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4月8日(水):花待ちの日

 とある世界では今日は『花で飾った小さな場の前で、順に祝う気持ちを待ち、まだの人ともう済んだ人の足がぶつからないように整える』日。アルメリアでは『花待ちの日』として、待つ場所の札と、進む場所の札を混ぜずに置き、家の人を待つ足と先に行きたい足を分けて考える日。


 昼下がりの星粒ほいくえんの庭は、いつもより少しだけ甘い匂いがした。門の近くの小さな卓には、色とりどりの花を差した木の箱が置かれ、その前に低い椅子が二つ、後ろに長椅子が一つ並んでいる。今日は花待ちの日で、迎えの時刻が近づくころ、来た家の人から順に一緒に花を一輪ずつ足していくのだ。


 クリスはその木の箱を、朝から何度も見ていた。まだ自分の番ではないのに、花の色が一つずつ増えるたび、胸の中の足だけが先へ出たがる。


「きれい」とクリスが言うと、星粒ほいくえんの先生が笑った。「うん。だから、順番にね。先に来たおうちから、一輪ずつ」


 庭の端には、木札が二枚立っていた。一枚は『ここでまつ』。もう一枚は『ここからいく』。どちらも同じくらいの大きさで、同じ茶色の木札だ。違うのは字だけだった。


 昼餉のあと、先生はその札を子どもたちに見せて言った。「迎えの人がまだの子は『ここでまつ』の長椅子。おうちの人が来たら、『ここからいく』の椅子へ移るの。そこから花を持って、一緒に前へ出ます」


 クリスはうなずいた。けれど、うなずいた中身は、まだ半分だけだった。待つのも行くのも、どちらも“お母さんが来たらうれしい”に近い場所にある。


「わたし、まつ」とクリスは言って、長椅子へ座る。


 隣の子も座る。向こうでは、もう迎えが来た子が一人、花を持って前へ出ていた。門の外で戸鈴が鳴るたび、クリスの足先だけが少し上を向く。


 しばらくして、門の向こうにルミナの外套の色が見えた。クリスはぱっと立ち上がる。けれど、立ったとき、すぐそばにあった『ここでまつ』の札まで一緒に持ち上げてしまった。


「おかあさん、きた」


 嬉しさで、札を持ったまま『ここからいく』の椅子の横へ走る。すると、長椅子に残っていた子たちも、札が動いたのを見て、一緒に立ち上がった。


「もういく?」


「おうちのひと、きた?」


 先生が「あっ」と言ったときには、『ここでまつ』の札は進む椅子の足もとへ立てかけられ、『ここからいく』の札と並んでしまっていた。待つ場所が空っぽになり、まだ迎えが来ていない子たちの足も、少しだけ前へ出てしまう。


 クリスはそこでやっと、自分の手の中の札を見た。字は読める。でも、嬉しくなると、読んだ字より、お母さんの外套の色のほうが先に見える。


「ごめん」とクリスは小さく言った。「これ、いっしょに もった」


 大きな騒ぎにはならなかった。ただ、待つ場所と行く場所が同じ側へ寄ったせいで、庭の足の向きが少しだけ揃わなくなった。


 先生はすぐに札を戻さなかった。まず子どもたちを見て、次に門を見た。迎えはまだ順に来る。今、急いで札だけを持ち直しても、気持ちのほうはまだ前へ出たままだ。


「止まろう」と先生は言った。


 その声は低くて、急がない形をしていた。


 ルミナは門の内側へ入り、クリスの前へしゃがむ。「来たのは分かった。うれしかったのね」


 クリスはうなずく。「うれしい。だから、もった」


「うん」とルミナは答える。「でも、まだの子の足も一緒に前へ出ちゃった」


 クリスはそこで、やっと長椅子のほうを見た。まだ迎えが来ていない子が、立ったまま先生の袖を見ている。待つ場所の札がなくなると、待っていていい場所まで少しだけ消えてしまうのだ。


 フィオナがいれば札をすぐ分け直したかもしれない。レオンなら、まず並べ直しを始めたかもしれない。けれど今日は、クリスの胸の中の足を落ち着かせるほうが先だった。


 先生は長椅子の前へ自分の木の小皿を置いた。「札は、あとで戻す。今は、この皿の前が待つ場所」


 長椅子の子たちは、皿を見る。木札ほどはっきりしなくても、“ここ”ができると足が少し戻る。


「おうちの人が来た子は、先生が名前を呼ぶまで、花は持たない」


 ルミナも、クリスの手から札を取らずに言った。「今は、持ったままでいい。でも、次の人が来るまで待とう」


 待つ。


 それが今日のいちばん長い手順だった。


 門の向こうで、次の家の人が立ち止まる。先生がその子の名を呼ぶ。その子が『ここからいく』の椅子へ座る。花を一輪持つ。前へ出る。


 その順を二回見たころ、庭の足はだんだん落ち着いてきた。木札がなくても、待つ場所と行く場所が、子どもたちの目に分かれてくる。


 クリスも、自分の番が終わったあと、もう一度長椅子のほうを見た。そこに、まだ待つ子がちゃんと残っている。


「わたし、さっき こっち けした」とクリスは言った。


 ルミナは首を振る。「消えたんじゃないわ。見えにくくなっただけ。だから、いまは順を見て戻してるの」


 先生が笑って、ようやく木札を手に取った。『ここでまつ』は長椅子の前へ。『ここからいく』は低い椅子の横へ。今度は、少しだけ離して置く。


「近すぎたのも、まぎれたね」と先生が言う。「次からは、待つ札をひとつ後ろへ下げましょう」


 クリスはその置き方をじっと見た。待つ札は、前へ行く札より少しだけ遠い。けれど、遠いほうが“まだここ”が分かりやすい。


「これ、まつ」とクリスは長椅子の前を指す。


「うん。で、こっちが行く」とルミナが低い椅子を指す。


「うれしくても、さき いかない」


 その言い方が、今日は何よりよかった。嬉しい気持ちを消したのではない。ただ、待つ足と行く足を、同じにしないで置けたのだ。


 花の箱の前へ立つころには、庭の風も少しやわらかくなっていた。クリスはルミナと一緒に一輪だけ花を足す。あわてずに、こぼさずに、順番の中へ自分の手を入れる。


 帰り道、クリスは門を出てから言った。「まつ ふだ、あると、あんしん」


「うん」とルミナが答える。「待っていていい場所が分かると、足も急がなくて済むもの」


 春は、心だけ先に走りやすい。だから、迎えを待つ足と、先に走りたい足は、同じ子の中でも先に分けておいたほうがいい。


 明日はたぶん、戸の鍵だ。しまう前の鍵と、開けたあとの鍵を、同じところへ掛けるとまた手が迷う。


 梁の上でスノーが片翼をすぼめ、長椅子と低い椅子を見比べた。「待つ場所が見えりゃ、ちびの足は勝手に戻る。嬉しさまで叱るな――札は気持ちを止めるんじゃねえ、置き場所を教えるもんだ」


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