4月7日(火):からだ見まわりの日
とある世界では今日は『持ちものだけでなく、その日の体の具合も見まわし、急がず確かめてから元気を整える』日。アルメリアでは『からだ見まわりの日』として、体のことを聞く札と、鞄のことを聞く札を先に分け、返事を急がせずに昼の順を戻す日。
昼の星粒ほいくえんは、朝より少しだけ静かだった。窓のそばの床へ春の光が四角く落ち、外のやわらかい風で戸布の端が小さく揺れる。朝は初等学舎と王立魔法学院分校の始業で家の中も早かったけれど、いまは昼餉が終わって、みんなの声が一段低くなっている。クリスはいつもの窓辺の席で、自分の小さな鞄を膝にのせたまま、先生の手元を見ていた。
今日は新しい組の最初の日で、机の位置も、昼餉の並びも、いつもとほんの少し違った。大きく違うわけではないのに、その少しが、クリスの中ではずっと残っている。
先生が木の小皿を二つ、机の上へ置いた。一つには『からだ』、もう一つには『かばん』と書いてある。
「ごはんのあとは、順番に見るのよ」と先生が言った。「先に体。それから鞄」
クリスは札を見比べた。「これ、どっち も みる?」
「みる。でも、一こずつ」
その言い方はやさしかったけれど、クリスにはまだ、二つが近いところにあるみたいだった。お腹のあたりが少し重い感じも、鞄の中の布や連絡札が気になる感じも、同じ胸の下あたりでごちゃっとしている。
先生は『からだ』の札を指で押さえた。「じゃあ、よく眠れた?」
「ねた」
「のどは痛くない?」
「いたくない」
「お腹はどう?」
クリスは自分のお腹を見る前に、膝の上の鞄を見た。「れんらく、ここ」
先生は笑わなかった。隣で昼の布巾をたたんでいたルミナも、すぐには口をはさまない。今日は初日だから、昼の落ち着くころに一度だけ様子を見に来ていたのだ。
「今は『からだ』」と先生がもう一度言う。「鞄はあと」
「あと?」
「うん。あと。いまはお腹」
クリスはやっと、自分のお腹へ手を当てた。そうした途端、そこにある“へん”が、さっきよりはっきりした。痛いわけじゃない。けれど、昼餉のあと特有の重さと、朝からのそわそわがまだいっしょに残っている。
「……へん」とクリスは言った。
「いたい?」と先生が訊く。
クリスは首を振った。「いたくない。へん」
その返事に、窓辺の空気が少しだけ止まる。大げさなことではないけれど、小さい子の“へん”は、すぐに鞄の心配とも混ざる。
ルミナがそこで、そっと椅子を窓から少し離した。「止まろう」
その声は小さかったが、急がない形をしていた。
先生は『かばん』の札を皿の向こうへ押しやった。「今はこっちを見ない。お腹の番が終わるまで、鞄は待つ」
クリスはその皿を見て、少しだけ安心した。見ない、と決まると、鞄の心配はほんの少し小さくなる。
ルミナは小さな杯へ薄く温めた湯を入れた。薬ではない。ただ、昼餉のあとで丸くなったお腹を落ち着かせるための、いつもの温かさだ。
「これ、のむ」とクリスは訊く。
「うん。ゆっくり」とルミナが答える。
先生は急いで次を聞かなかった。窓の外では、洗った布が春の風に少しだけ揺れ、遠くで誰かが戸鈴を鳴らした。レオンとフィオナはもう学校へ戻っていて、ここには昼のほいくえんの時間だけが残っている。
クリスは杯を両手で持った。湯気が指に当たる。すぐに何かが変わるわけではないけれど、温かいものがあると、お腹の“へん”は大きくなりにくい。
「かばん、まだ みない?」とクリスがまた訊く。
先生が頷く。「まだ見ない。お腹が少し静かになってから」
その“から”が、今日は大事だった。後ろへ回しただけで、なくしたわけじゃない。
しばらくすると、クリスは背中を椅子へあずけた。杯の中身は半分ほど減っている。さっきまで胸の下で近くにあった二つの心配が、今は少し離れて見える。
「どう?」とルミナが訊く。
クリスは今度はすぐに鞄を見なかった。ちゃんとお腹へ手を当てる。
「……へん、ちいさく なった」
先生がやわらかく笑った。「じゃあ次は『かばん』」
今度は『かばん』の皿が手前へ来る。連絡札、布、はんかち、小さな袋。クリスは一つずつ、自分の指で確かめた。
「れんらく、ある」
「ぬの、ある」
「はんかち、ある」
さっきまで体のことと混ざっていた答えが、今はちゃんと別の場所から出てくる。
先生は札を見ながら言った。「ね。順番を分けると、返事も分かれやすいでしょう」
クリスはうなずいた。「からだ さき。かばん あと」
ルミナも小さく笑う。「うん。それで今日は十分」
大きな解決はなかった。ただ、温かい湯を飲み、急がず待ち、鞄の番をあとへ回しただけだ。それだけで、昼の中で丸まっていた“へん”はちゃんと小さくなった。
帰る前、先生は二つの札をもう一度並べて見せた。
「次にお腹がへんだったら、どっちが先?」
クリスはすぐに答えた。「からだ」
「鞄は?」
「あとの さら」
その言い方が、今日は何よりよかった。フィオナがいなくても、レオンがいなくても、クリス自身の中で順番が別れていたからだ。
昼のほいくえんを出るころ、石畳にはまだ春の光が残っていた。クリスは歩きながら、もう一度だけ自分のお腹へ手を当てる。
「もう へん じゃない」
小さな声だったけれど、ちゃんと自分の体のほうへ向いていた。
明日はたぶん、待つ場所の札がいる。迎えを待つ足と、先に走りたい足は、同じ子の中でもすぐに混ざる。
梁の上でスノーが片翼を畳み、窓辺に残った昼の湯気を見下ろした。「昼の腹は急かすと拗ねる。体の番とかばんの番を先に分けろ――それだけで、ちびの足はちゃんと明日まで続いていく」




