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4月4日(土):餡包みの日

 とある世界では今日は『甘い餡をやわらかな生地に包み、春のしるしをひとつ添えて、晴れの席へ届けた』日。アルメリアでは『餡包みの日』として、中に入るものの札と、渡す相手の札を同じにせず、包む前と包んだあとで役を分けておく日。


 昼の商店街は、甘い匂いで少しだけやわらかかった。ひつじ雲ベーカリーの前には、焼き上がった丸いパンを冷ます棚が出され、店先の戸布が何度も揺れている。今日は春の餡包みを多めに焼く日で、テオは工房と店先を何度も行き来していた。


「助かる」とテオが言った。「今日は包みが多いんだ。月読み文庫と灯路番所と、湯屋にも少しずつ届ける」


 工房の卓には、丸い餡包みが並んでいた。てっぺんの印で中身が分かるようになっている。桜の塩漬けがひとひら乗ったもの、胡麻が散っているもの、何も乗せずにつやだけで見分けるもの。横には、細長い木札の束と、包みに結ぶ紙札の束が置かれていた。


 フィオナはすぐに気づいた。「木札と紙札、二つあるんだね」


「うん」とテオが頷く。「木札は中身の札。皿か棚に立てたままにする。紙札は包み札。誰に渡す分かを書く」


 その説明を聞いて、レオンは胸を張った。ここ数日、札の役を分ける話が続いている。今度こそ、先に分けてうまく回せる気がしていた。


「ぼく、書く」とレオンは言った。「中身の札と包み札だろ。もう分かるよ」


 ルミナは包み紙の角を揃えながら頷いた。「お願い。でも、役が違う札は、最後まで別のままにしてね」


「うん。大丈夫」


 返事は早かった。早くて、少しだけ自信が勝っていた。フィオナには、その勢いが分かった。レオンは、分かったつもりのときほど、途中を省きたくなる。


 最初は順調だった。レオンは木札に『さくら』『こし』『しろ』と書き、紙札には『文庫』『番所』『湯屋』と書いていく。クリスは包み紙を一枚ずつ広げ、見習いパドは焼き網から下ろした餡包みを皿へ移していた。


 問題は、テオくんが「文庫には桜を2つ、番所には胡麻を3つ」と言ったあたりで起きた。


 レオンは少し考えてから、紙札に中身まで書き足した。『文庫・さくら』『番所・ごま』『湯屋・しろ』。それだけならまだよかった。けれど、そのほうが早いと思って、皿に立っていた木札を抜き、包み紙の横へ移し始めたのだ。


「こっちに置いとけば、同じの間違えないし」とレオンは言う。「皿の札、包みに回せば一回で済む」


 テオが振り向いたときには、桜の皿から『さくら』の木札が消え、胡麻の皿には『番所・ごま』の紙札が置かれていた。


「えっ」と見習いパドが手を止める。「これ、皿の中身の札ですか。包み札ですか」


 その横で、クリスが『文庫・さくら』の紙札を見て笑った。「これ、ぶんこの さくら。じゃあ、さくら ここ」


 クリスはそう言って、桜の餡包みではなく、白い餡包みをその包み紙の上へ置いた。彼女には、紙札の前半だけが先に見えたのだ。


「あっ、ちがう」とレオンが言う。「それは白で――」


 テオくんも皿の前で眉を寄せる。「皿の札がないと、いま棚に残ってる中身が分からない。包んだあとで余りを店に出すのに困る」


 小さな沈黙が落ちた。


 誰かが乱暴にしたわけではない。けれど、中身の札と包み札が途中で混ざったせいで、包む前の皿と、包んだあとの行き先が、同じ束の上で曖昧になっていた。


 レオンは唇を結んだ。うまく早く回せると思ったぶん、つかえたところが自分でも分かっている顔だった。


 ルミナが静かに言う。「止まろう」


 その声で、皆の手が止まる。


 フィオナは散った札を拾い、木札は左、紙札は右に分けて箱の上へ並べた。木札の角には粉が少しついていて、紙札の端には指の熱でやわらかくなった反りがある。


「レオン」とルミナが言った。「今、札は何をしていた?」


 レオンは少し考えた。「木札は……中身。紙札は、行き先」


「うん」とルミナは頷く。「その二つを、途中で同じ仕事にしたのね」


 フィオナも続ける。「昨日は、橋の前の声と向こうの声が混ざったよね。今日は、包む前の札と、包んだあとの札が混ざったんだと思う」


 テオくんは皿を見ながら言った。「ぼくは、皿の前に立つとき、中身の札を先に見る。包み紙を持つときは、行き先の札を先に見る。同じ場所にあると、手が迷う」


 見習いパドも頷く。「ぼく、皿の札だと思って読んでました」


 クリスは白い餡包みを見つめたまま言う。「わたし、ぶんこ みえた。さくら、あとで みえた」


 事実が並ぶと、どこで手が迷ったかがはっきり見えた。札の内容が悪いのではない。役の違う札が、途中で同じ場所へ来たせいで、見る順が崩れたのだ。


 レオンは息を吐いた。「ごめん。早くしたくて、札を回しちゃった。でも、皿に残る札と、包みに付く札は、最後まで別のままじゃないとだめだった」


「そこが分かったなら直せる」とテオが言う。


「どう戻す?」とアストルが訊いた。


 レオンは今度は急がずに答えた。「木札は皿から動かさない。紙札は包み紙の上だけに置く。呼ぶときも分ける。皿を見るときは“中身”、包むときは“行き先”」


「いいと思う」とフィオナが言う。「見る場所が変われば、読む順も戻る」


 すぐにやり直しが始まった。


 フィオナは木札の粉を乾いた布で払い、皿の前へ立て直す。テオくんは餡包みを印ごとに皿へ戻し、見習いパドは包み紙を新しい束と分けて置く。クリスは紙札の束だけを持つ役に変わった。レオンは紙札に行き先だけを書き直し、包み紙の左上へ順に置いていく。


「桜は皿の札」とレオンが言う。


「文庫は紙の札」とクリスが続ける。


「包むときは、紙だけを見る」と見習いパドが言った。


 その言葉が並んだとき、手の速さがそろった。


 皿の前には『さくら』『こし』『しろ』。包み紙の上には『文庫』『番所』『湯屋』。桜の皿から2つ取る。包みに入れる。最後に『文庫』の紙札を結ぶ。順番が戻ると、包みは急がなくても早かった。


「できた」とテオくんが笑う。


 クリスも胸を張る。「さくら、さらに のこる。ぶんこ、かみに いる」


「うん」とレオンは頷いた。「中身の札は、皿に残ってこそ役に立つんだな」


 テオは包みを持ち上げながら言った。「そう。包みは渡したら手を離れるけど、皿は次の分も見るから」


 春の甘い匂いは、工房の戸口から商店街へ少しずつ流れていた。包み紙が重なり、紙札が揃い、皿の前の木札が残る。そんな小さい整い方だけで、店先の昼はちゃんと回る。


 帰り道、レオンは指先で、余った紙札の端をそろえながら言った。「ぼく、同じ札を動かしたほうが早いと思ってた。でも、動かない札があるから、次も分かるんだな」


 フィオナは頷いた。「うん。残る場所があると、次の手が迷わない」


 それを自分の言葉で持って帰れたのが、今日のいちばんいいところだとフィオナは思った。春は、手も声も先へ出がちだ。だから、包む前の名と渡したあとの名は、先に別れていたほうがいい。


 明日はたぶん、包みより髪だ。切る前の長さと、切ったあとの束がまた少しずれる。首布の札と髪束の札を先に分けたほうが、町の手はまた少し迷わずに済みそうだった。


 梁の上でスノーが尾をひとつ揺らし、皿の前の木札と包み紙の端を見比べた。「包みは渡せば離れるが、皿の名は残って次を守る。動かす札と残す札を混ぜるな――それだけで、こいつらの手はちゃんと戻る」


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