ち着いてからなら、ふた札も棚札も、ちゃんと戻せるから」


 “ふた札”と“棚札”。その言い分けが、クリスには少しだけ分かりやすかった。ふたにいる札。棚にいる札。箱そのものの名前じゃなくて、いる場所の名前なのだ。


 先生は箱の前に、小さな木の皿を二枚置いた。片方には『まだ ふた』、もう片方には『あとで たな』とだけ書いた仮の紙を伏せる。


「今は、札を箱に結ばない」と先生が言う。「湯気があるあいだは、皿で場所を決めましょう」


 クリスはその皿を見る。ふたの近くに置く皿。棚の近くに置く皿。箱に直接結ばないだけで、どちらが今どこにいるかが、さっきより分かる。


 しばらく待つあいだ、先生はまだ配らない焼き菓子だけを別皿へ移した。おにぎり包みと卵焼きはそのまま。湯気が少しずつ抜け、ふたのきしみが静かになるのを待つ。


「まだ?」とクリスが訊く。


「まだ少し」とルミナが言う。「今動かすと、また中身が温かくて迷うもの」


 窓の外では、洗った布が風に揺れていた。台所口の石床には春の光が細く伸び、箱の影が少しずつ短くなる。待つことしかしていないのに、箱のまわりの空気が落ち着いてくる。


 やがて先生が、ふたへ指を当てた。「もう大丈夫」


 クリスは息を止めて見る。


 先生はまず、入口側の箱に『はこぶ箱』の札を戻した。次に、棚の前へ寄せた箱に『くばる箱』の札を結ぶ。今度はふたも揺れない。置き場所と札が、やっと同じ向きになった。


「これ、まだ ふた」とクリスが入口側の箱を指した。


「うん。明日の朝に運ぶ箱」と先生が頷く。


「こっち、あとで たな」


「うん。今のうちに配りやすくしておく箱」


 それを言えたところで、クリスの手はもう勝手に札を触りたがらなかった。箱が落ち着くまで待つと、札も落ち着く。昨日の鍵も、そうだった気がする。


「わたし、さきに むすんだ」とクリスは言う。


 ルミナが笑う。「うん。でも今日は、待つと戻るって見えたでしょう」


 クリスはうなずく。「ふた、まだ あつい とき、まつ」


 その言い方が、今日は何よりよかった。触るな、ではなく、いつ触るかが分かったからだ。


 帰るころには、二つの箱はそれぞれの場所で静かにしていた。入口側の箱は明日の朝を待ち、棚の前の箱は先生の手が次に来るのを待つ。同じ道中包みでも、今どこにいるかで役が違う。


 明日はたぶん、紐だ。結ぶ前の紐と、手首にかけたあとの輪が、また少しだけ似て見える。


 梁の上でスノーが片翼を畳み、ふた札と皿の位置を見比べた。「湯気のある箱は、急かすほど名がずれる。運ぶ前と置いたあとの居場所を分けろ――それだけで、ちびの手は勝手に戻る」


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