値踏み
「先生、なんとかなりませんか?この子の初恋なんですのよ……。そのために今後とも助力は惜しみませんわ」
「……、うーむ。だが、相手が、相手だからな……」
「そんな!先生。相手はどこかの愛人の子でしょ?一条の血が入っているかも怪しいわ!それに比べて、うちの子は何もかもが揃っています。お願いします、先生」
「分かった。こちらでも少し話を聞いてみよう」
橘夫人の顔が明るくなる。
そこへ秘書が、
「先生、お時間です」
と面会終了を告げた。
橘親子は来た時よりも軽やかな足取りで部屋を出て行った。
「……そう言えば、この間の会食は、いつだったかな?」
「……水曜日です」
「うむ。参加と伝えておいてくれたまえ」
「はい」
「さあ、後は買い物してから今日は実家へ行きます。念押ししておかないと……」
橘親子は車に乗り込み銀座の百貨店の正面へ向かう。
今日は誰も出迎えがなかったが、たまには自由に店内を歩くのもいいかと親子は目当てのハイブランドショップに入る。
「アナタ、カバンを見せてちょうだいな」
母親は店員に声をかける。
店員は顔を曇らせ、
「申し訳ございませんが、本日はカバンの入荷が未定でして……」
「先日、新作の発表会があったばかりでしょ?もしかして、私が誰だかわからないのかしら?」
「……担当者はどなたですか?」
「知らないわ。いつも外商から連絡があるから」
「失礼致しました。外商部の担当にお繋ぎしますので、お名前を伺ってよろしいですか?」
「橘です」
「橘様、承知しました。こちらで少々お待ちください」
親子は店の端にあるスツールに案内され、そこへ腰を下ろす。
すぐに外商部の人間がやってきた。
「奥様!本日はお越しいただきありがとうございます。本日のご用向きは?」
「ここの新作を娘が欲しがっていてね、店に直接来たのだけれど、無いと言うのよ。アナタどうにかしてちょうだい!」
「左様でございましたか!……申し訳ございませんが今こちらの新作は入手困難でご予約いただいた方から順番にお渡ししておる次第でございます。ご希望に添えず、申し訳ございません。入手次第ご連絡差し上げます」
外商部の人間は流れるように親子を百貨店の外へ見送る。
「いいんですか? 一応、予備あったのに……」
「あぁ。外商口座の扱いが変わった。今は売掛を増やせん」
「……そういうことですか」
「客にならん相手に時間を割いても利益にはならん」
外商部の人間は先程とは真逆の冷めた顔をして部署に戻っていった。
車は親子を乗せて夫人の実家へ向かった。
執事の引き攣った笑みに気づかず、いつもの通りに応接間に向かった。
夫人は自分好みのお茶の味に満足しながら兄を待つ。
今は兄が家督の全てを譲られ実家を仕切っている。
自分が育ったところなのに、一部模様替えがされており、夫人はそれが気に入らなかった。
ドタドタと足音が響く。
応接間の扉が勢いよく開いた。
「お前、しくじったな!?」
「なんですか?藪から棒に……。今日はお兄さまに頼み事があってきたのです」
「……」
夫人の兄は大きなため息を吐き、夫人の前のソファーに座る。
「娘を一条の養女にしたいんです」
「無理だ」
「何故ですか?たかが一条ではないですか。こちらから願うなら叶えられるでしょ?」
「お前は何もわかっていない……」
「一条なんて、所詮は藤原摂関家。私たちの母は元皇族ですのよ?」
「元だ。いまは、もういない……」
「ですが、全てを継いだお兄さまなら可能でしょう? お父さまは私を橘の正妻にしてくれたじゃありませんか……」
「……それは相手が橘だったからだ。一条とは訳が違う!」
「まぁ、怖い。お兄さま、眉間に皺が寄ってお父さまそっくり」
そう言って、夫人がコロコロと笑う。
「お前は先日の茶会から大きな虎の尾を踏んだ。その影響で我々はかつて無い危機に直面している」
「なんのことかしら? では、お兄さま頼みましたよ」
「待て。お前はなんにもわかっていない!この際、ハッキリと言うぞ。我々はお前たちと金輪際関わらない」
「まぁ、なんて事を言うの? たった一人の妹に……。そんな言い方、お母さまが聞いたら悲しむでしょう? 兄弟仲良くと残したじゃありませんか……。妹が困っている時に助けるのが兄の役目じゃありませんか?」
「その妹のせいで、私たちは苦しんでいる。何故一条にこだわる?」
「朝比奈との縁談のためです。今の縁談は、鳳院と鷹司が認めたのでしょ?」
「鳳院はともかく、鷹司なんて都落ちした家が偉そうに……。なにが東の雄ですか!」
夫人はお茶を飲みながら、最近の出来事の不満を思い出す。
「朝比奈ごときが、鷹司を盾に断るからこんな手の込んだ事をしなくてはいけなくなったんです」
「朝比奈にとっても鷹司にとっても橘と縁を持つ事は理に適っているでしょ?」
夫人の兄は開いた口が塞がらなかった。
夫人はもともと選民意識が強かったが、結婚以降それが酷くなっていた。
父母は夫人の望みをなんでも叶えていたので、ある程度の我儘は仕方ない。
それでも限度を超えていた。
「……わかった」
「そう、よかった」
「いや、もう二度とこの家の敷居を跨ぐ事は許さない。帰りなさい」
「なんですって!?」
夫人は立ち上がり、自分の兄に掴みかかろうとした。
それより早く部屋の中にいた執事に止められ、車寄せに連れて行かれる。
荷物ごと、夫人を橘の車に押し込み運転手に告げる。
「夫人はご気分を害されています。すぐに帰宅してください」
運転手は何も言わずに車を動かした。
※※※
就寝前に結花の端末にメッセージが届く。
玲からだった。
「玲さん?お疲れ様でした。大丈夫?」
「あぁ、遅い時間になってごめん。今日は会食が入ってこの時間だよ……」
「……赤坂のお姉さんに誘惑されてない?」
結花は面白そうに玲に聞く。
「それどころじゃないって。大先生たちの圧が凄いのなんの……。機を見るに敏じゃなかったら政治家は務まらんのだろうけど、自分の乗ってる舟が泥舟だと気づいた時の乗り換えの速さときたら……」
玲は今日の会食を思い出し、苦笑する。
「……そっちかあー。それはお疲れ様だったね」
「仕事でいいから結花にいて欲しかったよ……」
珍しく玲が弱音を結花に聞かせている。
結花は二人の距離が随分と近くなったと感じて嬉しくなる。
「なんか、先方。私の縁組破棄をまだ諦めてないみたいなの。今日からエスコートサービスさんがついたよ。バンドの練習にも付き合ってもらってなんか悪いなぁって思っちゃった」
「それは安全のために我慢して。彼らはプロだから、気にしないの」
「はーい。それでね、学祭は学校付近まで車移動がいいかなって……」
「電車じゃなく?」
「うん、その方がみんな安心でしょ?」
「それはそうだけど……いいのか?普段どおりに過ごして構わないんだよ?」
「大丈夫!私は一条の娘だから。安全を一番優先します!」
明るい結花の声。
去年はまだ名前も曖昧な関係だった。
結花は小田原に住んで、箱根で働き、軽音部でメインボーカルだった。
ステージに立てば、観客を一瞬で魅了した彼女が、今年は玲の隣にいる。
「何時に迎えに行けばいい?」
「えっとね――」
結花の声を聞きながら、学祭の予定を決めていく。
結花の明るい声は玲の今日の疲れをいっぺんに癒した。




