剪定
玲は、橘と繋がりのある企業を一つずつ洗い出した。
取引先。
提携先。
出資先。
橘の名と信用によって繋がっている企業は、思った以上に多い。
その中から、東央に取り込む価値のある企業だけを選別する。
潰す必要はない。
使えるものまで壊す意味はない。
むしろ、使えるものは残せばいい。
東央の事業と親和性が高いところ。
再編すれば利益を生むところ。
橘との関係を切った方が、将来的な成長を見込めるところ。
玲は順番を決めた。
一社目。
提携条件を見直し、東央側から新たな条件を提示する。
相手にとって、どちらを選ぶべきかは明白だった。
橘との関係が、一つ切れる。
二社目。
長年、橘を通していた取引を組み替える。
東央が直接受け皿となれば、中間に橘を置く理由はない。
また、一つ切れる。
三社目。
出資関係を精査し、再編案を出す。
四社目。
業務提携を持ちかける。
五社目。
玲はただ、数字を見て判断する。
東央に利益があるか。
将来性があるか。
それだけだ。
気づけば、橘を中心に繋がっていた企業が、一社、また一社と東央側へ組み替えられていく。
橘そのものには、まだ何もしていない。
ただ、その指先に繋がっているものを――
一枚ずつ。
爪を剥ぐように、切り離していく。
当然、市場も異変に気づく。
主要取引先との関係見直し。
提携先の離脱。
収益見通しへの懸念。
ひとつなら、小さな材料だった。
だが、それが続けば話は違う。
売りが売りを呼び、橘の株価はじわじわと値を下げていく。
玲は、その数字を確認する。
そして、何の感慨もなく画面を閉じた。
まだ終わっていない。
次の企業の資料を開く。
橘には、まだ剥がせる爪が残っている。
※※※
もうすぐ、楽しみにしていた新作発表会のはずなのに、招待状が来ない。
橘夫人は、
「発表会、いつだったかしら?まだ招待状が来ないのだけど?」
外商の担当者に連絡する。
「奥様、大変申し上げにくいのですが、発表会は先日終わりました。ご欠席と伺っていましたが……」
「……っ!!なんですって?!! 」
部屋の窓ガラスが揺れた。
「……。ご主人様から、招待状発送前に、今回は妻は生憎欠席で、招待状を見ると辛いだろうから送らないで欲しいとご連絡がありました」
もう手に入らないマホガニーの机に尖った爪を立てる。
ニスが禿げ、傷がつく。
だが、夫人は気にも留めない。
通話の切れた端末を投げ捨てる。
ガンと音が聞こえ、パリンと何かが割れた。
それは大切な何かだったはずだが、時間の経過と共に忘れ去られたものだった。
「一体なんなの!!」
荒ぶった音がする部屋には使用人は誰も近寄らない。
呼ばれる事を恐れ、皆気配を殺す。
先程の衝撃で割れた端末のガラスをそのままに、夫人は彼女の夫へ電話をかける。
虚しくコール音だけが響く。
すぐに出ない夫へ更なる怒りが沸く。
「……なんだ?」
執念深く鳴らし続けてようやく出た夫。
「なんで、すぐに出ないの?! 私からの連絡はすぐに出なさいよ!! 」
「無理を言うな。仕事中だぞ?」
「そう!貴方、何故勝手に招待状を断ったの? 私が楽しみにしていたのは知っているでしょ?」
「……」
ハァーと重たいため息が聞こえた。
「ため息を吐きたいのはこちらの方よ!」
「今、それどころじゃない。暫くは買い物も控えてくれ……」
そう言って一方的に通話が切られた。
また机に傷が増える。
「買い物を控えろって何よ!!」
蜘蛛の巣のように割れた端末を操作し、次を呼び出す。
「お義姉さま?お久しぶりです。ちょっとむしゃくしゃする事があったから買い物でも一緒にいかがかしら?……。あら、お忙しいの? 残念だわ。ではまたね」
それから何件か同じような内容で付き合いのある家に電話をする。
しかし、皆が口を揃えたように忙しいと断ってくる。
「……何なのよ、今日は。みんな揃って」
訝しみながら、端末を机の上に置いた。
彼女の顔が端末に映り込む。
蜘蛛の巣状にひび割れたガラスの向こうで、その顔が不気味に歪んでいた。
「お母様!! 玲さんとお会い出来る日は決まったの?」
能天気な娘の声が聞こえてくる。
ノックもなく、部屋の扉を開けられる事に腹立ちを感じる。
「全く!ノックくらいしなさいよ!」
「あら嫌だ。お母様、ご機嫌斜めですのね。
だったら買い物でも行きましょうよ! 私欲しいバッグがあるの!」
「まぁ、そうなの? 本当は母も忙しいのですけどね、娘の貴女が頼むのですから……」
夫人は椅子から立ち上がり、リンと鈴を鳴らす。
執事が音もなく現れる。
「お呼びでしょうか? 奥様」
「出かけます。車を回してちょうだい」
「……。どちらへ、でしょうか?」
「うるさいわね! この子と買い物よ!」
「しかし……」
執事は口をモゴモゴとさせるが声にならない。
「急いでちょうだい!!」
「……はい」
執事は部屋を出て行った。
車内では娘が近況が変わらない事を嘆いている。
「会社では、婚約者だと言っても全く通してくれずに、不審者扱いされるのです! 」
「それに、友人に頼んだ私と玲さんの馴れ初め話も、妄想だなんて酷いコメントがたくさん!」
「真実の愛とはこんなにも試練ばかりなのですね……」
「貴女が朝比奈へ嫁ぐ準備は母が整えますからね、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「……でもね、お母様。昨日、その友人たちから暫く留学するのでお会いできないし、これ以上協力できないって言われたの。友達なのに!!」
「まぁ。では、帰りに母の実家に寄って貴女の結婚の準備と、その意地悪な友達に仕返しをしましょうね。橘を愚弄すると酷いことになるって知らしめないと」
心底楽しそうな母娘の顔を、運転手は黙ってバックミラー越しに見ていた。
※※※
「先生、この間の選挙はご苦労様でございました。いやー、世間の風はどこに吹くのか読めませんな……。いやー、私もね、今回ばかりはダメかと思いましたよ。なんとか通りましたがね……」
「それで、先生。今日、ご連絡しましたのはちょっとお願いがありまして……」
「いや、そんな、そんな。赤坂あたりで一献、如何ですか?もし、よければ派閥の若い方もご一緒に」
「ええ、スポンサーからどうしても先生をご紹介して欲しいと頼まれまして」
「ええ、申し訳ないですが、ここは一つ私の顔を立てると思って……」
「本当ですか!それは助かります。では水曜日はどうですか?」
「はい。よろしくお願いします」
通話が切れる。
先程から明るい声で電話していた男が、正面に座る玲を見やる。
「これで、いいか?」
「先生、ありがとうございます」
「それにしても、鷹司が政治に口出すとは意外だな……」
「ええ。少し木の枝の剪定です。虫が湧きましたので……」
「あの派閥か……」
「随分とハメを外されたようで……。鷹司の奥からです」
玲はスッと封筒を滑らす。
男は封筒を開き、中の書類へ目を落とした。
政治献金一覧。
政治団体名。
年月日。
金額。
そして、その先にある人脈。
男は数枚捲ったところで、封筒へ戻した。
「……なるほどな」
「では、頼みます」
「わかった」
玲は永田町にある議員会館を後にした。




