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4月5日(日):髪そろえの日

 とある世界では今日は『髪を切ることそのものより、切る前の形と切ったあとの形が別ものだと知り、手元の決まりを少しずつ整えていく』日。アルメリアでは『髪そろえの日』として、首に掛ける布の札と、切った髪を入れる袋の札を同じ言葉にせず、切る前と切ったあとを分けて考える日。


 春休みの日曜の昼、フレイメル家の玄関土間には、やわらかい光が入っていた。戸を半分だけ開け、外から明るさを取り込む。土間の端には椅子が一つ、足元には掃き寄せ用の小箒、壁際にはドロテアの仕立て屋から借りた首布が三枚、きちんと重ねてある。冬のあいだ伸びた前髪や毛先を、入学や新学期の前に少しだけ整える日なのだ。


「今日は、切りすぎない」とルミナが最初に言った。「整えるだけ。耳のまわりと前髪、それから毛先を少し」


「ぼくは分かる」とレオンが言った。「今日は札もいるんだろ。昨日、包みの札と中身の札を分けたし」


 ルミナは櫛を布で拭きながら頷いた。「そう。今日は首布の札と、髪束札。役が違うから、最後まで混ぜないでね」


「うん。大丈夫」


 返事は早かった。早くて、少しだけ元気が勝っていた。レオンは、うまくやれる日ほど、途中の説明を自分の中で飛ばしてしまう。フィオナはそれを知っていたが、まずは見てから言うことにした。


 アストルは椅子の横で小さな鏡を押さえ、グレゴールは新聞代わりの古い紙束を膝に置いて見物している。クリスは借りた首布の端を指でつまみ、「これ、ふわふわ」と楽しそうに言った。


 ルミナは札の役をもう一度説明した。「首布の札は、切る前の長さで分けるの。長い髪用、短い髪用。髪束札は、切ったあとの束で分ける。長くまとまる束と、細かく掃き取る毛。だから、同じ『長い』でも意味が違うのよ」


「うん」とレオンは頷いた。だが、その“うん”は、最後まで届き切っていない顔だった。


 レオンは紙札を四枚切った。最初の二枚には大きく『ながい』『みじかい』。次の二枚にも、同じく『ながい』『みじかい』。


 フィオナがそれを見て、少しだけ眉を上げる。「同じ言葉にしたの?」


「でも、短いじゃん」とレオンは言う。「首布も髪束も、長いか短いかなんだから。どっちも分かる」


 アストルが口の端を上げる。「その“どっちも”が、たまに怪しいんだよな」


 ルミナはそこで止めなかった。「やってみましょう。迷ったら戻せばいいから」


 最初はアストルからだった。長いほどではないが、耳の横が少し伸びている。レオンは『みじかい』の札を首布へ結び、『みじかい』の札を髪束袋にも結んだ。


「だって、短く切るわけじゃないし」とレオンは理由まで添えた。


「ぼく、みじかいが二つある」とクリスが言って笑う。


 アストルの髪を少しだけ切りそろえ、床に落ちた毛をレオンがまとめようとしたとき、ルミナが言った。「次、長いほうの袋を取って」


 レオンはすぐに首布の『ながい』を取った。


「それ、布」とフィオナが言う。


「あ」


 クリスは今度は逆に、『ながい』の髪束袋を持って、次の椅子へ掛けようとした。「これ、ながい かみ の くび」


「ちがう、そっちは袋」とレオンが言う。


「ながい、ふたつ ある」


 その一言で、土間の空気が少しだけ止まった。


 誰もひどく困ってはいない。けれど、切る前の『ながい』と、切ったあとの『ながい』が、同じ形の札になったせいで、手が止まり、足元の毛も小さく散った。


 ルミナが静かに言った。「止まろう」


 フィオナは小箒で毛を寄せ、まず土間の中央をきれいに戻した。今日は壊れたものがあるわけではない。ただ、同じ言葉を同じ形で二度置いたことで、手の順番が少し迷っただけだ。


「レオン」とルミナが言う。「今、札は何を分けていた?」


 レオンは少し考えてから答えた。「首布は、切る前の長さ。袋は、切ったあとの束」


「うん」とルミナが頷く。「その二つを、同じ言葉にしたのね」


 フィオナも続ける。「昨日は、動かす札と残す札が混ざったよね。今日は、切る前の札と切ったあとの札が混ざったんだと思う」


 アストルが鏡を置きながら言う。「俺は“長い袋”って言われたら、長い髪の人用のものかと思った」


 クリスは首布と袋を見比べたまま言う。「わたし、ながい みえたら、くびに つける って おもった」


 グレゴールも小さく頷いた。「言葉は短くてもよい。だが、時点が違うなら、同じ短さでは足りん」


 事実が並ぶと、どこで迷ったかがはっきり見えた。札の枚数が悪いのではない。切る前と切ったあとが、同じ顔をして並んだせいで、手が迷ったのだ。


 レオンは息を吐いた。「ごめん。短い言葉ならいいと思った。でも、“いつの長いか”が抜けてた。ぼく、自分の頭の中で分かってることは、みんなも同じように分かると思ってた」


 ルミナは穏やかに答えた。「そこが見えたなら、直せるわ」


「どう分ける?」とフィオナが訊く。


 レオンはすぐには答えず、首布と袋を見比べた。それから言う。


「首布の札には、『切る前』を足す。『切る前・長い』『切る前・短い』」


 次に袋のほうへ目を移す。


「袋には、『切ったあと』を足す。『切ったあと・長い束』『切ったあと・細かい毛』」


 クリスがすぐに真似する。「きるまえ。きったあと。……ちがう」


「うん。違う」とレオンは言う。「そこを違わせないとだめだった」


 すぐにやり直しが始まった。


 フィオナは紙札を新しく切り、上の行に小さく『切る前』『切ったあと』、下の行に大きく『長い』『短い』『長い束』『細かい毛』と書く。ルミナは首布を長い髪用と短い髪用に左右へ分け、髪束袋は椅子の後ろに掛け直した。レオンは札を結ぶ場所そのものも変えた。首布の札は襟もと、袋の札は口の折り返し。見れば、どちらの役かがすぐ分かるようになった。


「これなら、くび」とクリスが首布を指す。


「こっちは、あとで入れる袋」とレオンが続ける。


 アストルが笑う。「やっと土間がしゃべり始めたな」


 今度はクリスの番だった。短い髪用の首布を掛け、前髪を少しだけ整える。落ちる毛は細かく、袋の『切ったあと・細かい毛』へ入る。途中でルミナが「次、切る前・長い」と言えば、フィオナがすぐ長い首布を取れる。言葉が長くなったぶん、手は迷わなくなった。


「できた」とクリスが胸を張る。「わたし、きるまえ みじかい。きったあと、こまかい」


「うん」とレオンは頷いた。「前とあとが分かれたら、やっと同じ短さでも意味が変わらなくなった」


 グレゴールが紙束の端を揃えながら言う。「時間を札に書くのはよい知恵だ」


 ルミナは最後にフィオナの毛先を少しだけそろえ、首布の札を外した。土間に残ったのは、きれいに分けられた髪束袋と、役目を終えた首布だけだ。残るものまで整うと、春の昼が少しだけ静かになる。


 片づけのあと、レオンは余った札を重ねながら言った。「ぼく、同じ言葉を短く置けば早いと思ってた。でも、前とあとが違う日は、短さより先に時点を分けないとだめなんだな」


 フィオナは頷いた。「うん。首布の札と髪束札は、同じ“長い”でも別のことだから」


 それを自分の言葉で持ち帰れたのが、今日のいちばんいいところだとフィオナは思った。春は身軽になる季節だ。だからこそ、何を先に手放して、何をあとから掃くのかを、先に分けておくほうが暮らしはやさしい。


 明日はたぶん、髪より紙だ。広げる前の面と、読み終えたあとの面を先に分けないと、読む順がまた少しだけ迷いそうだった。


 梁の上でスノーが尾を一度だけ揺らし、首布の札と髪束袋の札を見比べた。「切る前と切ったあとを同じ面で呼ぶな。手放す順までひっくり返る――だが、こいつらは戻し方を覚えた。なら次もまあ、ちゃんと整う」

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